函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

オウム真理教が日本で生まれたということ

2018年07月10日 08時43分15秒 | えいこう語る

▼阪神大震災直後の、オウム真理教によるサリン事件。関東大震災の時「混乱に乗じた朝鮮人による凶悪犯罪や、暴動など画策しているので注意を要する」という内務省の通達が、朝鮮人の大量虐殺(数千人ともいわれる)につながったことを想起させられた。

▼もちろん、政府からのなんらかの示唆で、サリン事件が起きたわけではないが、当時の日本政府への不満が、大震災後の混乱に中でこの事件を起こさせた原因の一端ではないかと思う。

▼とはいっても、どうしてこんな大事件に至ったのか、これが真相だという決定的な論評は、見えてこない。だが、真相があいまいなままで、収束させては、今後の我が国の行く末にとって、大きなマイナス要因になるような気がしてならない。

▼敗戦から今まで、一度も戦争がなかった平和国家日本。世界に誇るべき憲法を変えて「戦争ができる国」にしようとするのは「国家転覆」に等しい行為ではないか。オウム真理教が目指したものは「憲法改正」と根底は似ていやしないだろうかというのが、私が最も心に引っかかるものだ。

▼昨夜、憲法学者長谷部恭男著「法とは何か」河出書房を開いてみた。【人間は自由なものとして生まれた。しかしいたるところで鎖につながれている】というのは、ジャン・ジャック・ルソーの「社会契約論」の冒頭にある。

▼ルソーは、人間は自然状態では自由だったが、生命や財産の保全に係る問題など、自然状態で発生するいろんな障害のため、その対応に政府を設立することになった。だが、国家の下で暮らす人民が自然状態と同じように自由であるためには、この法を人民自身が制定する必要があるという。

▼人民は幸福が何かを分からない。そこで大衆を啓蒙し導く「立法者」が必要となる。ルソーが挙げる「立法者」とは天才だ。彼は人民に政治制度の枠組みを与え、それを通じて彼らの人間性そのものを変革する。だが、人民を言葉で説得しようとしても目先の利益にとらわれた人民には理解されず失敗に終わる。そこで「立法者」は【神の力】を借りて人民を心服させ、力に訴えることなく、彼ら自身の長期的利益に従うよう、彼らに制度の軛(くびき)を課す。

▼だが、天才的な「立法者」が出現しても長続きはしない。
立法権は徒党を組む職業政治家に乗っ取られて、人民集会など夢想だと笑われ、国を守るための兵役は忌避されて、傭兵(米軍?)がそれに代わることになる。人々が社会全体の利益を志してそれに命を捧げることもなく、ただひたすら自分自身の利益を願う社会、それが「立法者」の出現という奇跡に恵まれない現実世界の標準的姿だ。

▼さらに【正当化可能な理想の政体は、宗教という高貴な詐術の力を借りない限り維持できない】とある。

▼拙い解釈と過度の妄想しか持たない私は、ルソーの「社会契約論」の中に、オウム真理教とアベ長期政権が出現した、日本社会の現在の病巣を見る。

▼アサハラの死刑執行と同日に、アベ総理は「賭博法」といわれる「IR法案」の説明を国会本会議で行った。「ギャンブル依存症は制御されるといい、世界に日本の魅力を発揮する総合的なリゾート施設だ」と強調した。次期オリンピック招致で「福島の汚染水は完全にコントロールしている」という、内容と酷似している。

▼「賭博」こそ、大勢の国民をマヒさせる「サリン」ではないか。その法案で「世界に日本の魅力を発信する」というのは、アサハラの考えに似ているのではないかと、私の勝手な妄想がオバーヒートしてしまう。

▼さて、昨夜の私の夢だ。アサハラショウコウとアベシンゾウが握手をし「社会契約」を結び、アベシンゾウを後継者にすると宣言した所で、かろうじて夢から覚醒したのだ
。この覚醒が少し遅ければ、私も信者にされていたのかもしれない。

▼フロイトは「夢は抑圧された無意識の欲望か、他のものに置き換えられたり圧縮されたりして、姿を変えて現れたもので、欲望の充実を目的としたものだという。

▼もしそうだとしたら、私の夢は欲望の充実したものではないかと思うが、元は極度の妄想から来ているので、不確か極まるものであるとの認識は、自覚しておかなければならないようだ。

▼謎が深まるオウム真理教。その真相を「社会契約論」から引き出してみたが、引き出し方が強引で未熟なのは、アベ総理とちょっぴり似ているのではないかというのが、私の今朝の結論だ。