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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

司法取引はだいじょうぶか

2018年07月15日 07時09分48秒 | えいこう語る

▼今年の6月1日に施行された「司法取引」の、第1号の適用がでた。三菱と日立の合弁会社がタイで受注した原発工事で、現地の公務員に数千万円の賄賂を支払ったことで、担当社員のみ立件され、企業が免責になったという。

▼数千万円ものお金を動かせるのは、最上部の人間でなければできないはずだ。どうみても子分に実行させて、親分が免れるという今回の取引に見える。

▼三菱重工も日立製作所も、我が国の原子力発電のトップメーカーだ。国策である原発が、福島の事故によりストップしている。大企業重視のアベ政権は、その救済で首相自らトップセールスマンとして、海外の原発工事の受注に動いていた。

▼今回は企業側から、特捜部に取引を申し出たとみられると報道にある。責任を取らされた社員は、どこかで救済されるのだろうか。たぶん「企業内取引」もあっての、今回の決着ではないか。

▼さらに、原発再稼働を推進する官邸側に忖度した取引ではないかと疑われても、致し方ないだろう。司法取引第1号がこのようでは、先行きが心配される。

▼「司法取引」は、米国の裁判でよく知られている。犯罪捜査の短縮ばかりではなく、国にとって都合の良いようにできるなどと米国に言われたのではないか。これも「対米従属」の一つなのかもしれない。

▼平成21年5月21日に始まった裁判員制度も、拒否する人が多くなっていると聞く。この制度も米国の陪審員制度を真似たものか。などと、今朝も「妄想」を働かせる私だ。

▼昨夜見た本の中に「妄想でもいいから働かせなければ、アベ政権の魂胆は見えてこない」といった、文章を見たせいだと思うが、私の妄想は生まれつきだと自覚している。

オウム真理教とホウム大臣

2018年07月13日 09時04分13秒 | えいこう語る

▼よく理解ができない存在を、私はカタカナ表記する。オウムのアサハラとその幹部、計7名を一気に死刑執行した上川陽子法務大臣。法務を「ホウム」と書き換えると「オウム」に近い呼び名になった。

▼死刑執行に判を押したのは7月3日で、死刑執行前夜の5日に【アベ総理と長期政権を共にする会?】の仲良したちは、衆議院議員宿舎で酒盛りをしていた。その会の名前がシャレている。『赤坂自民亭』だ。

▼そこで陽子さんは、こんな粋なスピーチをしたのではないかと推測する。「カタカナ読みをするとオウムとホウムは身近な気がします。それでは気持ちが悪い。明日、私たちに反抗し国家転覆を計画したアサハラと6人の幹部を、一気に“ポア”します」と。

▼アソウ大臣張りのギャグで、大拍手が起き宴会は盛り上がった。参加している中には、次期総理候補と言われている岸田文雄もいた。岸田の地盤広島県は、やがてずたずたに崩壊する。アベ総理の禅譲を待つ岸田に、次はないといったところか。

▼このオウムの大量死刑に対する、メディアの適切な論評を期待しているのだが。ぐさりと心をえぐる論評には、まだ出会っていない。
 
▼オウムを映画化した監督の、森達也に期待していた。11日北海道新聞に森の論評があった。ナチスの戦犯アイヒマンは、ホロコーストに加担した理由を「指示されたから」としか答えなかったことと、オウム幹部たちが「グル(アサハラ)から指示を受けた」というのは、殺害動機は同じだという。

▼人は悪人だから悪事をなすのではない。集団の一部になるだけで、とてつもない悪事をなすことがある。集団に馴染みやすく個を捨てがちな日本人だからこそ、そこには歴史的な教訓が絶対あるという。

▼さらに森は、当時オウム真理教の本拠地があるといわれた世田谷区は、区が率先して監視小屋をつくり、職員が監視業務につき「オウム出ていけ」の垂れ幕を作ったという。もちろん公金だ。これは違法のレベルではなく、明確な憲法違反だという。

▼信者のほとんどが犯罪を起こしたのではなく、憲法で保障されている「信仰の自由」の実践者だという。そんな人権を無視する監視小屋を、憲法違反だと指摘するメディアはいない。

▼この指摘を「ご臨終メディア・質問しないマスコミと一人で考えない日本人」という本で、本来の使命を果たさないメディアを痛烈に批判している。

▼森は新聞の論評で、アサハラの死刑を「すべては終わった。まさしく強制終了だ。今はただ悔しい。他に言葉はない」と結んだ。

▼オウム事件は、我が国の病巣を解明するためには、様々な角度から様々な人が、オウム事件の大量死刑について、徹底的に論ずる必要を感じる。

▼これから起きる「天皇生前退位」や「東京オリンピック」、さらには「憲法改正」を正確に判断するために、極めて重要な事件ではないかと、私は考えている。

昨夜の焼酎は特別美味しかった

2018年07月11日 16時42分56秒 | えいこう語る

▼死者150名を遥かに越えそうな、西日本豪雨災害。土石流の様子は、東日本大震災の津波と同様の恐怖感を国民思い出したに違いない。災害は忘れないうちにやってくるという、連続性の中に暮らしていることを実感する。

▼あらためて、産業革命後の人類の進歩は、自然破壊と切り離すことはできないことを、立ち止まって自覚しなければならないのが、今いう時代ではないかと、思い知らされる。

▼そんな中、IR法「カジノを中心とする総合型リゾート開発」は、現在ある豊かな自然を破壊し、賭博という人間の良心までむしばむ施設を、経済振興というお題目で施行しようという政府の在り方に、疑問を禁じ得ない。

▼オウム真理教のアサハラと幹部6人の集団死刑。そして
、山が崩壊するという豪雨での多数の死者。この歴史的事象の中での「IR法」の審議。このことは国民にとって、何を示唆するものなのだろうか。

▼「防災強化」という、今後の我が国の在り方は【9条改正】という、自衛隊の軍隊化につながるのではないかとの懸念を、国民に示唆しているような気がしてならない。もちろん私のこの妄想が、杞憂であればいいが。

▼だがこの「杞憂」であってほしいという気持ちが、災害を防除できない大きな原因なのかもしれない。

▼私が楽しみにしている大相撲が始まったが、上述した二つの事象で気が沈み、後半だけの数番しか見なかった。いつもは、幕内の土俵入りから、ビール片手にちびちびやりながら観戦するのが楽しみなのだ。

▼今応援しているのは、大関初場所を迎えた「栃ノ心」だ
。彼が幕内に上がった時から、将来を期待し応援していた。栃ノ心は、時々私たちの酒宴に同席していた、40代の真面目な男性に、よく似ていた。その男性は子供がまだ小さい時に、奥様に急死されたという。そんなこともあって、栃ノ心を応援していた。

▼栃ノ心の大関昇進で、大相撲観戦が今や最大の私の楽しみとなっている。居間から見える庭は、赤い「もみじ」と「いちい」や「石楠花」の若緑の葉が、小雨降る中で鮮やかなコントラストを見せている。

▼上口と底の部分が紫色で、手作りのガラスのスタンド型の器。そこに大きめの氷をたっぷり詰め込み、薩摩の芋焼酎を注ぐ。酒の肴は、友人が練り上げた緑色の器に、冷ややっこ。醤油は甘く深みがある、隣町で製造の「がごめ醤油」。漬物二品は、秋田名産「いぶりがっこ」と「奈良漬」だ。三役揃い踏みで、栃ノ心の勝負を待つ。

▼ここで「待った」が入る。先日、Tという本屋で「国体論」という、ちょっぴり古めかしいが、若手の政治学者が上梓したと、ベストセラーとなっているという本を購入してきた。

▼この本屋、軽食もでるしコーヒーもあり、今までの本屋の概念を取り払った経営で有名だ。その日も秋田物産展が開かれていた。秋田と言えば「えぶりがっこ」だ。大根を燻煙し、糠につけた郷土食だ。

▼40年以上も前、秋田県出身のママの小料理屋で「いぶりがっこ」を注文し、飲んだ頃の思い出した。今は故人となったが、年齢は5歳ほど上の友人と二人で飲んでいた。「明日は会社が休みなので、今夜、青森に行こうか」という話になった。津軽海峡には、まだ青函連絡船が走っていた時代だった。

▼秋田出身のママも、海峡を渡り函館に着いた当時を思い出したのか「若いというのはいいわね。船の中で、飲んでちょうだい」と、ウイスキーをいただいた。そんな人情が、まちに満ち溢れていた頃の、港函館だった。翌朝二人は、岩木山が見える、弘前城にいた。私の中で「いぶりがっこ」はそんな思い出の中にある。

▼ところが、品名は「いぶりたくあん」だ。理由をたずねると「がっこは方言なので、皆様に理解されないので“たくわん”にしています」という。・・・???。でも、そんな思い出がよみがえってきたので、購入してきた。

▼亡くなった友人をしのんで、えぶりがっこの味を確かめながら、冷たい芋焼酎を飲んだ。えぶりがっこの味は、名前を変えても、当時の人情と思い出は、ちっとも色あせず蘇ってきた。

▼栃ノ心は全勝を維持した。だが、私は彼に苦情を伝えたい。途中、左の肘を相手のあごにあてがい、相手をのけぞらせようとした。そのしぐさは前日にもみられた。白鵬の肘鉄同様に、みっともない戦いだ。優勝を狙い、横綱を目指すなら、心・技・体を極める、美しく強い横綱になってほしいからだ。そんな正々堂々とした相撲を取ってほしいと望むのが、栃ノ心フアンの一致した気持ちなのではないか。

▼サッカーのワルドカップに沸き立つ日本。未曽有の大雨災害とアサハラの死刑執行。その中での「IR法案」の審議。

▼こんな手法は、アベ政権が目指す「戦後レジームの解体」の「氷山の一角」ではないかと、グラスの中の大きな氷を眺めながら妄想を働かせる、酔うほどに邪推が働く、相撲フアンの私だ。

▼私は家の中で大相撲を観戦し、美味しい焼酎を飲んでいた。西日本の豪雨災害が叫ばれる中、アベ総理の仲間が集まり、議員宿舎で宴会を開いていたというニュースが報じられている。

▼翌日、アサハラたち7人の大量死刑を前にした、上川陽子法務大臣もいたという。アベ政権というのは、実は恐ろしい企てをしようという集団なのだろうか。

▼いやな思いがする新聞記事だ。

オウム真理教が日本で生まれたということ

2018年07月10日 08時43分15秒 | えいこう語る

▼阪神大震災直後の、オウム真理教によるサリン事件。関東大震災の時「混乱に乗じた朝鮮人による凶悪犯罪や、暴動など画策しているので注意を要する」という内務省の通達が、朝鮮人の大量虐殺(数千人ともいわれる)につながったことを想起させられた。

▼もちろん、政府からのなんらかの示唆で、サリン事件が起きたわけではないが、当時の日本政府への不満が、大震災後の混乱に中でこの事件を起こさせた原因の一端ではないかと思う。

▼とはいっても、どうしてこんな大事件に至ったのか、これが真相だという決定的な論評は、見えてこない。だが、真相があいまいなままで、収束させては、今後の我が国の行く末にとって、大きなマイナス要因になるような気がしてならない。

▼敗戦から今まで、一度も戦争がなかった平和国家日本。世界に誇るべき憲法を変えて「戦争ができる国」にしようとするのは「国家転覆」に等しい行為ではないか。オウム真理教が目指したものは「憲法改正」と根底は似ていやしないだろうかというのが、私が最も心に引っかかるものだ。

▼昨夜、憲法学者長谷部恭男著「法とは何か」河出書房を開いてみた。【人間は自由なものとして生まれた。しかしいたるところで鎖につながれている】というのは、ジャン・ジャック・ルソーの「社会契約論」の冒頭にある。

▼ルソーは、人間は自然状態では自由だったが、生命や財産の保全に係る問題など、自然状態で発生するいろんな障害のため、その対応に政府を設立することになった。だが、国家の下で暮らす人民が自然状態と同じように自由であるためには、この法を人民自身が制定する必要があるという。

▼人民は幸福が何かを分からない。そこで大衆を啓蒙し導く「立法者」が必要となる。ルソーが挙げる「立法者」とは天才だ。彼は人民に政治制度の枠組みを与え、それを通じて彼らの人間性そのものを変革する。だが、人民を言葉で説得しようとしても目先の利益にとらわれた人民には理解されず失敗に終わる。そこで「立法者」は【神の力】を借りて人民を心服させ、力に訴えることなく、彼ら自身の長期的利益に従うよう、彼らに制度の軛(くびき)を課す。

▼だが、天才的な「立法者」が出現しても長続きはしない。
立法権は徒党を組む職業政治家に乗っ取られて、人民集会など夢想だと笑われ、国を守るための兵役は忌避されて、傭兵(米軍?)がそれに代わることになる。人々が社会全体の利益を志してそれに命を捧げることもなく、ただひたすら自分自身の利益を願う社会、それが「立法者」の出現という奇跡に恵まれない現実世界の標準的姿だ。

▼さらに【正当化可能な理想の政体は、宗教という高貴な詐術の力を借りない限り維持できない】とある。

▼拙い解釈と過度の妄想しか持たない私は、ルソーの「社会契約論」の中に、オウム真理教とアベ長期政権が出現した、日本社会の現在の病巣を見る。

▼アサハラの死刑執行と同日に、アベ総理は「賭博法」といわれる「IR法案」の説明を国会本会議で行った。「ギャンブル依存症は制御されるといい、世界に日本の魅力を発揮する総合的なリゾート施設だ」と強調した。次期オリンピック招致で「福島の汚染水は完全にコントロールしている」という、内容と酷似している。

▼「賭博」こそ、大勢の国民をマヒさせる「サリン」ではないか。その法案で「世界に日本の魅力を発信する」というのは、アサハラの考えに似ているのではないかと、私の勝手な妄想がオバーヒートしてしまう。

▼さて、昨夜の私の夢だ。アサハラショウコウとアベシンゾウが握手をし「社会契約」を結び、アベシンゾウを後継者にすると宣言した所で、かろうじて夢から覚醒したのだ
。この覚醒が少し遅ければ、私も信者にされていたのかもしれない。

▼フロイトは「夢は抑圧された無意識の欲望か、他のものに置き換えられたり圧縮されたりして、姿を変えて現れたもので、欲望の充実を目的としたものだという。

▼もしそうだとしたら、私の夢は欲望の充実したものではないかと思うが、元は極度の妄想から来ているので、不確か極まるものであるとの認識は、自覚しておかなければならないようだ。

▼謎が深まるオウム真理教。その真相を「社会契約論」から引き出してみたが、引き出し方が強引で未熟なのは、アベ総理とちょっぴり似ているのではないかというのが、私の今朝の結論だ。

オウム真理教が日本で生まれたということ

2018年07月09日 10時41分44秒 | えいこう語る

▼阪神大震災直後の、オウム真理教によるサリン事件。関東大震災の時「混乱に乗じた朝鮮人による凶悪犯罪や、暴動など画策しているので注意を要する」という内務省の通達が、朝鮮人の大量虐殺(数千人ともいわれる)につながったことを想起させられた。

▼もちろん、政府からのなんらかの示唆で、サリン事件が起きたわけではないが、当時の日本政府への不満が、大震災後の混乱に中でこの事件を起こさせた原因の一端ではないかと思う。

▼とはいっても、どうしてこんな大事件に至ったのか、これが真相だという決定的な論評は、見えてこない。だが、真相があいまいなままで、収束させては、今後の我が国の行く末にとって、大きなマイナス要因になるような気がしてならない。

▼敗戦から今まで、一度も戦争がなかった平和国家日本。世界に誇るべき憲法を変えて「戦争ができる国」にしようとするのは「国家転覆」に等しい行為ではないか。オウム真理教が目指したものは「憲法改正」と根底は似ていやしないだろうかというのが、私が最も心に引っかかるものだ。

▼昨夜、憲法学者長谷部恭男著「法とは何か」河出書房を開いてみた。【人間は自由なものとして生まれた。しかしいたるところで鎖につながれている】というのは、ジャン・ジャック・ルソーの「社会契約論」の冒頭にある。

▼ルソーは、人間は自然状態では自由だったが、生命や財産の保全に係る問題など、自然状態で発生するいろんな障害のため、その対応に政府を設立することになった。だが、国家の下で暮らす人民が自然状態と同じように自由であるためには、この法を人民自身が制定する必要があるという。

▼人民は幸福が何かを分からない。そこで大衆を啓蒙し導く「立法者」が必要となる。ルソーが挙げる「立法者」とは天才だ。彼は人民に政治制度の枠組みを与え、それを通じて彼らの人間性そのものを変革する。だが、人民を言葉で説得しようとしても目先の利益にとらわれた人民には理解されず失敗に終わる。そこで「立法者」は【神の力】を借りて人民を心服させ、力に訴えることなく、彼ら自身の長期的利益に従うよう、彼らに制度の軛(くびき)を課す。

▼だが、天才的な「立法者」が出現しても長続きはしない。立法権は徒党を組む職業政治家に乗っ取られて、人民集会など夢想だと笑われ、国を守るための兵役は忌避されて、傭兵(米軍?)がそれに代わることになる。人々が社会全体の利益を志してそれに命を捧げることもなく、ただひたすら自分自身の利益を願う社会、それが「立法者」の出現という奇跡に恵まれない現実世界の標準的姿だ。

▼さらに【正当化可能な理想の政体は、宗教という高貴な詐術の力を借りない限り維持できない】とある。

▼拙い解釈と過度の妄想しか持たない私は、ルソーの「社会契約論」の中に、オウム真理教とアベ長期政権が出現した、日本社会の現在の病巣を見る。

▼アサハラの死刑執行と同日に、アベ総理は「賭博法」といわれる「IR法案」の説明を国会本会議で行った。「ギャンブル依存症は制御されるといい、世界に日本の魅力を発揮する総合的なリゾート施設だ」と強調した。次期オリンピック招致で「福島の汚染水は完全にコントロールしている」という、内容と酷似している。

▼「賭博」こそ、大勢の国民をマヒさせる「サリン」ではないか。その法案で「世界に日本の魅力を発信する」というのは、アサハラの考えに似ているのではないかと、私の勝手な妄想がオバーヒートしてしまう。

▼さて、昨夜の私の夢だ。アサハラショウコウとアベシンゾウが握手をし「社会契約」を結び、アベシンゾウを後継者にすると宣言した所で、かろうじて夢から覚醒したのだ。この覚醒が少し遅ければ、私も信者にされていたのかもしれない。

▼フロイトは「夢は抑圧された無意識の欲望か、他のものに置き換えられたり圧縮されたりして、姿を変えて現れたもので、欲望の充実を目的としたものだという。

▼もしそうだとしたら、私の夢は欲望の充実したものではないかと思うが、元は極度の妄想から来ているので、不確か極まるものであるとの認識は、自覚しておかなければならないようだ。

▼謎が深まるオウム真理教。その真相を「社会契約論」から引き出してみたが、引き出し方が強引で未熟なのは、アベ総理とちょっぴり似ているのではないかというのが、私の今朝の結論だ。