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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

椴法華物語 NO3

2010年05月14日 13時24分06秒 | えいこう語る
日持上人、その後の活躍でございます。
当時、蝦夷ガ島は、未開の土地でございます。
道を開き、橋を架け、各地で法座を開き、獅子奮迅の働きをいたします。
その間に、各地に多くの経文を書いた石や、仏像など、後世、この尊い教えの光が、必ずや、世を照らさんことを祈り、埋蔵いたします。
後に、この地の領主でありました、小林太郎左衛門良景がこれを発見、後生庵と名付けたお堂に、発掘した経石と、仏像を安置いたしました。
これが今日の、日持山妙應寺という、日持上人が、蝦夷ゲ島上陸の地、下海岸石崎町にある、お寺でございます。
写真 日持山妙應寺


日持上人、さらに教えをひろめるため、下海岸を北上いたします。
急峻な崖が、行く手を阻み、土地の人たちのご協力を得まして、磯舟で海岸を進みます。
ある、朝早くの事でございます。尻岸内(シリキシナイ)という、集落に着いた、時のことでございます。
これまでの、狭い海岸線にない、広々とした、美しい海岸に、思わず心を奪われ、腰を下ろしておりました。
その時でございます。東の水平線より、真っ赤な朝日が、ゆっくりと昇り始めます。
この世のものとも思われぬ美しさ、昇る朝日に向かい、一心不乱にお題目を唱え、布教の決意もあらたにいたします。
後にこの浜が、日の出の美しさより、日の浜と呼ばれるように、なったのでございます。
その、日の浜についたのは、ちょうど、五月も末頃のこと、だったのでございます。
日の浜の海岸から、北の方角に目をやれば、白煙たなびかせ、山肌もあらわ、噴火の跡を残す、なにやら、霊験あらたかな、全山真っ赤に染まる、不思議な山が見えます。
日の浜地区から恵山を望む。五月末には、ツツジで山が赤くなります。


なぜこの山は赤いのだろうと、日持上人、山に登り、確かめることに相成ります。
山の頂につきますと、なんと山一面に、真っ赤なつつじが咲き誇り、その周囲には、数百種とも思われる、高山植物が自生していたのでございます。
あまりの美しさに感激をし、これこそ大自然の恵みの山だと、山の麓に住む人々に伝えたところ、恵みの山から、後に恵山となりました。    つづく


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (深山あかね)
2010-05-15 10:12:00
 日持上人のご遺徳が、なぜか広島の浄土真宗の安芸門徒衆にも伝わってきます。
 広島では平和の語り部がおいでになりますが、椴法華にも日蓮宗の中興の祖といわれる人が誕生しそうですね。
 数年前、奈良を旅行したとき天理教の人に天理教の宿舎のようなところに泊めていただいたり朝のお祈りに参加させていただいたりしました。
 奈良の都を訪ねまわるにつれ、どうしてすぐそばに天理教がおこり栄えたのか私なりに納得できたようなきがしました。
 続きを楽しみにしています
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Unknown (■かわぐち えいこう)
2010-05-16 05:55:14
あかねさんへ。函館山の麓は、西部地区といわれ、歴史的な建物が保存されている地区です。ここには、神社仏閣、教会が、なかよく建ち並んでいます。歴史的には争ったこともある各宗教が、函館という開港都市で、融合され共に生きてきたことの不思議さを感じます。函館の街並を散策すると、心が安らぐというのは、そんな環境のせいかもしれません。安芸門徒宗にも日持が顕彰されているというのは、始めて聞きました。うれしい話です。私の子供の頃、村にも天理教がありました。打ち鳴らす太鼓の音が、今も記憶にあります。
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