▼ロシアの侵攻で、ウクライナの若い女性たちが、自ら兵役に参加している。弟が日露戦争に駆り立てられた時の、歌人与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」を思い出す。
▼国家の為に自ら戦場に出る者、国家の為に兵役に駆り出される者、戦争は「国家の為」という大義名分がまかり通る。
▼民主主義の発祥地、古代ギリシアの都市国家アテネイでは、市民も参加した民会で戦いが決議されると、それに従うことで民主主義が形成された。
▼我が国は憲法を無視した「敵基地攻撃能力」や「防衛費の倍増」を閣議決定した。やがて「徴兵制度」も可能とするのだろう。もはや国民不在の国政は、民主主義国家と呼べない。
▼寺山修司の「マッチ擦るつかのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」という句を思い出す。
▼民意を無視した今の日本に、身を捨てる覚悟などわいてはこない。だが古代の民主主義の本来の姿は、国家を守る為に自らも戦争に参加することだという。
▼その当時は正しい理解だったかもしれない。だが人類は戦争を続け、戦争をしないことが民主主義の本質であることを実証した。それが現在の民主主義の正当な解釈だ。
▼だが祖国を守るために、自ら戦争に参加する国民がいる国が、真の民主主義国家だと、今の政権は主張する。
▼その考えは、民主主義が未熟だった時代の考えだ。民主主義国家とは、戦争のない平和で自由な国家のことを言う。
▼政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう、国家の基本秩序である憲法も「大日本帝国憲法」から「日本国憲法」へと進化したからだ。
▼それを壊そうという者たちに、政権を委ねてはならない。民主主義の手続きはそのためにある。民主主義を守るための“戦い”こそ、真の民主主義ではないか。
▼【国民よ、民主主義のために立ち上がれ!。身捨つるほどの祖国のために!】。昨日私は、チャップリンの独裁者になって、夢の中で演説をしていた。