函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

民主主義は機能しているのか

2023年01月22日 12時04分21秒 | えいこう語る

▼戦後米国で活躍した、ドイツ生まれの古典ギリシア哲学の研究家、レオ・シュトラウスは【人は多数の人間が集まった公的な場では、本当のことを言うことはできない。そこで述べることは基本的には大事なことではない】。

▼若い頃は知識も経験も少ないので、大勢の前での発言はためらっていた。年齢を重ねるにつれ徐々に発言できるようになった。

▼だがそれは、自分の考えを発言できるということであって、内容が充実しているということではなかった。

▼今や高齢者に属し、会議のメンバーの中でも先輩格ともなれば、発言はしやすいが、気がつけば“慎重”という重しを、自らに課していることに気が付く。

▼なんとなくその場をまとめる位置に属することを、自ら選んでしまうからだ。周囲からもそのような役割を、期待しているように思えるからだ。

▼近年自らが、体制側に属する体質になってしまった感じがする。そんな人間を多く見てきたので、少なくてもそうはならないように、若い時分からずっと体制批判?が、自分の存在位置だと考えてきた。

▼もし体制側の色がつきすぎる人間になってしまえば、社会の益に決してならない人間になる。そうなってしまえば、体制側の思うつぼの人間だ。公的な会議では、そのような人間が圧倒的に多い。

▼そんな会議に参加しては、交通費(税金)も支出されているので、政治活動費をでたらめに使っている、議員のような気分になってしまう。

▼そんなことで、いただく“税金分”以上に、発言することに心がけている。様々な会議に出席してきたが、まったく発言しない方がいる。そんなことなら、参加を拒否すればいいと思うが、頼まれて断り切れないという人もいる。

▼とにかく対話し合うことが、会議を意味あるものにすると思うが、大抵はそうならない。異議なしの“同調圧力”が、会場を支配しているからだ。

▼だから、レオ・シュトラウスの【多数の人間が集まった公的な場では本当のことを言うことはできない。そこで述べたことは基本的に大事なことではない】という言葉に、シンパシーを感じる。

▼実は現在教育方針の10ヶ年計画なるものの審議委員になっている。今後10年は、戦後日本の大転換期を迎えるのではないかと、団塊世代の私は予想している。

▼だが、基本計画の見直しにあたって、訂正箇所を「書面開催」で行うとして、書類が送られてきた。基本計画なる分厚いものは、関係者でなければ絶対読みたくない代物だ。

▼だが当事者なので目を通した。何かが決定的に欠けていると思った。そこで教育基本法を開いてみた。

▼改正教育基本法第1条(平成18年)=【教育は人格の完成を目指し、“平和で民主的”な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない】。

▼「平和で民主的」とあるが、今回の基本計画には“平和”の文字が一つも盛り込まれていない。旧教育基本法第1条(昭和22年)にも【教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として…】と、“平和”が盛り込まれている。

▼今後10ヶ年の教育基本計画に「平和教育の必要性」を盛り込むことが、私は自分たち世代の責任のように感じている。

▼平和なくして子供たちの健全な教育などないからだ。ウクライナからは毎日のように子供たちの悲痛な叫び声が聞こえているのではないか。それなのに「書面開催」などは非民主的過ぎはしまいか。

▼【対話自体に意味があると思えることが大事なのです。対話は必ずしも「理性的」というものではありません。それよりも「倫理的」といった方がよいかもしれません。対話によって、人格的に少しはましになってゆく、昨日よりはましな人間になれるという思いを共有した、対話ということなのです】。京都大名誉教授・佐伯啓思著「さらば、民主主義」より。

▼読む本によりに、叱咤されたり勇気づけられている、コロナ禍で引きこもりの、少し偏屈ではないかといわれるこの頃の私だ。