函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

戦死者を介した日本国憲法

2023年01月18日 19時23分28秒 | えいこう語る

▼「日本国憲法第9条」は「戦争放棄」だ。陸海空軍その他の戦力は保持しないとある。日本人なら誰が考えても、第2次世界大戦での惨劇の結果にこの「9条」が生まれ、それが戦後長く続いた平和国家の要因ではないかと考える。

▼以前靖国神社を参拝し「9条」を読み上げた私は、「9条」は戦争で亡くなったすべての人が、日本国民へ与えた最大の贈り物と考えた。

▼そして靖国神社こそ、戦争反対の象徴的存在ではないかと確信した。だから義務教育での修学旅行に、靖国神社の研修は欠かせないと、そこで実感した。

▼近年教育関係の会議に出席することがある。だが「戦争」という日本語は、ここではタブーのような雰囲気がある。

▼会議の最後に「その他」という自由な質問時間がある。私は「その他」が、私の発言の場だと考えているが「戦争」についての発言は、いまだ発したことはない。

▼「教育」と「戦争」は、過去に一心同体だったからか?。だが昨今の我が国の政治状況は、「軍事拡大」に真表面から向かっている。今が話す機会だと思っているが、その一歩を踏み出せないでいる。

▼昭和22年に文部省が出した「新しい憲法のはなし」という本がある。終わりの方にこんな文章が書いてある。

【このような大事な憲法は、天皇陛下もこれをお守りになりますし、国務大臣も国会議員も、裁判官も、みなこれを守っていく義務があるのです。・・・日本の国はまごころから守ってゆくということを、憲法できめました。みなさん新しい憲法は、日本国民がつくった日本国民の憲法です。これから先この憲法を守って、日本の国がさかえるようにしてゆこうではありませんか】。

▼「憲法改正」論議がかまびすしい中、文部省はだんまりを続けている。こんな体制だから【いじめ問題】など、いつまでも解決できないのではないか思ったりもする。

▼話は「その他」にずれたので、本題に戻そう。今読み始めている「さらば民主主義」の著者である、京大名誉教授の佐伯啓思が、12日の北海道新聞「各自各論」に「日本人の信仰の原点」・「死者を介した人のつながり」という文を載せている。

▼戦後日本では、戦前の国家神道への反動もあって、宗教のみならず、日本人の伝統的な信仰の基盤までも掘り崩されてしまった。近代の合理的思考が「正しい」とされると、神仏や霊魂といったえたいのしれない観念は、迷信の類と同列に扱われかねない。人の宗教心の起点には「死への恐怖」や「死後の世界」への関心がある。未知の深い闇へ向かうという恐怖を多少なりとも和らげるのは宗教心だ。死者は聖者とつながっている。そこから人々の倫理観も生み出されたのであろう。このような精神的習慣を戦後のわれわれは失ってしまった。

▼戦後生まれの私は宗教心が薄い。だが靖国では英霊たちの声が聞こえた。【戦争など二度としてはならない】と。

▼「日本国憲法」は、夥しい国民の犠牲の上に成立した。それも国家の強制によるものだった。
民主主義発祥の地のアテネイでは、国民が国家を守るために戦争に参加した。そこには個人や人権を自らが守るという考えがあり、それが民主主義の原点だった。

▼真の民主主義とは、国家を守る国民が居てのことだと、憲法改正派は主張する。だがそれは、国民が自らそれを多数決で賛成した上のことだ。

▼だがここに民主主義の最大の問題がある。現在の各新聞社での世論調査で「過半数以上」が、軍備費増強に賛成しているからだ。

▼民主主義の原点である多数決、ここに民主主義の微妙な罠が潜んでいる。トランプ大統領も多数決で選ばれた。この多数決は、かつて全権委任のヒットラーを生み出している。

▼民主主義は全体主義も内包している。近年民主主義の劣化が叫ばれているが、我が国では民主主義をその主権者である国民が、深く正しく理解しないまま、過ごしてきたからではないだろうか。

▼ここは踏みとどまって、文部省の「あたらしい憲法のはなし」に立ち返ることが必要ではないか。そこから始めると、日本民主主義の正しい方向性が見えてくるような気がする。

▼【教育とは健全な地域社会と、健全な人間をつくる】といったのは、プラトンだ。だがソクラテスもプラトンも民主制には反対だっただという。彼らはそこから「哲学」を生み出したという。佐伯啓思著「さらば、民主主義」より。

▼哲学なき民主主義国家が、現在の日本なのかもしれない。そういえば、国家神道から旧統一教会へと、自民党が一体化しようとしていた。

▼「日本国憲法」は戦争で亡くなった人たちの犠牲の上に生まれたと解釈する。そうであれば「憲法改正」の国民投票時には、犠牲になった「310万人」を「9条改正」の反対者に数えなければならない。

▼この考えを忘れては、国家や国民を守るために戦った死者たちの声を、無視したことになる。「死者を介したつながり」を忘れては、我が国と国民は神仏をも無視した、無慈悲で残酷な国民となってしまいそうな気がする。

▼憲法改正論議とは、民主主義が果たして正当なものかという、問いかけでもあるような気がしている。

▼戦後民主主義時代にどっぷりつかってきて、今は迷うに迷う田舎おやじの心だ。