夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

末の松山

2012-09-21 23:18:45 | 日記
『新潮45』9月号の猪瀬直樹さん(作家・東京都副都知事)のインタビュー記事を読んでいて、次のくだりが印象に残った。


「日本列島は昔から各地で地震、津波、台風、洪水、噴火といった災害に見舞われてきた。今回また、あれだけの巨大地震と津波を経験したことで、この国の歴史は常に自然災害と共に刻まれてきたということが、日本中で改めて認識されたと思います。

もちろん、津波や洪水が多いというのは、ある意味では恵みです。「瑞穂の国」という言葉がありますが、水が豊富だからこそ田畑は潤い、稲も育つ。でもそれは洪水や地震と隣り合わせの土地でもある。

百人一首に、清少納言の父、清原元輔の「契りきな かたみに袖をしぼりつつ末の松山 浪越さじとは」という歌がありますが、あの歌は、貞観十一年(八六九年)に東北地方を襲った巨大地震、貞観地震を踏まえています。「末の松山」というのは、仙台湾から内陸に2キロほど入ったところにある多賀城市の寶国寺の裏山の松。多くの人命を奪ったであろう貞観地震の際の津波も、「末の松山」の高台までは届かなかったことから、「どんなに波が荒れても、末の松山を波が越えることはない(ように、お互いの気持ちも変わらないと約束したはずなのに)」と詠っている。今回の震災でも陸前高田の松林は壊滅状態でしたが、「末の松山」は津波を逃れました。

(写真は記事とは別のもの)
都で恋の歌としてこの歌が詠まれたのは、貞観地震のおよそ百年後です。どんな大災害も、一世紀も経つと文化になる。日本特有の無常観や死生観といったものも、そうした災害を通して培われてきたのでしょう。北海道から沖縄まで、日本列島に住む我々は、そういう文化を共有する一つの共同体なのだという認識が、今回の大震災によって再発見されたと思います。」


実際は、「末の松山」を多賀城市に比定する積極的根拠はなく、宝国寺の裏山の松とするのは、後代に作られた遺跡かもしれないという説もある。また、清原元輔の歌は、先行する『古今集』(延喜五年905年第一次成立)巻二十の歌「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」(東歌・読人知らず)を踏まえて表現しているので、そのことについては触れておかなければならない。

ただ、「末の松山」は、単にありえないことのたとえとして引き合いに出される歌枕(和歌に詠まれる名所)ではなく、実際に大津波にも流されなかった松という、災害の象徴として人々に記憶されていたものかもしれないという気はする。「末の松山」がしばしば悲恋の象徴となるのも、古来大きな地震のたびに津波の被害が発生した三陸地方の、様々な悲劇や惨事の記憶が人々の意識の底に沈殿していたからかもしれない。

それにしても、もし末の松に心があったならば、大地震があった後の津波の被害や世の騒ぎ、人々の悲嘆や動揺を見聞きして、どれほど心を痛めたことであろうか。

  いにしへの末の松山 大地震(おほなゐ)の後の嘆きをいかに聞きけむ

もうすぐ文化祭

2012-09-20 22:04:38 | 日記
本校では来週が文化祭なので、生徒たちがその準備で目の色を変えている。勉強もこれくらい一生懸命やってくれたら、もっと成績が上がるだろうに(笑)。

模擬店でたこ焼きをすることは、以前書いたと思うが、店の名前は結局「TKY48」ではなく、「八つ足本舗」になったらしい。

昨日の学級会では、屋台の製作担当の「美術班」とたこ焼き・飲み物担当の「調理班」にわかれて作業を行っていた。来週のLHRの時間も準備に使わせてほしいと生徒に頼まれたので、OKした(担任として甘い!?)。たこ焼きの試作もするそうなので、食べさせてもらえるだろうか?

買い出しだ、看板作りだ、などと、生徒たちが嬉々として文化祭の準備をしている様子を見ると、羨ましくなり、仲間に入れてもらいたくなるが、そうもいかないのがつらいところだ。

買い出しといえば、私も高校の文化祭の時に行ったなあ。高3の文化祭で、私のクラスでは学校の中庭のスペースを使って縁日をすることになり、いくつかのグループに分かれて、それぞれの屋台を出した。ジュースや駄菓子売りの屋台、ビニールプールいっぱいに水ヨーヨー、射的、くじ引きなどの屋台もあったと思う。

私たちは縁日っぽいおもちゃの屋台を出すことにし、私と友人T君とで確か東京の蔵前の玩具問屋に行った記憶がある。露店で売るようなおもちゃはここで扱っていると、店の名前も含めて、別の友人が親から聞いて教えてくれたのだ。今の高校生は、インターネットで何でも調べられるし、実際私のクラスの生徒も教室のパソコンをフル活用しているが、昔はそんな便利なものはなく、私とT君は問屋の名前と住所・電話番号、電車の乗り継ぎの仕方を書いたメモを見ながら、不安と期待を胸に買い出しに行った。

どんなおもちゃを買ってくるかは一任されていたが、みんなでお金を出し合った予算も多くはなく、必ず売れそうで利益も出るものを選ぶのは、結構大変だった。で、結局、子供の喜びそうなもの(私の母校は近くに小、中学校があったので、毎年子供がたくさん来た。家族連れも多かった)として、水鉄砲、スーパーボール、ヨーヨー、パチンコ、シャボン玉遊びセット、吹くとピロピロー♪と伸びる笛、などを買ったと思う。T君は、「スライムも買おう」と言ったが、それはさすがに気持ち悪いのでやめてもらった。

当日は、期待したほどおもちゃは売れなかったが、それでもなんとか黒字にはなった。お面がよく売れ、特にドラえもん、ドラミちゃん、ハローキティ、ゴレンジャーのお面が売り上げを支えてくれた。私がいいと思って仕入れたフェリックスのお面は、なぜか人気がなかった(泣)。

また、縁日のおもちゃの定番と私が秘かに自信を持って仕入れた、目玉商品のはずの指輪は、全く見向きもされなかった。仕方がないので、春の教育実習で私たちのクラスに教えに来た教生の先生が彼女を連れて来たので、無理矢理買わせ、残りは文化祭終了後、クラスの女子にあげた。

…昔のことなのに、文化祭の思い出はまるで昨日のことのように蘇る。今の教え子たちにも、文化祭でたくさんの思い出を作ってほしい。


ナポレオン・ヒル『仕事の流儀』(1)

2012-09-19 23:25:44 | N・ヒル『仕事の流儀』
昨年、タイトルに惹かれてナポレオン・ヒル著『仕事の流儀』(きこ書房)を買い求め、一読して仕事への行き詰まりを感じた時にこそ読むべき本だと感銘を受けた。以後、時折読み返していたが、少し前から思い立って、原著“How to sell your way through life”を手に入れ、ゆっくりゆっくり読んでいる。

今日は、「集中の原則」について述べたくだりが、特に印象に残った。ヒル博士は、2,5000人以上に及ぶ男女の調査の結果から、失敗した人に共通して見られるのは、集中の原則に従っていないことだという。たいていの人は、これと決めた目標があるのに、そこに自分の心を、集中の原則を通して、しっかり焦点を合わせておく習慣を維持できないために、成功できない。

人々のうち95パーセントは、目標がありながら、それについて理解しようとしていない。というのも、自分の潜在意識を自分の目標という対象に十分な時間、ぴったりと固定できるよう集中する技術を学んでいないからである。

Consentration develops the power of persistence and enables one to master all forms of temporary defeat. The majority of people never learn the real difference between temporary defeat and permanent failure, for the reason that they are lacking in the persistence necessary to stage a comeback after they have experienced temporary defeat. Persistence is merely concentrated effort well mixed with determination and faith.

集中力は不屈の力を発達させ、人があらゆる種類の一時的な挫折を克服することを可能にする。大多数の人々は、一時的な挫折と一生消えない失敗との本当の違いを決してわかっていない。というのも、彼らには、一時的な挫折を経験した後で、立ち直りを演じるのに必要な粘り強さが欠けているからである。粘り強さは全く、決心と信念がうまい具合に混じり合った、凝縮した努力なのである。

たぶん誤訳も多々していると思うのだが、邦訳をすらすら読むより、たどたどしくても原著で読む方が、ずっと著者の言いたかったことを自分の血肉化することができるような気がする。これからも少しずつ読み進めて、読破する頃には今よりも謙虚に自分の日常の仕事から学べるようになっていたい。

「ベティ・ブルー~愛と激情の日々~」(その2)

2012-09-17 16:16:11 | 映画
感想

この映画はいろいろな見方ができると思うが、私はベティのゾルグに寄せるひたむきな愛情と、信じる力の強さがいちばん心に残った。ベティの信じる力が、ゾルグを小説家として世に出したのだ。

ベティと出会ったとき、ゾルグは以前小説を書いたことはあっても、散漫な出来のもので、本人はこんなものはダメだと思っていた。しかし、ベティは、段ボールに放り込まれていたゾルグの小説ノートを発見すると、数10冊あったそれらを1昼夜不眠で読み通してしまう。しかもその後で、ゾルグのために七面鳥を焼き、「すばらしい才能だわ」と祝ってやる(写真)。

リザの家に移ると、ベティは慣れない手つきで(左右とも1本指で!)タイプライターを操作し、ゾルグの小説をノートから活字に起こしてくれる。そして、パリ中の出版社を全てリストアップし、本人の同意も求めず原稿を郵送してしまう。

ゾルグの小説を酷評した作家には、自宅に押しかけて苦情を言う。ゾルグに対しても、
「ペンキ塗りなんて才能のムダ遣いよ」
「屁理屈を言うより、小説を書いたら」
「本が出版される夢を見たわ」
などと、小説家になることは最初からあきらめて、ベティと一緒に暮らせることだけで満足しているゾルグを叱咤したり、励ましたり、本来の才能を大事にすべきだと訴えようとしている。

それだけに、ゾルグがようやく本気になって小説を書き上げ、出版社に認められて本にしてもらえるという朗報を、真っ先にベティに告げようとしたときには、ベティはすでに狂気に冒され、ゾルグの言葉も届かない、という場面がたまらなく悲しかった。その前にゾルグは、「ツキが回ってきた。次の作品を書いている。君のために」と思っていたが、ベティのためにはもう遅かったのだ。

……その言葉が、自分を信じ、その可能性を引き出そうと真剣になってくれる人のものであれば、自分も真剣に向かい合わなければきっと後悔すると思った。

激しい愛欲シーンもあるので、そういうのが苦手な人にはおすすめできないのだが、映画らしい映画を観た、という気分になる。この写真のベティのワンピースのように、80年代ファッションもおしゃれなので、そうした楽しみ方もできると思う。

野分

2012-09-17 12:46:21 | 日記
「野分」は、野の草を分けて吹く強い風、というところから、主に秋の台風をさす。

岡山市内では、昨夜半前に強い雨がしばらく降り続き、それがやんだ後も、1晩中激しい風が吹いていた。近くの公園の木々に吹きつける風の音が騒がしく、親しく思う人達が無事でいるか不安で、なかなか寝つけずにいた。

1夜明けても強風はおさまらず、午前中は某所での会合に出席したのだが、駐車場に車を停めようとして、大きな木の枝が半ばから折られ、地面に落ちているのを見てびっくりした。

『源氏物語』「野分」の巻に、

  風騒ぎむら雲まがふ夕べにも忘るる間なく忘られぬ君

という歌がある。光源氏の息子の少年・夕霧(15歳)が、幼な恋の相手で、今は人目を忍んで文通している雲居雁(17歳)に、野分が過ぎた後の見舞いに送った歌だが、なぜかこの歌を思い出してしまった。

  夜もすがら思ひこそやれ風あらき野分の音に寝(い)ねがてにして

みなさんは、台風による被害などは大丈夫でしたか?