夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

洋楽今昔

2012-09-06 22:33:41 | JAPANの思い出・洋楽
休み時間や放課後に生徒と話をしていて、ときどき音楽の話題になることがある。

彼らの持っているiPodにどんな曲が入っているのかを聞いてみると、バンプ・オブ・チキンとかソナーポケット、superfly、西野カナ、いきものがかり…。たいていJ-popである。(中には山下達郎とか松山千春(!)というのもいるが…)

私たちの高校の頃は人気のあった洋楽も、今の高校生はあまり興味がないらしく、外国のアーティストの来日や、グラミー賞なども、ほとんど話題には上らない。

これは、日本のロックやポップスの地位向上を示しているので、一方では素直に喜ぶべき状況だと思う。私が洋楽を夢中になって聞き始めた30年ほど昔は、英米と日本とで、ロック歌手・グループの楽曲やパフォーマンスにははっきり違いがあった。

誤解を恐れずに言うと、洋楽はかっこよく、邦楽はダサかった。

けれども、今そんなことを言う人は誰もいない。

自分の国のミュージシャンが、自分の国の言葉で歌い演奏する、質の高い楽曲やライブ・パフォーマンスを楽しめるようになったのは、あまり指摘する人はいないけれど、特筆すべき変化だと思う。

ただ、海の向こうで活動するミュージシャンの動向について、雑誌やラジオやTVで断片的な情報を拾い集め、友達と飽きることなく語り合った、自分の中学・高校のような時代は、もう来ることはないのだということに、郷愁を覚えているだけである。

今の高校生は、YouTubeなどでお目当ての歌手やグループの最新の映像を無料でいくらでも楽しむことができる。私たちの中学や高校の頃は、友達がたとえばDuran Duranの新しいアルバムを買ったと聞くと、何人もでその友達の部屋に集まって、みんなで聴くということが当たり前に行われていた。

そして、ポスターやロック雑誌のグラビア(当時は『ロック・ショウ』や『ミュージック・ライフ』という洋楽専門の雑誌があった)を眺めながら、彼らのステージ・パフォーマンスを心に思い描き、憧れを募らせていた。…なにしろ、当時はレコード(CDは出始めだった)も高かったし、外国のミュージシャンはなかなか来日してくれず、チケットもべらぼうに高かった(と思えた)のだ。


という話をすると、今の高校生には笑われる。友達の部屋に集まって、みんなで同じ曲を、耳を澄ませて聴くなんてありえねー、だろうし、そもそも洋楽がなんでそんなにいいわけ?と思うかもしれない。私たちの頃は新鮮だった、A~haやフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドやカルチャー・クラブも、現在の感性では古めかしく感じられるのだろうな。

でも、海外からの音楽情報に飢餓感を持って、夢中になったおそらく最後の世代であることを、よかったと思う気持ちもどこかである。今週号の『週刊文春』のコラムで、下のDuran Duran『RIO』(1982)が取り上げられていたので、懐かしくなって、つい老いの繰り言を呟いてしまった次第。