夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

「バッハの音」 (授業ノート)

2012-09-09 21:48:04 | 教育
昨日の授業で遠山一行氏の評論「バッハの音」を教えた。

バッハの音楽を、バロック時代の音楽を広く受け入れながら、同時に、時代を抜け出した新しさをもつものとして評価した論であった。

前回の授業で生徒に文章を読んで問題を解かせ、解答用紙を回収して採点・添削しておいたのだが、思いの外に出来が悪かった。文章も平易だし、設問もごく基本的なものだったのに。

しかし、授業前の予習をする段階で、生徒はバッハやクラシック音楽そのものについての知識が少ないために、文章で話題になっていることそのものが把握できず、必然的に、筆者の主張も読み取れなかったことがわかってきた。

たとえば、この文章の書き出しは、「バッハはやはり演奏家だが、~」と始まるのだが、一般人にとってバッハは作曲家であり、宮廷や教会のオルガン奏者として活躍したことを知る人は少ないだろう。生徒にはこういう、読解以前の、文章の背景となる基礎知識から教える必要がある。

ただ、音楽の授業ではないので、教養程度に知っておけばよいことを、辞書や百科事典やWikipediaで調べておいて、クイズ形式で質問すれば、生徒も楽しんでついてきてくれる。バッハがどの国のいつごろの音楽家で、代表曲にはどんなものがあるか。同時代にはどんな音楽家がいたか。できれば、その曲のさわりだけでも聴かせてやればよかったが、CDが手に入らなかったので、代わりに私が「G線上のアリア」の旋律を口ずさんでやった(逆に迷惑?)。この曲は、CMやTV番組のBGMなどでもよく使用されるので、たいていの生徒が知っていた。

生徒にとっては、近代以前の芸術が権門や教会に奉仕する性格が強かったことを知らないのも盲点になっているので、この点は強調しておく。現代文の評論は、駿台の小坂恵子先生が言っていたように、どんなテーマも結局は近代論として集約される。評論を教える場合には、どのテーマであれ、近代/前近代という視点から俯瞰してのコメントは、できれば授業のどこかでした方がよい。

今回の授業では、バロック音楽について、また、バッハの音楽にとって非常に重要な楽器だったオルガンについて、補足的に話をした。もちろん専門外のことなので、事典やネットで仕入れた知識を、授業の合間に、雑談程度に話しただけだが、授業にはこういう埋め草的な話題が必要になるのである。

現代文の授業では、文章を読ませる、語句の意味を確認させる、文章の内容・構成を整理・理解させる、問題を解かせる、解答・解法の手引きをする、といった要素が重要であり、授業の柱である。ただし、そればかりガンガンやると、生徒もあっぷあっぷするのである。かといって、授業に関係ない雑談ばかりすると、生徒がだれてしまったり、授業の本筋に戻すのが大変になったりする。

以前、県の指導主事をされていた辻田詔子先生が言われていたが、教材研究というのは、このようなときのためにもあるのだ。テーマに関することをよく調べておくことで、
「生徒がちょっと疲れているな」
とか、
「板書を早く書き終わった生徒が退屈しているな」
というときに、小ネタ的にそういう話題を繰り出すことで、生徒の集中を途切れさせず、気持ちの方はリフレッシュさせたりすることができる。


昨日、職場でH先生とこういう話をしていたら、
「やはり現代文の先生がいちばん大変ですよね」
と言われた。
「そうですね。いわゆる国語力だけでなくて、現代哲学・思想や現代文化についてもある程度わかっていないといけないし、オタクじゃだめで、幅広い教養が必要ですから…」

私は現在、現代文をメインに教えているので、確かに大変だが、そのぶん勉強しなければ、という気持ちになるので、結局自分のためにもなっていると思う。それに、決まり切ったことを、決まったやり方で教えるよりは、この方が自分には合っているのだ。今後も試行錯誤を続けながら、生徒に「よくわかった」「おもしろかった」と実感してもらえる授業を追求していく。