夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

歌学び、初学び (その六)

2014-06-08 20:38:29 | 短歌
先月は先生のご都合で休講になったため、「初心者短歌講座」は2ヶ月ぶりの参加。

今回の先生のお話は、〈歌人の戦争協力〉について、先生ご自身が結社の歌誌に掲載されたエッセイの文章をもとに行われた。
土岐善麿(ときぜんまろ)が敗戦の翌年(昭和21年)に出した歌集『夏草』の中に、
  あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
という歌がある。

私は土岐善麿といえば、ローマ字3行書きの短歌や、『京極為兼』(日本詩人選15)の著者としてしか知らなかったが、戦前は読売、朝日新聞社に勤めた文化人であり、どちらかというと左翼系の歌人だったそうである。そして戦時中、
善麿のような言論人たちは、黙っていることを許されなかった。天皇を称揚し、戦意高揚の論を張り、歌人ならばその歌を作らざるを得なかった。善麿もそうした。(中略)その果ての敗戦であり、善麿の戦争中の言論を知悉していた老妻からの「あなたは勝つものとおもつてゐましたか」の言葉である。

先生は、先の大戦と歌人との関わり方やその後の態度について、いくつか例を挙げて説明されたが、斎藤茂吉は、 
  軍閥といふことさへも知らざりしわれを思へば涙し流る
と、どこか他人事のような口ぶりである。一方、釈迢空は敗戦の報に接して40日間箱根の山荘にこもり、
  ひのもとの大倭(ヤマト)の民も、孤独にて老い漂零(サスラ)へむ時 いたるらし
という歌を詠んだ。

先生はこうしたエピソードを紹介しながら、僕は戦争中の言論人や文学者たちの責任をあげつらっているわけではない、僕がその当時にいても恐らく時代の空気を変えるようなことはできなかっただろうし、自分の命が危うくなれば我が身を守ることを考えてしまうだろう、ということを言っておられた。

その後は例によって、会員諸氏の詠歌の紹介と、先生による歌の添削。今回の私の歌は、先日詠んだ「深夜の郭公」の歌から三首を選んで提出した。
(提出歌)
  宵闇に声を残してほととぎす消えつる方の空をながむる
(添削後)
  ほととぎす声を残して消えゆきし方の夜空の暗さを見上ぐ
 【解説】
先生に添削していただいている時に、(しまった!『深夜の郭公』で詠んでいるのに『宵闇』(夕方の闇)ではおかしい!)と気づき、慌ててそれを告げたのだが、先生がいいように直してくださった。
私はどうも、言葉だけでなんとなく歌を作ってしまうところがあり、自分の実感を、それを表現するのにもっともふさわしい言葉を選択、熟考して詠む必要があると反省した。

(提出歌)
  我が恋へば町中にまで来鳴きけりほととぎすの声夜半に聞こゆる
(添削後)
  わが恋へば町中にまで来て鳴くかほととぎすの声夜半に聞こゆる
 【解説】
これはやはり、「来鳴きけり」と詠嘆するのでなく、先生の添削のように「来て鳴くか」と疑問の形にする方がよい。「私がほととぎすの鳴き声を恋しがっているために、山からほととぎすが町中にまでやって来て鳴いてくれたのか。」。先生からは、この歌がいちばんよいと○を付けていただいた。

(提出歌)
  音高く鳴きて過ぐれどほととぎす声のみ聞くはともしくありけり
(添削後)
  夜の空を鳴きて過ぎゆくほととぎす声のみ聞くはともしかりけり
 【解説】
先生からは、元の形のままだと、第三句「ほととぎす」が第四句の「聞く」の主語と間違って受けとめられる可能性を指摘され、上句で切れるように直していただいた。「郭公」のように伝統的な歌材になると、私はどうしても古典和歌の言葉、発想をなぞるような詠み方になってしまう。現代の短歌として、「私」自身がその対象をどうとらえ、どう感じたのかを率直に、実感が読者に伝わるような表現で詠むことを心がけたい。

感想
講座の後で、今回あるご婦人が、息子さんの結婚式のことを詠んだ六首の短歌のことが話題になった。倉敷美観地区で、倉敷川で花嫁・花婿の川船流しもあったのだそうだ。その時の歌の、
  倉敷川の水面に揺るる影ふたつ寄り添ふ形に未来を感ず
は、とても素敵な歌だと思った。
短歌を通して、こうした交流ができるのも、また楽しいことだ。

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