夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

ミック・カーン&デヴィッド・シルヴィアン「ブイ」

2013-03-15 23:07:30 | JAPANの思い出・洋楽

(『VIVA ROCK』1987年4月号)
昔、雑誌からピンナップを切り取っていたのを、最近になって見つけた。1987年、ミック・カーンがソロ・アルバム『ドリームス・オヴ・リーズン』を発表し、デヴィッドがボーカルで2曲に参加しているというので、話題になった時期の写真だ。ジャパンの解散から5年後、ミックとスティーヴが共同プロデュースしたアルバムに、デヴィッドが加わる…。事実上のジャパンの再結成というので、どんな曲ができあがったのか、大きな期待をもって当時「ブイ」「ホエン・ラヴ・ウォークス・イン」を聴いた覚えがある。

残念ながら、それらの曲は、ミックのうねうねと低く唸るベースも、デヴィッドのシンプルで力強さを感じさせるボーカルもすばらしいのに、やや(いやかなり)地味で単調な印象を与える曲調だったために、専門家からは好意的に評価されていたものの、一般には全くヒットしなかった。

この時の経緯は、『ミック・カーン自伝』(リットーミュージック)にも書かれているが、シングル曲のボーカルを誰に頼むか、問題になったときに、
「デイヴに頼むってこと考えた?」
とスティーヴが提案したのだそうだ。離れていた時間が、ミックとデヴィッドにとっての関係修復期間となり、レコーディング作業ではデヴィッドはとても協力的だったという。
彼はそのとき、それまで僕が聴いた中で一番のボーカルを披露し、彼が書いた深遠な意味を含んだ感動的な内容の歌詞と相まって、「ブイ」はこれ以上ないという最高の出来映えを見せた。
と、ミックは書いている。

確かにデヴィッドの歌詞は、
You'll be the moth, I'm the flame
I'll bless you and keep you safe and sound
Until sunrise comes around again

I'm like a mountain made of stone
I'm like a new day dawning
I'll be here every morning, close to you

というように、簡素に見えるのに、その比喩がとても象徴的で、難解なところもある。しかし、穏やかだが強くしなやかな歌唱法で、初めてFMラジオでこの曲を聴いたとき、デヴィッドのボーカルの美しい響きに感動したことを覚えている。

『ドリームス・オヴ・リーズン』が発表された頃、ミックのインタビューを掲載した記事を切り抜いていたはずなのに、今見つからない。…出てきたらまた紹介したいと思う。

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5 コメント

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ブイ (風の靴)
2013-03-16 12:33:09
こんにちは

大分暖かくなって参りました~(笑)

今は卒業・・・入学・・・と巣立ちと羽ばたきの季節でもございます・・・

おそらく、ちかさださんも多忙な日々をお過ごしの事と存じます(笑)

私は野暮用続きでなかなかブログにお邪魔出来ずにおりましたが・・・(笑)

この「Buoy」は真さに!ちかさださんがおっしゃる様に傑作でございます!!(笑)

なんだかんだ言っても・・・

これで二人の音楽的相性が抜群だということが分かります(笑)

ミックに向けてなのか?・・・

またデヴィッドのこの歌詞が意味深ですが・・・(笑)

お互いが相手の価値を認め合っていれば・・・

その後の展開はまた違っていたのかな・・・

と言った感は・・・しなくもないですね・・・(笑)

今お探しのモノが見つかる事を期待しております(笑)
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今聞くと (ちかさだ)
2013-03-17 23:15:21
「ブイ」はかなりポップな部類の曲に入るのですよね。
当時はそんなこともわからず、なんと地味で華のない曲なのだろうと思っていました。特に、冒頭から続く、ブラスとピアノ、ドラムのフレーズ(遠くでベースが鳴っている)が単調に聞こえてしまい…。
でも、今聞くと、色々と想像力を刺激され、最初から最後まで隙のない、見事な音作りだと感心させられます。
なぜ、あの頃は気づかなかったのか、と反省しきりです。
ありがとうございました。
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Japanの永久のファンより (Japan デヴィドを愛するファン)
2017-09-18 11:51:51
私はjapanが初来日をしていた時からのファンで1981年1982年の時も東京と地方のコンサートにも行っていました。japanが解散してから音楽に興味なくなってしまった私はミック亡くなっていたことも、デヴィドが結婚をして2女儲けて離婚していた事も知ったtのは最近です。時代はどんどん変わって行くんですね、デヴィドと娘さんの幸せそうな笑顔の写真をタブレットで見ているとどうして離婚をしてしまったのかせっかく大事な居場所をみつけたのに。幸せでいてほしかった。ミックがなくなった時、デヴィドはさぞかし淋しい思いをしたのでは。どの写真をみてもjapanのメンバーと一緒に写っているデヴィドの笑顔が最高、作り笑顔には見えない。デヴィド、japanが初来日した時あなたの目を間近で見た時、目が輝いていてやさしい目をしていた、その時にきっとやさしい人だと思った。
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Japan 、最後の来日の時 (Japan デヴィドを愛するファン)
2017-09-18 14:20:33
この事、書こうかどうしようか迷ったのだけどme1979年80年81年とjapanが来日したおうけどjapanが最後来日した時
地方へ移動の時藤井ゆかさん、あなたは何故あの時デヴィドやミックがいるにもかかわらず、土屋昌巳さんにべったりよりそって、手までつないで歩いていたのでしょう?わざとですか?ずっと心にひかかっていました。感覚がわからない。来日の時、デヴィドに頼まれて一緒着いて来たのだとしたらそれでいいとは思うけれど、そうでなければ一緒に来るべきではなかったのでは。周りの雰囲気までおかしくしてしまう。それから、ファンはもうやめました。でも、いまでも、デヴィドと
japanのメンバーは大好きです。
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お礼 (ちかさだ)
2017-10-01 23:09:39
デヴィッドを愛するファンさん、コメントありがとうございました。
1981、1982のJapanのコンサートに行かれたのは羨ましい限りです。
私はデヴィッドのソロ1作目『ブリリアント・ツリーズ』が初めて買ったアルバムで、夢中になり、そこからJapanにさかのぼっていったので、Japanは解散してから知ったのです。
先日来、Japanの解散ツアーのときのライブ音源CDを毎日聴いて郷愁(というのも変ですが)に耽っています。
ありがとうございました。
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