夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

子になりたまふべき人なめり

2012-06-04 21:59:26 | 教育
この4月から、4年ぶりに1年生に古文を教えていて、初学者に古文を教えることの難しさと、楽しさを改めて感じている。

初学者は、授業で習う一つ一つのことが本当に初めてのことで、たとえるなら、水泳の初心者が初めて海に出たような感じに違いない。

最初は溺れないように、浅いところで基本をよく練習して、慣れたら深いところへも泳がせてやるものだろう。

今は、『竹取物語』の冒頭場面を読解する一方で、文法の初歩のお稽古である。

前回は係り結び、今日は音便。

用語の定義を押さえながら、古文を読むときに注意すべきことを示していく。

一見簡単に見える基礎ほど、教えることが難しい。

特に文法は、生徒に1のことを教えようと思ったら、本当はその20倍も30倍も知識が要る。大学時分に、もっと国語学を勉強しておけばよかったと思う。

実際には、その知識を使って教えることはなくても、専門的にこうだからこうだと、全体を知った上で、生徒にわかりやすく教えるのと、文法の教科書に書いてあることをそのまま教えるのとでは、説得力が全然違うと思う。


一方、初学者とともに、古文の面白さに目を開かれていくのも、心楽しいひとときである。

竹取の翁が、竹の中からかぐや姫を見出して、「わが朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。子になりたまふべき人なめり」と言う場面。実はここに、駄洒落があるというと、生徒はびっくりする。

「教科書の脚注に、『子』に『籠(こ)』を掛けた洒落、とあるでしょう。翁が毎日目にして、籠を作ったりする竹の中にかぐや姫がいたから、籠じゃないけど、子になるはずの人なんだ、という言葉遊びなんでしょう。昔の人はきっとここを読んで、笑ったんだと思いますよ」

「意味は分かるけど」「ちっとも笑えない」

「現代の我々からするとそうなんだけど、竹取物語は仮名で書かれた最古の物語と習ったでしょう。自分達の国の言葉を初めて、易しく、発音通りに表記していく中で、日本語に同音異義語が多いという特質が理解されるようになって、和歌でも掛詞が発達してくるのが平安時代のこの頃だから、きっと「子になりたまふべき人なめり」も、その当時は新鮮なギャグだったのでは?」という話をした。

ただ、『竹取物語』の作者について、私は大学時代に僧正遍照説もあるということをJ大学のN先生(『古代物語の構造』などの著者)に教わったのだが、もう少し時代が下るという説もある。本当はそういうことも、もっと分かった上で教えられたらいいのだが。

まあ、マニアックにならない程度に、しかし大半の生徒は高校を卒業したらもう古文は読まなくなるだろうから、少しでも「古文は面白いもの」という理解をもってもらいたいと思っている。

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