夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

歌合 下

2016-09-07 22:21:34 | 短歌
小休憩の間に、各班の班長に前に出てきてもらい、対戦相手を決めるあみだくじを引かせる。
8班まであるので、歌合の対戦は4組で、各組が紅白に分かれて歌の優劣を競う。
自分たちの代表歌をアピールするプレゼンは、黒板を使ってもよいこととし、黒板を左右に二分割し、紅・白それぞれのスペースに、3分間で歌と、説明に必要であれば絵や図、言葉などを書かせる。

その後、各班2人ずつが前に出て、紅組・白組の順に、それぞれ3分間でプレゼンを行い、終了後、どちらの歌のプレゼンがよかったか、会場(当該班以外の学生全体をこう呼ぶ)に挙手でジャッジしてもらった。

もともとこの授業に出ている学生はみな優秀なので、仕掛けさえよければ後は自分たちで積極的に取り組んで楽しんでくれ、私はただ進行役さえしていればよい状態であった。(その代わり事前の準備は大変だったが。)
大盛り上がりだったので、私は授業の記録用に写真機だけ持ってきて、ビデオカメラを用意するのを忘れたことを悔やんだ。

学生たちが自分たちの代表歌の良さをアピールする言葉は、まさに流れるごとしで、メモを取る手も追いつかず、途中からあきらめてただその説明に耳を傾けることにだけ専念することにした。

面白かったのは、歌の詠まれた状況や、伝えたかった心情を説明するだけでなく、それを表現するのに直喩を用いていますよ、オノマトペを使ってみました、リズムを意識したなどと、表現上の工夫を主張する発表がいくつかあったことだ。
たとえば、

  友達といるのにあの子スマホ見て気づいてあげてさびしげな顔

は、自分が偶然目にした光景から浮かんだ思いをそのまま言葉で写し取った印象になるように言葉を配置し、三句、四句で細かく切れてリズムを生む効果を狙った、とのことだった。
これは授業の中で、短歌のルールや表現技法について学習させていたことが生きたという感じがした。

次に興味深かったのは、勝敗は必ずしも歌のよしあしが決め手になるとは限らないことだ。
たとえば、

  告白する勇気の持てない君の背をそっと押すのが君との友情

という歌は、一見、歌の作者と「君」は男同士に見える。しかし実は「君」は女友達、しかも歌の作者はその女友達に恋心を抱いており、その気持ちを隠して、別の男に告白する彼女の背を押してやる、という切ない歌だった。
この歌を詠むに至った入り組んだ事情を、図を使いながらわかりやすく、興味を引くように説明したこの班のプレゼンは、圧倒的な評価を得た。

最後に、プレゼンでは内容の良さはもちろんだが、ユーモアも大切な要素だなあということを強く感じた。

  ケータイが洗濯機から出てきたよ汚れと一緒にデータもデリート

という歌の説明では、発表者が自分の「悲劇的な」体験を面白おかしく語ってくれたので、満場の笑いを誘っていた。

こんなわけで、学生に現代短歌版の歌合をさせてみて、短歌の国語教育における可能性を強く感じた。創作、鑑賞・批評を学び楽しむだけでなく、表現力を高め相互交流のツールにもなる短歌を、来年度もまた授業で取り上げてみたいと思っている。

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