夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

続 月次の会・二月

2016-03-02 22:44:14 | 短歌
今回の月次の会も、詠草のみの参加。
それでも、後日、担当の方に送っていただいた皆さんのお歌や、先生の添削を見ていると、歌会の情景が眼前に浮かんでくるような気がするから不思議である。

私が今回提出したのは、次の二首。


 ①(提出歌)
   白梅はほころび初(そ)めぬ遠方(をちかた)の大山はまだ雪いただけど
  →(添削後)
  白梅がほころび初めぬ大山の頂はまだ雪に白けれど

 ②(提出歌)
   吹く風はまだ頬させどのどかなる空のけしきに春は見えけり
  →(添削後)
   吹く風はいまだ刺すごと寒けれど空のけしきに春は見えをり

一首目は、春を迎えたとはいえまだ半ば雪に覆われた大山を背景に、咲き始めた梅を眺めて詠んだ歌。米子では11月下旬からもう冬という感じで、積もるほどの降雪は少ないものの、晴れる日は月に数回で、本当に冬が長く感じた。それだけに、待ちかねた梅の花がようやく咲き始めたのを見つけたときの喜びはひとしおであった。

二首目は、早春の午後、校内を歩きながら、頰に受ける風は冷たく刺さるようなのに、日射しや空の様子にはっきり春が感じられた印象を詠んだ。
先生の添削のように、「空のけしきに春は見えをり」とするだけで、「のどかなる」は言わなくても分かる。読者の想像力をもっと信じなければと思った。

今回、歌会に出された歌の中に、

  向ひあひ父と柚子茶をすすりをり今日も話を切り出せぬまま

という作があった。これを読んだ読者は、切り出せない話とはどんな話か、父と娘(息子と父で柚子茶は飲まないだろう)の年齢や日頃の様子にまで思いをはせることになるだろう。
自分の見たもの感じたことをただ詠むだけでなく、その先に、読者にどう伝えるかについての手立てを真剣に考えなければならないと思った。

今年の二月で、短歌を学び初めてから二年が経ったが、同じような所にとどまっていて、四季の風物をスケッチする程度のものしかできない。それでも、今しか詠めないものをその都度大事にしながら歌作を続けていこうと思う。

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