夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

少年の春は惜しめども

2014-05-06 23:47:11 | 日記

先日、下鴨神社で八重山吹の花を見て以来、ずっと『狭衣(さごろも)物語』の冒頭のことを思い出していた。

少年の春は惜しめども留まらぬものなりければ、弥生(やよひ)の二十日余りにもなりぬ。御前の木立、何となく青みわたれる中に、中島の藤は、松にとのみも思はず咲きかかりて、山ほととぎす待ち顔なるに、池の水際(みぎは)の八重山吹は、井手のわたりにやと見えたり。

ちょうど晩春の季節で、八重山吹の花が印象的に取り上げられていることや、『狭衣物語』に賀茂社の神事に関する記述が多く、その作者とされる六条斎院宣旨(せんじ)の経歴と結びつけて考えられていることなどから、自然と連想してしまったのだろう。

とともに、かなり昔のことになるが、『狭衣物語』のこの冒頭部から出題された問題を教えたときのことを思い出してしまった。
国公立大学前期試験直前の、二月中旬のことだったと思う。当時、私が受験生たちに教えるのに使っていたYゼミの問題集に、その問題も入っていたのだが、文章の訳や内容を説明するのに往生した。
書き出しの「少年の春は惜しめども…」から、先行の漢詩・和歌・物語等を縦横無尽に引用した綴れ織りのような文章で、直線的な現代語訳に置き換えるのはほぼ不可能であり、生徒に教えるより先に、自分が解釈不能でしどろもどろになってしまった。
また、この場面で、主人公の狭衣中将(十七、八歳)が、従妹(いとこ)でありながら兄妹同然に育った源氏の宮(十四、五歳)を恋い慕いつつ、打ち明けることもできず苦悩している事情などもうまく説明できず、己の力量不足のために、目の前の生徒を受験前に不安にさせたらどうするんだと冷や汗しきりであった。

この時のことは、今もしばしば思い出す。現在の自分なら、先に口語訳を渡してしまって要点だけを説明するか、そもそもこんな複雑で晦渋な文章は取り上げないかのどちらかだろう。狭衣の性格ではないが、「過ぎぬる方悔しき」記憶の一つであり、一方でこの箇所を読み返すたびに、秘めた恋心ゆえの煩悶や憂愁を見事にかたどった美文であることも感じ、せつなくなる。

  山吹のくちなし色ぞ見るに憂き過ぎゆく春を惜しむ心に
  口無しのちぎりもつらし山吹の心のうちをいふかたぞなき

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