「こんにちわッ、テディちゃでス!
はッぴィ~たなばたァまつりィ~!」
「がるる!ぐるるがる!」(←訳:虎です!今年も開幕!)
こんにちは、ネーさです。
国内きっての規模を誇る仙台の《七夕まつり》が
賑やかに始まっていますよ♪
この暑い季節に行われるのが本来の七夕なのかな?
などと想像しながら、
本日の読書タイムは、
こちらの美しい御本を、さあ、どうぞ~!
―― 桜狂の譜 ――
著者は今橋理子(いまはし・りこ)さん、2019年3月に発行されました。
『江戸の桜画世界』と副題が付されています。
↑縦が約25㎝×横が約17㎝、と
美術展の図録としても立派に通用しそうなこの御本は、
アート評論であり、
意欲的な歴史ノンフィクション!でもあるんですよ。
「おおォ♪ さくらァ、さいてまスゥ!」
「ぐるるがる!」(←訳:繊細な画風!)
私たち日本人がこよなく愛する花――
サクラ。
そのサクラの花を描く、
いえ、サクラの花だけを描く、という、
ちょっと変わりダネな画家さんがいたことは
あまり知られていない、と
著者・今橋さんは御本の『はじめに』で述べています。
「えッ? さくらァ、だけッ??」
「がるるぐるるるる?」(←訳:桜しか描かないの?)
三熊思考(みくま・しこう)さん(1730~1794)。
江戸時代中期、
京の都に生まれた思考さんは、
自ら《桜顚(かてん)》と号しました。
《花顚》とは、《花狂い》を意味すると
今橋さんは解きますが、
思考さん、本当にもう、桜が大好きだったようで。
キレイに描く、のが思考さんの目的ではありません。
桜の名木があると聞けば、
遠地であろうと訪ねてゆく。
訪ねて、描いて、花の種類や、
地域と気温によって生育に差があるかを観察し、
桜についてとことん考えてみる。
「ふァ~…まにあァでスねッ!」
「ぐるるるるぅ~!」(←訳:桜マニアかぁ~!)
思考さんの情熱は、
妹さんやお弟子さんたちを巻き込み、
“サクラだけを描く”流派は、
60年の間、隆盛を見たのでした。
一方、同じ頃、東国では。
「あれッ? ここにもォ?」
「がるるるる!」(←訳:桜マニアが!)
未曽有の大飢饉を前に、
被害を最小限に抑えて殆ど死者を出さなかったため
《名君》と謳われ、
その数年後には幕府老中に就任、
さらには将軍補佐となって、
実質上、幕府の全権を握った人物――
松平定信さん(1758~1829)。
定信さんが目指したのは、
桜の絵、ではなくて、
“桜がある庭造り”。
「おにわァづくりィ、ッてェ~」
「ぐるがるる……?」(←訳:それ大丈夫……?)
老中・松平定信さんといえば、
はい、歴史好きな方々には
《寛政の改革》でお馴染みですよね。
財政の緊縮、大奥への倹約命令、
風紀の取締りに関連して
山東京伝さんや蔦谷重三郎さんを処罰するなどして、
ケチと罵られることもあった定信さん、
《浴恩園(よくおんえん)》と呼ばれる
江戸随一の名園の
オーナーさんでありました。
いえ、正確を期すなら、
江戸と、所領地の白河に
合わせて五つもの庭園を造り上げた造園狂だったのです。
「むじゅんッしてるでスゥ!」
「がるるるるぐるるる!」(←訳:財政緊縮と庭園造り!)
江戸の湾岸地域に広がるサクラ咲く大庭園と、
植物学にも踏み込まんとする京の画家さん。
第Ⅰ部『花惜しむ人――三熊派の桜画』と
第Ⅱ部『花を訪なう人――松平定信の庭園』で
対比される《桜狂》たちの生涯は、
フィクションさながらの熱さ&面白さ!
図版資料も豊富に収録されていて、
ノンフィクション好きな御方、
歴史ものが好きな活字マニアさんに
激おすすめの一冊です。
本屋さんで、図書館で、
ぜひ、探してみてくださいね~♪
はッぴィ~たなばたァまつりィ~!」
「がるる!ぐるるがる!」(←訳:虎です!今年も開幕!)
こんにちは、ネーさです。
国内きっての規模を誇る仙台の《七夕まつり》が
賑やかに始まっていますよ♪
この暑い季節に行われるのが本来の七夕なのかな?
などと想像しながら、
本日の読書タイムは、
こちらの美しい御本を、さあ、どうぞ~!
―― 桜狂の譜 ――
著者は今橋理子(いまはし・りこ)さん、2019年3月に発行されました。
『江戸の桜画世界』と副題が付されています。
↑縦が約25㎝×横が約17㎝、と
美術展の図録としても立派に通用しそうなこの御本は、
アート評論であり、
意欲的な歴史ノンフィクション!でもあるんですよ。
「おおォ♪ さくらァ、さいてまスゥ!」
「ぐるるがる!」(←訳:繊細な画風!)
私たち日本人がこよなく愛する花――
サクラ。
そのサクラの花を描く、
いえ、サクラの花だけを描く、という、
ちょっと変わりダネな画家さんがいたことは
あまり知られていない、と
著者・今橋さんは御本の『はじめに』で述べています。
「えッ? さくらァ、だけッ??」
「がるるぐるるるる?」(←訳:桜しか描かないの?)
三熊思考(みくま・しこう)さん(1730~1794)。
江戸時代中期、
京の都に生まれた思考さんは、
自ら《桜顚(かてん)》と号しました。
《花顚》とは、《花狂い》を意味すると
今橋さんは解きますが、
思考さん、本当にもう、桜が大好きだったようで。
キレイに描く、のが思考さんの目的ではありません。
桜の名木があると聞けば、
遠地であろうと訪ねてゆく。
訪ねて、描いて、花の種類や、
地域と気温によって生育に差があるかを観察し、
桜についてとことん考えてみる。
「ふァ~…まにあァでスねッ!」
「ぐるるるるぅ~!」(←訳:桜マニアかぁ~!)
思考さんの情熱は、
妹さんやお弟子さんたちを巻き込み、
“サクラだけを描く”流派は、
60年の間、隆盛を見たのでした。
一方、同じ頃、東国では。
「あれッ? ここにもォ?」
「がるるるる!」(←訳:桜マニアが!)
未曽有の大飢饉を前に、
被害を最小限に抑えて殆ど死者を出さなかったため
《名君》と謳われ、
その数年後には幕府老中に就任、
さらには将軍補佐となって、
実質上、幕府の全権を握った人物――
松平定信さん(1758~1829)。
定信さんが目指したのは、
桜の絵、ではなくて、
“桜がある庭造り”。
「おにわァづくりィ、ッてェ~」
「ぐるがるる……?」(←訳:それ大丈夫……?)
老中・松平定信さんといえば、
はい、歴史好きな方々には
《寛政の改革》でお馴染みですよね。
財政の緊縮、大奥への倹約命令、
風紀の取締りに関連して
山東京伝さんや蔦谷重三郎さんを処罰するなどして、
ケチと罵られることもあった定信さん、
《浴恩園(よくおんえん)》と呼ばれる
江戸随一の名園の
オーナーさんでありました。
いえ、正確を期すなら、
江戸と、所領地の白河に
合わせて五つもの庭園を造り上げた造園狂だったのです。
「むじゅんッしてるでスゥ!」
「がるるるるぐるるる!」(←訳:財政緊縮と庭園造り!)
江戸の湾岸地域に広がるサクラ咲く大庭園と、
植物学にも踏み込まんとする京の画家さん。
第Ⅰ部『花惜しむ人――三熊派の桜画』と
第Ⅱ部『花を訪なう人――松平定信の庭園』で
対比される《桜狂》たちの生涯は、
フィクションさながらの熱さ&面白さ!
図版資料も豊富に収録されていて、
ノンフィクション好きな御方、
歴史ものが好きな活字マニアさんに
激おすすめの一冊です。
本屋さんで、図書館で、
ぜひ、探してみてくださいね~♪