みたいなフレーズが浮かんできます。
( あんまり意味ないけど ・ ・ ・ )
金沢に行くことになりました。
先日、深夜の黒田さんと携帯メールでのやり取り。
金沢でも教室を持たれているので、
「 金沢 食べ物美味しいんでしょうね 」
「 見るところ 沢山ありますよね 」
の話題から決定したのですが、金沢は初めてではありません。
20年ほど前、
友達と3人で、最初は鳥取砂丘に向かったのです。
そこからの帰り、少し足を延ばして、
もうちょっと延ばしてを繰り返すうち、
深夜に金沢に入りました。
夜明けを待って、
見付けたホテルのロビーで顔を洗った後、兼六園へ。
そこからさらに、黒部ダム、信州まで行ってしまいました。
今でも 「 鳥取砂丘行ったついでに信州まで行ったっよなぁ 」
という会話がでます。
その頃は、
クルマで走り回ることが楽しくて行先はどこでもよかったのですが、
今思えば、なんッちゅうても天下の “ 加賀百万石 ”
「 幕府の目を眩ますために芸事を奨励した。 」 というような話も聞きますが、
優れた芸術がで知られたところでもあり、
当然美味しいものもきっと沢山!
・ ・ ・ 楽しみです。
書き忘れましたが、
時期は 1年後 です。
この季節に信じられないような雪でした。
有田で積もることはありませんでしたが、
「 地球がどうかしてしまったのか? 」 と思うような天候です。
ムードというのは、時々最良の方向に向かわないことがあって、
良くない流れがドンドン抜け出せない雰囲気をつくっていくことがあると思うのです。
今回の大災害は大変なことで、
そこで今この時間に起きているであろうことに私も心を痛めていますが、
今大きな影響を受けていない西日本でも
自粛ムードで
イベントが中止される雰囲気になっていることは良くないと思っています。
これだけ広い範囲で物理的に経済活動が出来なくなっていて、
動けるところの人まで自主的に動きを止めてしまったら、
この国の経済はどうなるのでしょう?
経済のことに詳しいわけではありませんが、
「 被災した人たちのためにも 」 という意味も含めて、
今経済を止めてはいけないのだろうと私は思います。
ニュースによると、
被災地の避難場所によっては、今日のお昼は蒲鉾一切れだったとか。
日本人として誇りに感じるのは、こんな場合にも暴動が起こらないことです。
開いているお店でも、キチンとお金を出して買っているとか。
また、企業が協力の体制をすぐに整えることもジンと来ます。
今回だけではなくて、常にそうですね。
そんな中、携帯メールを使ってデマを流した馬鹿野郎がいたとか。
我が家でも、奥さんと息子のところに友達から送られてきたそうです。
極端に情報が不足している環境に流れるデマがどれ程危険か、
私たち素人にも想像がつきます。
設計途中でクライアントに沢山の間違った情報が入って、
その整理に大変な思いをすることがありますが、
今回の場合は、その緊急度が比較になりません。
こんな恥知らずなことにはガッカリです。
第一報をクルマのラジオで聞きました。
阪神淡路以上のエネルギーを持った大地震であることは
その時点でも報じられていましたが、
その後携帯電話が通じなくなっていることの理由とは連動せず、
紀勢線の電車が止まっていることを知ったのは帰宅してからです。
想像ですが、帰宅出来なくなった人の連絡の影響だったのでしょう。
望むことではありませんが、
恐らく今報道されている以上の被害でしょう。
テレビで観る現地の映像は、
イメージしていた地震の様子とは随分違います。
津波の被害が大きかったこともその原因だと思いますが、
今までは、阪神淡路のときに見たものが地震のイメージでした。
こんな表現は不謹慎でしょうか。円谷映画を観るような印象です。
今後沢山のレポートが上がってくると思いますが、
建築の考え方にも少なからず影響が出そうです。
建築をしていると必ず触れる本。
前回読んだのは30歳代だったと思います。
40歳代後半でもう1度読み返すと、
以前よりも入りやすいのは、年齢を重ねることの利益かも知れません。
探しても見付からなかったので、
もう1冊買ってまで読み直したかったのは、
世界的照明デザイナーが書いた同タイトルの本が
どうにもシックリこなかったから。
( 世界に認められたクリエイターを向こうに回すほど腹座っていないので、
そのことをどうこう言うつもりもありません ・ ・ ・ ヨ!
ただ、このタイトルをつけるには ・ ・ ・ )
光を表現方法に使うことと、
光を含めて空間を表現することは、全く別物ですから。
日本の " 美 " は、暗闇の中にある。
蒔絵や屏風の金も、
今でも残る舞妓、芸妓などの女性の化粧も、
今の明かりの中で見るからその美しさが解らないけれど、
暗いことが前提の日本の建築の中でこそ映える。
と、言っています。
私たちは、白熱電球と蛍光灯、あるいはLEDとの違いを考えますが、
昭和9年の時点で、谷崎は
白熱球でさえ燭台や蝋燭に比べて味気ないと言っています。
ただただ明るいこと、
影さえ出来ないような空間が本当に豊かなのか、
これから建築を考えられる方には是非一度考えていただきたいと
私は思います。