間もなく、午前3時。
こんな深夜に、プリンターにトラブルです。
ホームページから検索すると、
メーカーに送って修理が必要なようです。
このままでは、
夜が明けて、午前中に提出するつもりの書類を完成できない。
知り合いに頼るにしても、Word2007で作った書類。
バージョン的に互換性があるのかどうか ・ ・ ・
カレンダー葉書を作るタイミングでもあります。
2月号どうしよう ・ ・ ・
機械に依存する比重が高い、今どきの仕事の進め方。
バックアップに全ての機械を2台ずつ持つことなど、現実的ではないので、
必ずこういうことが起こります。
電気仕掛けの機械は、便利だと感じながら、
常に不安を持っています。
仕事では、これに頼らなければ世間のスピードに対応できませんが、
暮らしの中では、慎重になった方が良いと思うのです。
日頃訪ねて来る営業マンが、
役職の高い人を連れて挨拶に来ることは、
世間の常識では、
「 あなたのことを大切に考えていますよ! 」
という意思表示になるようで、
わざわざ “ 挨拶にだけ ” 連れて来ることがあります。
ショールームなどに行くと、
小さな会社ではないのに、経営者レベルの人から挨拶されることもあります。
( 社長紹介されたら感動すると思うけど、まだない! )
不愉快になることはありませんが、
単価の高い、忙しい人に、わざわざ挨拶に顔出されて、
「 意味ないなぁ ・ ・ ・ 」
と、毎回思います。
担当者に、
「 エライ人だったら、僕は別にいいよ! 」
と言いますが、
上司を紹介することも営業マンの大切な仕事の様なので、
彼らの顔を立てて 「 まぁ いいかぁ! 」 と思いながら済ませていますが ・ ・ ・ 。
こちらとしては、
メーカー系であれば、エライ人よりも、
現場で商品開発しているような人と会いたい。
直接意見を交わせるようにしておきたい。
と思いますが、その方がずっと難しいようです。
ルーブル美術館展が東京で開かれるそうです。
しばらく美術館も行っていない ・ ・ ・ 。
ルノワールを始めて観たのは完成間もない頃の
大分市美術館だったと思います。
あの時もルーブル美術館のコレクションだったと記憶しています。
不思議に感じたのは、
女性の肌の色を緑色で表現していたことです。
なのに、観た人のほとんどは緑だと思っていないなくて、
綺麗な女性の肌だと感じることです。
後に知ったことですが、
女性のメイクでも下地に緑色を塗ることがあるのだそうで、
人の目の構造を理解したテクニックなのでしょう。
ルノワールだけではありませんが、
私が初めて “ 表現 ” とか “ 手法 ” というような言葉を意識したのは、
あの頃だったと思います。
もう25年 ・ ・ ・
いえ、
27年ほど前のことです。
18の頃から27年間、
自分の経済状況に関係なく、変えなかったものがあります。
例えば、
ヘアムースやコロンなどの化粧品は、TACTICS
靴は、REGAL。
洋服の方は、
McGREGORやVAN ・ NEWYOKERから、
少し豊かになって、J.PRESSとかBrooks Brothers、
そして、今はUNIQLOと、
正常進化したのとは対照的です。
靴を買うために出掛けました。
リーガルショップに行っても良かったのですが、
ほかの用もあって遠回りになるので、デパートにしました。
ここの靴売り場の青年が良かった!
現在28歳で、大学生のときにIVファッションに目覚めたそうです。
「 あなたの年齢でIVって、学校中であなた1人だったでしょう? 」
「 そうだと思います。 」
そんな会話があったりもしましたが、
感心したのは、
ファッションが好きで、靴が好きで、REGALが好きで、
良く勉強していることが、ビンビン伝わって来ることでした。
試しに履いて歩いてみた時も、
一瞬で出た言葉が、
「 右足の甲の部分に入るシワが気になりますけど、
1サイズ上げればこれは消えると思いますけど、
履き心地が良くなくなると思います。 」
言われても、私には良く見ないと解りませんでした。
あるレベルを超えると当たり前なのかも知れませんが、
私は、靴屋さんでこんな言葉を聞いたのは初めてです。
全体の会話を通して “ プロ ” を感じました。
もしかしたら、
もっとお気軽に靴を買いたいお客さんには
うっとうしい 店員かも知れません。
こんなメンドクサイこだわりを持ったヤツは、
百貨店では出世しないかも知れない ・ ・ ・ 。
それでも、
私はどんな買物の時でも、プロと話したいと思います。
頑張って欲しいなぁ
と、思うのでした。
もう14年になるのだそうですが、
あの時の揺れは、今でも思い出せます。
私達が神戸に行く時は、陸路で考えるので遠いと思っていますが、
地図で見ると、直線距離はそんなに離れていないんですね。
寝付きは悪いですが、1度眠ってしまえば簡単には起きない私が、
あの時は目を覚ましました。
倒れた建物。
街の様子は、
想像したこともないもので、もちろんショックでした。
それに増してショックで、印象強かったのは、
地震から1週間経たないうちに、
現地に入って目にした人々の様子でした。
途方にくれて、
力を失くした感じ。
自分たちでは、何をすれば良いのかが見付けられない。
そんな感じだったのでしょうか。
具体的に整理できないまま、
寂しさを感じたものです。
そんな状態でも、
『 住まいがどういうものか 』 で、
心の負担はいくらか違うのではないかと思うのです。
建築を仕事にしているのだから、
『 地震に強い家 』 を造る責任があるのは当然ですが、
『 その後の数日間、その家の人達がどうするのか? 』
を考えます。
建築が負担できることは少ないのかも知れませんが、
『 地震の後 』 を意識した建物と、
何も考えずに建てられたものとは違うはず。
今日聞いた話では、
大地震がおきて、孤立する可能性がある集落の数が、
和歌山県全体で570もあるのだそうです。
救援が十分になるまでに、
自活できる環境を出来るだけ多くつくっておくことが大切なのだと思います。