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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Jul_18】高橋和巳は踏み躙られようとしている。

2016-07-20 | BOOKS&MOVIES

高橋和巳を繙けば繙くほど、敗戦後71年のこの国のあゆみが、
欺瞞に充ち満ちていることに、憤死しそうなほどだ。
結局、この国の自浄システムは、壊れたままなのだ。
六〇年代の安保闘争も「ごっこ」でしかなかった。
尾翼を喪ったまま、コントロール不能の「堕落」、
そして「亡国」に邁進している…としか思えない。
「希望」を描くことが出来るのだろうか?
人間はここまで愚かなのか?


  ↓ ↓ ↓

学園における「変革」の担い手たち、すなわち、いわゆる左派学生たちは、
作家であると同時に大学人でもあった晩年の高橋の思想に深い共感を寄せていたはずだ。
彼らは、高橋の唱える自己否定の思想が何を意図するものなのかを、
漠然としたカタチではあれ、一応は理解していたであろう。
知識人としての大学人の自己否定は、学園の権力構造を解体し、
既成の秩序を突き崩した後に、より自由で人間的なぬくもりのある組織を築き上げようと
企図することへとつながってゆくはずである。

だが、実際に申し訳程度に実現された「変革」は、
権力構造にほとんど何の変哲ももたらさなかったし、
旧来よりもわずかばかり大きな自由を保証するものでさえなかった。

「変革」の後にも、旧態依然として古い秩序が残り、
ただ、秩序を主導する側に構成員の若干の交替が起こったにすぎない。
権力が、反抗する者を圧殺し、ことばのまったき意味における「変革」を妨げたからではない。
「変革」をめざして反抗する側が、既存の権力構造の基底に潜むのと同じ権力欲にとり憑かれ、
「変革」の後に、あるいは、「変革」の過程のなかで形成される新たな「権力」の中枢に自己を置こうとしたからだった。

高橋和巳の思想に共鳴しつつ、自己否定を媒介とする「変革」を志向した世代は、
いま人生の円熟期を迎え、大学をはじめ、あらゆる組織の中核に自己の地歩を固めている。
かつて秩序の下底からの突き上げによって、上部の支配構造を根底から揺り動かそうと試みた彼らは、
いまや自らが上部の構成員となっている。すなわち、彼らは、何ものにも阻害されることなく、
「変革」を断行しうる立場に立っている。もし、彼らが高橋の思想の継承者であるとすれば、
彼らは、自己を否定しつつ再構築することによって、権力構造を変質させようと企てるはずだ。
だが、何らかの組織において、旧来の秩序の精神的な意味での解体と新たな構造の確立とを求めて、
支配の仕組みが変容されつつあるという情報は、どこからも伝わらない。

かつて「変革」を志向した人々は、いま、高橋の思想とほぼ対極的な地点に立って、
既存の権力を独占し、それを自分たちの玩弄物とすることにより狂奔しているように見える。
高橋の思想は、かつて彼の思想に共鳴した人々によって踏み躙られようとしているのではないか。


       (伊藤益著「高橋和巳作品論」八_自己同一性への憎しみ…より)

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