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【Jun_10】日本人にはまだ憲法は書けない。by小室直樹

2020-06-09 | BOOKS&MOVIES
日本人にはまだ憲法は書けない』小室直樹氏

聖なるものの猛威、王権の猛威を
いかに囲い込むかが「憲法」であり、
その主体たる国民が、
統治に政治家を使うのが
「民主主義」である。

そのような道具としての
「憲法」と「民主主義」に
国民が徹底して通暁しなければ、
日本は近代のエートスで
自在にふるまうことができない。


(マル激トーク・オン・ディマンド 第212回より)

「憲法違反は政府にしかできない」と小室氏は言う。
主体はどこまでも国民にあり、憲法は統治権力に箍を嵌めるものであると。
宗教や王権の猛威から人権を守るために「憲法」は生まれたのであり、
そのような猛威に晒された経験のない日本国民には、
「憲法」の背景にあるその国民意志が理解できない。

宮台氏は続ける。

「我々に憲法意志なるマインドがあれば、
どんなマキャベリスティックな改正であっても、
本質を貫徹することができる」。


つまり、憲法の主体が国民であることを自覚さえしていれば、
政府の思惑など屁でも無いのだと。
同じように借り物であるデモクラシーも、
道具として使い道を知り尽くしていれば、ワケはない。

しかし、日本国民は近代のしくみが分かっていないので、
合理的に立ち振る舞うことができない。
蒙昧過ぎて付け入られてしまっている。
やはりそこには「自分で考え、自分で決める」学問的動機が薄い。

「悲しみ」や「怒り」などの不合理な経験による、
合理的であろうと欲する「希望」が育たないのだと。
その内発性こそ、プラグマティズムであり、
教育とはその内発性の発露を導くものであるのに、
短絡的な「にんじん」で損得勘定ばかり育てるから、
原理原則のない人間ばかりになるのだ…と。

小室直樹氏の偉大さは、
後に続く宮台真司氏のリスペクトぶりを見れば明らかである。
ミメーシスが、真理だ。


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