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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Jun_14】是枝裕和監督作品「万引き家族」

2018-06-15 | BOOKS&MOVIES
是枝裕和監督作品『万引き家族』鑑賞〜!

写真家鈴木陽介さんのメインヴィジュアルそのままの、
「家族」とは何かを問うた作品…と思ったら、違ってた。

「神社が物騒」とか「公園の土は汚い」とか、アナログからデジタルへ
保存様式が波形からドットに変化してからというもの、
人間の思考回路もいつの間にかなだらかな波形からゼロイチのドットに変わったみたい。

この映画も実はそういうことを表出していて、「家族」であるか否か…という名付けも、
実は外部からの装いでしかなく、映画の中では個々の説明はなされない。

リリーフランキーがお父さん?であれば、安藤サクラはお母さん?
樹木希林はどう見てもおばあちゃんだけど、松岡茉優はじゃあ、妹?みたいに、
「家族」も想定の域を出ないし、生計は「万引き」ってことになってるけど、まぁハッキリしない。

とてもごにょごにょとしていて、実際、暮らす家屋の中も盗品で溢れかえり、
足の踏み場もないって感じだし、アングルも常にモノが介在していて、判然としない。

スクリーンからは体温ばかりが滔々と伝わってくる。

冬から夏にかけての、湿度の上がり具合と共に、
彼らの密度も濃厚さを増していき、
同じく縁側で隅田川の花火を眺めているような気分に、なる。


そうなのよ、人間って、特にニッポンって、
個人のプライバシーとか、全然気にしないところだったのよ。


いつも自然と共にあり、里山には神社があって、
八百万の自然神との仲を取り持つ存在で、
百姓は年がら年中つちに塗れて、
夕方になれば風呂場で背中を流し合い、

苗字なんて大それたモンはなくて、
一人一人は「よっちゃん」や「まさちゃん」だったりしてた。

だから、となりの子が夕餉に混じっていようが、
寝床に横になっていようが、構わなかった…の。

それがさ「お国」という概念がなんだか素晴らしいって発想に
付和雷同した明治からってもの、
「お国」にとっての「国民」という、
上から目線の仕組みばかりがまかり通ることとなって、
いつの間にやら序列でもって「マイナンバー」まで紐付けられることに。

だからすべては「お国」と共に思考もデジタル化してきたのよね。

劇中、サクラが「ワークシェア」という名目で午前中パートがお休みなシーンがあるのだけど、
「シェア」という思考も本来であれば「お国」が先陣切って行う取り組みなワケで。

「ルームシェア」「カーシェア」の類も、「お国」が「国民」を財としか見ていない証左で、
要は貧窮にセーフティを掛けるわけじゃなく、個人が工夫して成り立っている。

「お国」の仕組みがそこまで功利に走っているから、
その背面を伺うようにして存在していた「家族」であったのに、

「お国」の隷にしょっ引かれて、すべてが瓦解する筋立てはもう、
遅きに逸したこの国の暴走に、
「国民」が翻弄される様を寓話的に表出している映画で、

パルムドール賞ってのは、救いなんでしょうか?お慰みなんでしょうか?

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