文明の終わり
沖縄にある海辺の家で1ヶ月の3分の1を過ごすようになって、15年になります。
畑を耕し、創作のアイデアを練る合間に、犬の散歩と気分転換を兼ねて家の間の浜辺におりるのが私の日課ですが、
その度に悲しみと怒りが綯い交ぜになったような複雑な気持ちになるのです。
なぜなら、砂浜を歩きながら、美しい貝殻や珊瑚のかけらを拾うのを楽しみにしていますが、
貝殻や珊瑚にも増して目に付くのが、流れ着く大量のゴミだからです。
時にはガラス製の古いブイが流れ着いていたりして、面白く思うこともありますが、
流れ着くゴミのほとんどは醜いプラスチック製品のなれの果て…。
発泡スチロールの切れ端、ペットボトルのふた、洗剤の容器や、子どものおもちゃなど、
日本のものもあれば、どこかアジアの国から流れ着くものもあります。
見つける度に拾い集めるのですが、次の日にはまた流れ着いています。
とうとう私はそれらのゴミを集めて、色ごとに分類して何かを作り出そうと思いました。
ゴミだけで何かを作り出せるほどに沢山流れ着くので、そのことを多くの人に知って欲しかったからです。
先日、旅をして与那国の浜辺に降り立つ機会がありました。
砂に足を踏み入れて歩くうちに、なんとも言えない違和感を覚えました。
思わず砂に手を差し込んでつかみ、目をこらしてみて衝撃を受けました。
砂の中に、砂と同じぐらい細かく砕かれたプラスチック片が、びっしりと混ざっているのが分かったからです。
遠目には美しく見える砂浜なのに、こんなことになってしまっている。
誰でもない、人間がしたことです。
これは文明の終わり…、私にはそう思えてなりませんでした。
私は日本人ではありませんが、40年以上もこの国に住んでいます。
美しかった日本を覚えています。
もし許されるなら、ずっとこの国で暮らしたい。
だから知って欲しいのです。
こんなに汚れてしまったことを、そして、ゴミを取り除くことの必要性を、
ゴミを出さない暮らしの重要性を。
これは日本だけの問題ではなく、世界中に伝えたいことです。
ゴミには目に見えるものもあれば、目に見えないものもあることを皆さんはご存知でしょう。
そのどちらも増えすぎれば、文明の終わりを招き寄せます。
おそらく地球自身は、自浄の努力をしていることでしょう。
けれど、浄化のための大きな力になるのは、
一人ひとりの小さな人間の力の集結でしかないのです。
もし、多くの人がそのことに気付くために何かができるなら、
今しなければならないと思う気持ちを止めることはできません。
醜いプラスチックのゴミを大量に見せただけでは、その恐ろしさを分かってもらえないのなら、
私はそのゴミを使って、何か自分が美しいと思うものを作り出す努力をします。
ただ美しいだけのオブジェではなく、
もう一度人の役に立つ実用的なものに変えましょう。
これは、ものを作ることを仕事にしている私の小さな抵抗です。
それによって、この大量のゴミに目を向けて貰えるように。
私はこれを自分の最後の仕事だと思っています。
2014年9月 ヨーガンレール_JURGEN_LEHL
(『おとなもこどもも考える_ここはだれの場所?』@東京都現代美術館より)
沖縄にある海辺の家で1ヶ月の3分の1を過ごすようになって、15年になります。
畑を耕し、創作のアイデアを練る合間に、犬の散歩と気分転換を兼ねて家の間の浜辺におりるのが私の日課ですが、
その度に悲しみと怒りが綯い交ぜになったような複雑な気持ちになるのです。
なぜなら、砂浜を歩きながら、美しい貝殻や珊瑚のかけらを拾うのを楽しみにしていますが、
貝殻や珊瑚にも増して目に付くのが、流れ着く大量のゴミだからです。
時にはガラス製の古いブイが流れ着いていたりして、面白く思うこともありますが、
流れ着くゴミのほとんどは醜いプラスチック製品のなれの果て…。
発泡スチロールの切れ端、ペットボトルのふた、洗剤の容器や、子どものおもちゃなど、
日本のものもあれば、どこかアジアの国から流れ着くものもあります。
見つける度に拾い集めるのですが、次の日にはまた流れ着いています。
とうとう私はそれらのゴミを集めて、色ごとに分類して何かを作り出そうと思いました。
ゴミだけで何かを作り出せるほどに沢山流れ着くので、そのことを多くの人に知って欲しかったからです。
先日、旅をして与那国の浜辺に降り立つ機会がありました。
砂に足を踏み入れて歩くうちに、なんとも言えない違和感を覚えました。
思わず砂に手を差し込んでつかみ、目をこらしてみて衝撃を受けました。
砂の中に、砂と同じぐらい細かく砕かれたプラスチック片が、びっしりと混ざっているのが分かったからです。
遠目には美しく見える砂浜なのに、こんなことになってしまっている。
誰でもない、人間がしたことです。
これは文明の終わり…、私にはそう思えてなりませんでした。
私は日本人ではありませんが、40年以上もこの国に住んでいます。
美しかった日本を覚えています。
もし許されるなら、ずっとこの国で暮らしたい。
だから知って欲しいのです。
こんなに汚れてしまったことを、そして、ゴミを取り除くことの必要性を、
ゴミを出さない暮らしの重要性を。
これは日本だけの問題ではなく、世界中に伝えたいことです。
ゴミには目に見えるものもあれば、目に見えないものもあることを皆さんはご存知でしょう。
そのどちらも増えすぎれば、文明の終わりを招き寄せます。
おそらく地球自身は、自浄の努力をしていることでしょう。
けれど、浄化のための大きな力になるのは、
一人ひとりの小さな人間の力の集結でしかないのです。
もし、多くの人がそのことに気付くために何かができるなら、
今しなければならないと思う気持ちを止めることはできません。
醜いプラスチックのゴミを大量に見せただけでは、その恐ろしさを分かってもらえないのなら、
私はそのゴミを使って、何か自分が美しいと思うものを作り出す努力をします。
ただ美しいだけのオブジェではなく、
もう一度人の役に立つ実用的なものに変えましょう。
これは、ものを作ることを仕事にしている私の小さな抵抗です。
それによって、この大量のゴミに目を向けて貰えるように。
私はこれを自分の最後の仕事だと思っています。
2014年9月 ヨーガンレール_JURGEN_LEHL
(『おとなもこどもも考える_ここはだれの場所?』@東京都現代美術館より)