待宵の会@湯島天満宮参集殿和室
個展「四谷の湿った放屁2」で知り合った杵屋三七郎さんの会へ。
はじめて正面切って「長唄」と「小唄」の世界を味わったのだけど、
なにか懐かしい趣きで、カラダも心もドップリと明治大正昭和の花街気分。
『長唄 巽八景』 唄・杵屋三七郎/三味線・杵屋佐之義
(作曲・十世杵屋六左衛門/作詞・立川えん馬/1839年作)
尾花招きよせたりし 恋と情の深川や/縁しもながき永代の 帰帆はいきな送り船/その爪弾きの弦による 情に身さえ入相の
きぬぎぬならぬ山鐘の ごんと佃の辻占いに/燃ゆる炎(ほむら)の篝火(かがりび)や/せめて恨みて玉章を 薄墨に書く雁の文字…
「長唄」は、基本舞台で演じられる歌舞伎などから派生した「歌いもの」で、本来は大人数で奏でられるものなのだけど、
お座敷で芸妓が歌う風情を味わってもらおうと、催されたのがこの会。
江戸城の辰巳の方角にあった深川の花街は、芸妓も芸者もとても粋で、ここで遊んでから吉原に繰り出すのが、ひとつの流れだったとか。
長唄としては短い15分ほどの曲だが、ゆるりとした唄の調子が、沁み込むのがひたすら気持ちよく、なんとも言えぬ感慨。
『小唄 婦系図_湯島境内』 唄・塩原庭村/三味線・伊吹清寿
(作詞・河上渓介/作曲・春日とよ)
√久しぶり/髷も似合った二人連れ/梅もほころぶ 境内で/嬉しい思いも束の間に
義理にせかれた切れ話/お蔦が涙泣くなくも/くぐる鳥居の影暗く/月もおぼろの春の宵
「小唄」の歴史は比較的新しく、ジャンルとして確立されたのは大正初期。
何千人といた江戸芸者の系譜で、とびきり三味線のうまい春日とよさんはLegendとなった芸妓さん。
様々な唄をレコードにも吹き込んでいる。のちに小唄の流派ともなった。
時世を唄に乗せるのが「小唄」なので、流行り廃りの回転が早かったらしいのだけど、
この唄は泉鏡花の「婦系図」が映画となったときに、とよさんが唄にして、たちまち流行ったもの。
やはり「小唄」の場末な鄙びた感じが、永井荷風の墨東奇譚に通じるものがあり、ボクはこちらが断然好き。
和物は奥が深い…というか、戦争で見事に断絶してしまった感あり。敗戦の傷跡として、文化を失って久しい。悔恨の極み。
個展「四谷の湿った放屁2」で知り合った杵屋三七郎さんの会へ。
はじめて正面切って「長唄」と「小唄」の世界を味わったのだけど、
なにか懐かしい趣きで、カラダも心もドップリと明治大正昭和の花街気分。
『長唄 巽八景』 唄・杵屋三七郎/三味線・杵屋佐之義
(作曲・十世杵屋六左衛門/作詞・立川えん馬/1839年作)
尾花招きよせたりし 恋と情の深川や/縁しもながき永代の 帰帆はいきな送り船/その爪弾きの弦による 情に身さえ入相の
きぬぎぬならぬ山鐘の ごんと佃の辻占いに/燃ゆる炎(ほむら)の篝火(かがりび)や/せめて恨みて玉章を 薄墨に書く雁の文字…
「長唄」は、基本舞台で演じられる歌舞伎などから派生した「歌いもの」で、本来は大人数で奏でられるものなのだけど、
お座敷で芸妓が歌う風情を味わってもらおうと、催されたのがこの会。
江戸城の辰巳の方角にあった深川の花街は、芸妓も芸者もとても粋で、ここで遊んでから吉原に繰り出すのが、ひとつの流れだったとか。
長唄としては短い15分ほどの曲だが、ゆるりとした唄の調子が、沁み込むのがひたすら気持ちよく、なんとも言えぬ感慨。
『小唄 婦系図_湯島境内』 唄・塩原庭村/三味線・伊吹清寿
(作詞・河上渓介/作曲・春日とよ)
√久しぶり/髷も似合った二人連れ/梅もほころぶ 境内で/嬉しい思いも束の間に
義理にせかれた切れ話/お蔦が涙泣くなくも/くぐる鳥居の影暗く/月もおぼろの春の宵
「小唄」の歴史は比較的新しく、ジャンルとして確立されたのは大正初期。
何千人といた江戸芸者の系譜で、とびきり三味線のうまい春日とよさんはLegendとなった芸妓さん。
様々な唄をレコードにも吹き込んでいる。のちに小唄の流派ともなった。
時世を唄に乗せるのが「小唄」なので、流行り廃りの回転が早かったらしいのだけど、
この唄は泉鏡花の「婦系図」が映画となったときに、とよさんが唄にして、たちまち流行ったもの。
やはり「小唄」の場末な鄙びた感じが、永井荷風の墨東奇譚に通じるものがあり、ボクはこちらが断然好き。
和物は奥が深い…というか、戦争で見事に断絶してしまった感あり。敗戦の傷跡として、文化を失って久しい。悔恨の極み。