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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【豊下楢彦】安保条約の成立

2013-10-19 | BOOKS&MOVIES
驚愕の事実、オンパレードの本書である。

いかに国民が敗戦後の処理に対して無知であるか、思い知らされる。
そしてまた日本帝国がどこまでも「体裁」と「保身」に傾注していたか…を浮き彫りにする。

1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約を以て、日本は主権を回復する。(条約上は)
そして、同時に日米安全保障条約を締結して、カタチ上はアメリカと対等な立場になった。(…と大方のヤカラは思っているのだろう)

以下が条約の前文である。

  平和条約は,日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、
  さらに、国際連合憲章は、全ての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
  
  これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため、
  日本国内およびその付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。

武器を持ち得ない日本国の防衛として、ニッポンがアメリカに「希望」して基地を配置している…と明記されている。
(詳細は避けるが、この武器を持ち得ない立場も、アメリカの要請で「国防省」の設置や「自衛隊」の配備によって自衛権を行使する…覆す密約を結んでいる!)

これが初期の条文案では、

  米国軍の日本駐屯が単に日本と米国一国との特殊関係に基づくものでなく、客観的に日本の防衛が 
  世界の安全保障組織(すなわち国際連合)の一機能であるという意味の名分を立てなければならない。

主権を回復した一独立国家として、有事の際は、国連の委託というカタチでアメリカが動く旨を立てている。
この背景には、1950年に勃発した「朝鮮戦争」における平和維持活動としての国連軍の介入があった。

前出のようにソビエト・中国のコントロールで始まった北朝鮮の蜂起を、地球規模の目線でもって軍事介入した事実は、
憲法で武器を永久に放棄したニッポンには、この上ない有効な外交カードとして響いたのだった。

であるから吉田政権は、占領国から主権国家へと脱皮したニッポンを国民に印象づけようと交渉を有利に働かせるべく動いたのだった。
しかし、そこに天皇が立ちはだかった。新憲法施行前の昭和21年、そして発布3日後の昭和22年5月6日、「元首」から「象徴」へと立場を改めた天皇裕仁が、
マッカーサーとの交渉において、このような発言をしたのだった。

  「日本人の教養いまだ低く、且つ宗教心の足らない現在、米国に行われる【ストライキ】を見て、
   それを行えば民主主義国家になれるかと思うような者も少なからず」
          
           (1946年10月16日天皇・マッカーサー会見(第三回)における天皇発言)

  「日本の安全保障を図るためには、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニシアチブを
   執ることを要するのでありまして、このため元帥の御支援を期待して居ります」

           (1947年5月6日、天皇・マッカーサー会見(第四回)における天皇発言)

さらに朝鮮戦争勃発直前の1950年8月、マッカーサーに替わって条約問題を担ったダレス国務長官に宛てて、

  「(追放の緩和によって)多くの有能で先見の明と立派な志を持った人々が、国民全般の利益のために
   自由に働くことができるようになるだろう。現在は沈黙しているが、もし公に意見表明がなされるならば、
   大衆の心にきわめて深い影響をおよぼすであろう多くの人々がいる。仮にこれらの人々が、
   彼らの考え方を公に表明できる立場にいたならば、基地問題をめぐる最近の誤った論争も、
   日本の側からの自発的なオファによって避けることができたであろう」…と綴っている。

奥崎謙三氏が知ったら、怒髪天になって降りてくることだろう。

東京裁判においてマッカーサーの手により自身の戦争責任を免訴された経緯があるにもかかわらず、
自国民への誹謗と、宗教心の欠如を語り、民衆革命の不安を訴え、天皇存続の危惧ばかりを案じる天皇裕仁。

さらには、米軍駐屯が和平においては至極重要なことであることを国のトップを差し置いて「期待」してしまう始末。

ダレス宛に至っては、現在の政治中枢を全否定すべく、自分の息がかかった戦犯軍人を持ち上げて諮問機関の擁立を目論み、
“日本からの自発的なオファーによって米軍基地配備を進めることが賢明だ”と具体的な発言さえしている。

この背景には、「朝鮮戦争」によってソビエト・中国が台頭してきた状況と、
ソビエト首脳が声高に天皇制廃止と戦争責任の追及を図ってきた事実がある。

共産国、社会主義国の影響力如何によっては、天皇制そのものが廃絶され、自身もその責任を果たされざるを得なくなる。
国政も社会党が追い風となって、国民感情として天皇の戦争責任が追及される危険もある。

   「革命よりも敗戦のほうがまし」

“敗戦”はうまく立ち回れば、戦前の枠組みや思想は温存することが出来る。
しかし、“革命”が起きてしまうと、己の立場が奪われてしまう。

この国民を馬鹿にした「保身」を是とした戦争責任者たちが、天皇を筆頭として敗戦後の後処理でも生き残ってきた事実。

なにより腹立たしいのが、それらの「謀略」や「陰謀」が見事に国民の眼を欺き続け、現代に至っていることである。
いまだにこの「天皇・マッカーサー会見」の記録は一切が闇の中だし、天皇がここまで自発的に己の考えを発していたことすら、封印されている。

国を司る機関が、国民を欺き通そうといまだにしている現実を、どう受け止めていけばよいのか。
原発問題、TPP問題、憲法改正問題、いま立ち上がっているすべての諸悪の根源は、ここに在る。





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【奥崎謙三】ヤマザキ、天皇を撃て!

2013-10-19 | BOOKS&MOVIES
戦慄の著書である。

1972年(昭和47年)に出版された奥崎謙三さんの著作。
奥崎謙三さんとは、のちに「ゆきゆきて、神軍」において日本を震撼させた人物。

しかし、その天皇への恨みがどれほどの深い体験によって裏打ちされているか、知られることはなかった。
奥崎さんはどこまでも至極真っ当な人間なのだ。
勿論、彼が独居房で執筆した陳述書であるから、信じるコトはできない…と歯牙にもかけないオケラもいるだろうが、
パプアニューギニア戦線における1年にもおよぶ“敗走”がどれだけ壮絶であったか、
そしてそれだけの“敗走”が起こりうることを重々承知していながらも杜撰この上ない人員配備と食糧供給、無謀な飛行場建設計画によって、
【独立工兵第三十六連隊】千二百名はむざむざと犬死にすることとなり、皮肉にも投降した奥崎さん含む6名だけが日本の地を再び踏むこととなった事実を鑑みれば、
「天皇陛下萬歳!」を強いて、お国のため天皇のためと良民を戦地へ赴かせた国の責任、天皇の責任には果てしないモノがあることは、
真っ当な人間であれば、易々と判断のつくことだろう。

いま読み返しても、怒り心頭である。

   私は直感的に、この土人部隊には、土人はもちろんのこと、敵兵も必ず駐屯しているにちがいないと判断しました。
   道の北側は、の西側あたりまで、高さ1メートル余りの草が刈り取られて広場となっており、歩行は容易でした。
   私は道を西へ進むことは危険だと思い、道から二十メートルほど北側の草原に沿い、姿勢を草よりも低くして前屈みになって西へ進みました。
   草原の中程で二、三匹の犬にいきなり吠えられびっくりしましたが、大したこともなく、ようやくの西の端まで進みました。
   そこで草原は終わり、前方は密林になっていましたので、私は再び道に出て歩こうと考え、左へ曲がり、数歩進みました。
   すると草が刈り取られた広場に、幅二、三十センチの浅い溝が掘られてあり、その中に大便をして使った白い紙が夜目でもはっきりとわかりました。
   その傍らにはスコップが二丁おいてありました。私は立ち止まって、この急造の便所は敵のモノであると判断しました。

   その時、すぐ近くで、銃に弾をこめる音がしました。
 
   私が弾ごめの音のする方の暗闇を透かしてみると、十メートルほど離れた道端に建てられた低い分哨小屋の中で、
   五、六名の敵兵が地べたに折敷の姿勢で弾をこめている黒い影が見えました。発見されたのです。
   私はおどろいて踵を返し、草原の西端を茂みに沿って北へ逃げました。私が数歩走った時、うしろで銃声が響き、
   私は右大腿部と右手小指に鈍いショックを覚えました。逃げながら右手を見ると、小指は付け根から折れてぶらぶらしていました。
   私は北に真っ直ぐに逃げるとさらに弾を受けることになると思い、左側の茂みの中に飛び込み、敵から三、四十メートル離れた茂みの中で、
   静かにじっと潜伏しておりました。幸い、敵兵は私のあとを追いかけてきませんでした。

   しばらく経って落ち着いてから、私は軍袴を脱いで、右大腿部を調べてみました。
   傷は右大腿部を銃弾が貫通して、血が多く出ていました。私は生き抜くために、数時間前に、狂った田中軍曹から、
   天幕、飯盒、靴、革脚絆を取ってここまで来ましたが、いまでは田中軍曹同様、あるいはそれ以上に惨めな姿となってしまいました。
   このままでは、出血多量で死に、数日後には、今まで’死んでいった多くの兵隊のように醜く膨れあがり、山豚に死体を喰われてバラバラの白骨
   になるだろうと考えながら、死が急速に近づいたことを覚悟しました。
 
1年もの“敗走”は、このように土人と敵兵、そして熱帯独特の湿気と慢性的な餓えとの闘いだった。
それでも終に奥崎一兵卒は、長い敗走生活により満身創痍となり痛みと餓えによる精神的挫折から生きる希望を喪い、
「このまま犬死にするくらいなら、敵兵の銃で瞬殺されたほうがマシだ」と敵地に乗り込む。

その後、俘虜生活を経て日本へ帰国することとなった奥崎一兵卒は、ニッポンが戦前と同じような構造で存在していることに大きく狼狽する。
驚愕!驚愕!驚愕!驚愕の至りである…と。
「あれだけの戦争を興し、戦地であれだけの苦渋を強いた張の本人たる天皇が、なぜ今も君臨しているのか」
「戦地で犬死にした多くの兵士たちへの悔恨もなく、戦災復興へまっしぐらに嬌声をあげる国民に猛省はないのか」
そのような挫折に心根をへし折られながらも、父の死、母の死を境に生活を建て直すべく「バッテリー業」で生計をたて10年。
人間関係のトラブルにより殺人事件を起こし10年の禁固刑。さらに昭和四十四年、6年ぶりの天皇新年参賀式でパチンコ玉を発射、
「不敬罪」とも思われる罪状により1年六ヶ月の判決を受ける。この本はその時の陳述書が元となっている。

   私が、ニューギニアから生きて帰れたからといっって、私の戦友はみな生きて帰れなかったように、
   すべての人間の力や意志の強さには、おのずから限界があり、弱いモノであります。
   ですから私は、強い力や意志を持った、例外的な特異な人間を基準にしないで、弱い力と意志を持った、一般的な、
   普通の、弱い人間を基準にして、それに合わした社会をつくるのが正しいと思いました。
   
   どんなに世界一強い力と意志を持った人間でも、この地球上で独りだけ生きていくことはできないという当たり前のことに、
   独房で私は初めて気がつきました。そして、それは、自然(神)が人類を無限に進歩、発展させるためにはそうするより仕方がないから、
   故意に人間をそのように独りでは生きられない、弱い非力な、動物としては不具な人間を創造したのだと思いました。
   私は、人間というものの非力さと限界を知ると、私を独居房で空腹も感じないで生かしてもらっていることが、
   自然(神)に対してありがたくて、あまりのもったいなさうれしさに、独居房で何回も涙をこぼしました。

   本来ならば、私は、戦友たちと共に、ニューギニアの密林の中で、とっくの昔に餓死して、
   密林の肥やしか、山豚か気味の悪い虫の餌食になっているところなのに、
   自分の意志と力以外の意志と力によって、私は特別に多く、過分に生かされているのだと思いますと、
   それに応じて私は自然(神)や世の人に対して何かお返しをしないでおれない気持ちにかられました。
   そのためには、やっぱりすべての人間が人間らしく、平等に過不足なく生きられ、心身ともに健康に、強く美しく
   清く明るい毎日を送り、一生のあいだ、平和、幸福、自由な人生を過ごして、本当に自然死できる構造の社会をつくるために、
   残生をかけて工夫と努力をしなければならないと思いました。

   そして、すべての人間を永遠に平和、幸福、自由にすることのできる唯一の方法は、
   天皇や天皇的なものがまったく存在しない、弱い平等な万人一様の人間性にあわせてつくられた、
   すべての人間が過不足なく毎日を生活することのできる構造の、数千名を単位、部分として、
   社会全体が故障のない、一つの機械のごとく有機的に構成された、まったく新しい構造の共同体しかないと確信しました。

どこまでも至極真っ当な、奥崎謙三さんであった。
この真っ当さを証明するかのように、ボクは一冊の本にこのあと巡り会う。

【豊下楢彦】安保条約の成立

この本における天皇外交の史実で、ボクは眼をひん剥かれるような事実に突き当たるのだ。


   



 
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【萩原遼】朝鮮戦争

2013-10-19 | BOOKS&MOVIES
前から朝鮮半島の存在は気になっていた。
大化の改新を繙くと、あの時代のニッポンと朝鮮半島は関係は濃厚である。
天智天皇が組んだ藤原鎌足は百済王子「豊璋」という説もある。

国政もままならない時に半島の戦争に首を突っ込んで大敗を帰しているのである。
藤原一族が渡来人であってもおかしくない。
ちなみに蘇我氏が半島からの渡来人であることは正史(国が定める歴史)でも説かれている。

ニッポンの歴史は半島との歴史でもあるのだ。

そんな隣国が1950年に起こした同族争いが「朝鮮戦争」…ということになっている。
おそらく日本史の授業でもあまり触れられることのない史実だし、
この頃のニッポンは講和条約だ、安保条約だと、主権回復に躍起だったので、
多くの国民は、振り返ることも為されない史実として忘却の彼方である。

しかし、拉致問題の発端がここにあり、
引いては南千島、竹島、尖閣諸島などの国境問題がここに凝縮されている。

38度線はどこまでも便宜的な境界線であった…という事実。
一方的に蜂起した北朝鮮も、ソビエトによって作られた傀儡政権であった…という事実。
さらにさらに、何にも増して驚かされるのが、アメリカの存在。

マッカーサー統帥は、北朝鮮・中国の領域に多数のスパイを送り込み(カネで自国民の裏切りを唆し)、
ソビエトの操る金日成の思考や動向を手に取るように把握していたにもかかわらず、
1950年6月26日の開戦まで知らぬ存ぜぬを通し、朝鮮半島を巨大な軍事マーケットへと誘導した。

つまり、アメリカという国は半島の民を皆殺しにしてまでも、
自国の国益_軍産複合体の利益というものを追求し、戦争を興すことで国が潤うカタチを、
「国際連合」つまり国際平和の維持という大義を傘に遂行した驚愕の事実である。

そして、もっとも糾弾されてしかるべきは、ソビエト連邦が北朝鮮を見放したこと。

もともと一介の兵士であったキム・ソンジュ少年を、半島に広く伝わる「金日成伝説」になぞらえ、
一国の主として金日成主席に祀り挙げながら、戦況が窮地に陥ったところでソンジュ少年を見切り、国際的に完全な孤立を強いた。

「朝鮮戦争」とは、このようにふたつの大国の思惑が半島に集結した第二次大戦の徒花だったのだけど、
それによって巻き込まれた国民の死者は300万人にものぼった。

これを読んで思い知らされるのは、政治に道義を持ち込むのは「お笑い種」だということ。
歴史を振り返る時にしばしば陥る改ざん問題は、この事実だけで失笑なのだ。

国は常に国益で動く。そこに道義は露程も存在しない。

そのことを後になって「正しかった」「間違っていた」と隠蔽すること事態が、
歴史から学ぶ…という姿勢を狂わせる。
必要なのは「道義」ではなく、「真実」である。

そのとき国はどのような判断により、コトを興したのか。
その「真実」を子細に眺めることが、人間社会を高みへと導く。

「謀略」「陰謀」「隠蔽」は付きもの…と、思考停止することが、もっとも悪である。




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【関裕二】藤原一族の正体

2013-10-19 | BOOKS&MOVIES
2013年を顕す一文字は「烏」。これが今年のボクの抱負だった。
その志を胸に熊野三山を巡り、伊勢の内宮外宮を巡った。

熊野三山では、太古から連綿とつづく日本人の信仰の深さが、
自然への畏れから派生しているものだ…ということを実感できた。
人間は自然を敬い、自然に一目置くことで、その恩恵を賜る矮小な存在だ…と。

あまたある神社仏閣は元を正せばすべて、自然神への畏れ、怒りを鎮めるために祀られている。
または怨念を鎮めるため。恨みを買うようなことを人間はしてきてしまったのだ。

その最も神格化されたカタチが伊勢の内宮外宮だと、訪れてみて身体が理解した。
その場の空気がすべて「作られている」と感じたのだ。

恭しく丁重に、腫れ物を扱うがごとく振る舞うのが、神への態度。
「神々しい正殿は直視せぬようお願いいたします」
20年に一度の遷宮は、その光臨を瑞々しく後世に引き継ぐため。
「内宮は天皇の祖先、つまり天祖を祀るところです」

この場所を修飾する言葉の数々がこうも空々しいのは、なぜか?
それは覆してはならない事実が秘められていることの、証左。

身体全体で感じた違和感を携えて、ボクは「関裕二」の著作を貪った。

今から一世紀半以上も昔の出来事を、
限られた実証だけでああだこうだと自説をひけらかすのはどうか…と、多くの人は思うだろう。

「もう遠い昔のことだ、そっとしておいてくれ」

「もう決まり切ったことだ、なにをいまさら」

天皇は徹頭徹尾、尊い存在だし、ニッポンという国を作った先祖であるのだから、敬うのが務め。

そのアンタッチャブルな包囲網が、どこまでも怪しい。
疑うことすら御法度な、その空気。
一蹴して葬る、その思考停止な振る舞いが、日本人の無責任主義の元凶だと、今は合点できる。

ここでその説を繙く時間はないのだけど、この一言だけは断言できる。

「天皇家も数ある部族のひとつに過ぎなかった…のだ」と。

骨肉の争いを正当化するためにあらゆる謀略・陰謀・隠蔽を繰り返して、今の天皇は存在する。
そのことを、日本人はもう少し真剣に「思考」したほうが良い。これは忠告である。




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