#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Oct_29】Absence of the City

2013-10-30 | DANCE
冨士山アネット「Absence of the City」@新国立劇場小ホール

日韓共同制作によるダンスの舞台を昨日撮影した。

アフタートークで評論家の乗越たかおさんが
「日本占領下の韓国を舞台にした良質な演劇もあるんだけど、そういったものってなぜか日本では公開されない」
といった言葉が、今回の作品を象徴しているように思う。
2012年に韓国で初演された本作を、日本オリジナルバージョンとして今回上演しているのだけど、
その付け加えた要素にボクは演出家長谷川寧さんの目線を見たように思う。
朝鮮半島というペニンシュラは、日本に陵辱され、アメリカに陵辱され、ソビエトに陵辱され、
38度線を境に同族どうしで陵辱しあった歴史を持つ。
今もその残滓が至る所にこびりつき、強烈な異臭を放っている。
そんな負を背負った土地柄だからこそ、いろんな欺瞞を孕みつつもそれに向き合おうとする姿勢があるように思う。
…傷を負った人間の慈愛とでも言おうか。
隣国の脅威に日々緊張を強いられ、武装が日常な状況下だからこそ、鋭敏な感性も鍛えられる。

翻って、日本はどうだろう?

日本バージョンに導入されたエピソードが端的に日本の立ち位置を示している。
なにかが、“常に”…浮ついているのだ。
68年前の敗戦によって徹底的な辱めを受けた島国が、その屈辱を内省化せずに資本経済を盾にのし上がり、
陽の目を見ること、サニーサイドを定席にすることが本望だと阿諛追従に終始する。
己の弱みを追求せずに、他人の弱みにばかりつけ込み、「俺らは常にメジャーなのさ」と隣国の陰鬱さを毛嫌いする。
その薄っぺらい存在が、今回の舞台で浮き彫りになっていた…ように、ボクには見えた。
常に顧みない、常に諂い、常に虚勢を張る、その夜郎自大なこの国に、ボクは心底怒りを覚えるのだけど、
長谷川さんはそのあたりを、スマートに、サラッと提示するに留めるのだ。見事なもんである。

とにかく、多くの若者に見てもらいたい作品。
東京は本日15時開演。その後、京都、Soulと上演はつづく。

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