#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【churaphoto】本日記者会見

2009-10-21 | PHOTO
10月21日。水曜日。
東京は晴れ。気温22度。

晴れていても風が冷たいのは
沖縄と確実に違うところ。

本日ケータイサイト「ちゅらしまMESH」記者会見が
午後3時30分から沖縄セルラー電話会議室で行われる。

沖縄では最後の調整段階。
こちらはひたすら古い写真を
GPS情報を付加してサーバーにUPする作業。

しかし200点近くの50年代、60年代の写真を見ていると、
沖縄に12年住んで培った記憶と相まって
OKINWAという島の業(ごう)とも呼べるものが
浮かび上がってきて大変興味深い。

写真は昭和25年から35年の10年間、
沖縄の復興とともに夢と希望を与えた城岳遊園地。
那覇高校の向かいの小高い丘にあったらしい。
          (1951年久高将信さん撮影)

こういった記憶は、
35年以降に生まれたウチナーンチュにも勿論ないわけで、
古写真の収集保存⇒データ化という作業がなければ知るよしもない光景である。

しかし、戦災を逃れた「武徳殿」や「教公二法」施行に湧いた「立法院」などが
戦後まもなくの那覇市内には確実に存在していたわけで、
そういった貴重な記憶であり記録を丁寧に地図に落とす作業をしていると、
ボクたちは「歴史」という時間の流れの中で確実に存在しているんだ…ということを実感する。

それはたとえて言うならコペルニクス的視点の転回であり、
ガリレオが地動説を唱えるような意識の裏返しだと感じるのだ。

自分が存在して時間が存在するのではなく、
時間が存在して自分が在る…といった感覚。

人間はどうしても自分本位で世界を捉えるが、
世界の存続に自分の存在は与しない事実。

連綿と時は移り変わり、過去の光景は色あせ、
現実はデジタル化で彩度鮮やかに目の前に広がっているようだけど、
実はこの現実も30年後には完全に色あせ、自身の存在も滅せられる。

知るよしもない「城岳遊園地」や「武徳殿」「立法院」が
ただそこに遺棄されているように、己自身もいずれ葬り去られる。

写真というメディアが黎明期には「魂を取られる」と畏れられたのも
撮影した瞬間、過去の遺物として凍結させられるからか…。

いずれにしても
このような振り返る作業は「時間」を意識させ、
自身を謙虚に導くものだ。

明日からスタートするケータイサイト「ちゅらしまMESH」
ぜひともアクセスいただきたい。










Comments (3)
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