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#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Feb_12】カワグチタカオ ダンス 『THE RED SUN』 with 大谷能生

2021-02-13 | DANCE
カワグチタカオ ダンス 『THE RED SUN』 with 大谷能生 (sax)
Friday Feb 12, 17:00 (Tokyo time) @恵比寿 AL
followed by a conversation with 高田冬彦

写真UPしました。
【on_Flickr】0212_REDSUN



『哀愁』と『華麗』がテーマでした(笑)

大谷さんと隆夫さんの駆け引きがごにょごにょと伝わってきて、
観衆が引き込まれてゆく様が密空間におけるナマの醍醐味だわぁと思わせるLIVE。
こういう皮膚感覚な体験って、オンラインでは求められないモノだと。
すげぇ良かった。
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【Feb_04】櫻の樹の下には屍体したいが埋まっている!

2021-02-06 | DANCE
笠井叡新作『櫻の樹の下には』@吉祥寺シアター
プレビュー・本公演と続けて観たけど、さすが舞台巧者たち、
昨日の、空間を引き寄せる力すばらしかった。
全能神ゼウス笠井さんの宇宙的振舞と、
三島由紀夫的はたまた中上健次的貴種流離譚な儚さの対比が際立ってて、
終幕間近の演出圧巻!ジェンダー発言で男だけの舞台どうなの?
と穿った視座もあるけど、この感じは、唯一無比って意味でも必見だわ。日曜まで。
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俺はそれを見たとき、胸が衝つかれるような気がした。
墓場を発いて屍体を嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。
鶯や四十雀も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、
ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。
俺には惨劇が必要なんだ。
その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。
俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。
俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。

(梶井基次郎著『櫻の樹の下には』)

ステージナタリー

【Feb_02】NINA GALAXY@AFTER PARTY

2021-02-03 | DANCE
NINA GALAXY@AFTER PARTY
【on_Flickr】0202_BURLESQUE


昨日はGALAXYの宇宙的プロフ撮影。
新宿は職安通りにあるAFTERPARTYも、
緊急事態宣言で夜20時閉店。
18時開店だから、たった2時間で
接客やらショータイムやらこなせばならず、毎夜嵐のよう。

そもそも夜の帳が妖しさ演出するっつうのに。
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【on_Flickr】0202_BURLESQUE

2021-02-03 | DANCE
NINA GALAXY@AFTER PARTY
【on_Flickr】0202_BURLESQUE


昨日はGALAXYの宇宙的プロフ撮影。
新宿は職安通りにあるAFTERPARTYも、
緊急事態宣言で夜20時閉店。
18時開店だから、たった2時間で
接客やらショータイムやらこなせばならず、毎夜嵐のよう。

そもそも夜の帳が妖しさ演出するっつうのに。
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【Jan_17】歩行と思考は分かち難く結びついており

2021-01-19 | DANCE
歩行と思考は分かち難く結びついており、人は歩いた距離に比例して賢くなり、多くを発見し、進化する。
ルソー、ランボー、ボードレール、いずれも孤独な散歩を通じ、自らの身体に自然や都市を通過させ、表現を模索していた。
中世、近世の歌人、俳人も大腿筋とアキレス腱を使って、詩を紡ぎ、さすらいの騎士や流浪の王子も旅を通じて、おのが宿命を悟った。
ラスコーリニコフもファブリス・デル・ドンゴもほっつき歩きながら考え、やがて何らかの結論に到達する。
君も多摩丘陵、多摩川、カワサキ・ディープ・サウス、新宿、渋谷、モスクワ、レニングラードと歩行の遍歴を重ねて進化してきた。
未踏の地はまだいくらでもあった。
(島田雅彦著『君が異端だった頃』より)

【Jan_17】裕美ちゃんのやりたいことを ヒグマさんと曽我さんがサポート

2021-01-19 | DANCE
ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.89@アトリエ第Q藝術

ダンス/立石裕美
映像インスタレーション/ヒグマ春夫 
音楽/曽我傑 
照明/早川誠司

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0117_P-SHIFT089



裕美ちゃんのやりたいことを
ヒグマさんと曽我さんがサポートしてる…そんな関係性が見えた回。
それだけ彼女のカラダを張ったパフォーマンスは観る者を圧倒してたし、
儀式としての裸拓から最後の絶叫まで筋が通ってた。
写真撮れて良かった。記憶に焼き付けることが出来たわ。

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【Jan_17】ダンス/立石裕美

2021-01-19 | DANCE
ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.89@アトリエ第Q藝術

ダンス/立石裕美
映像インスタレーション/ヒグマ春夫 
音楽/曽我傑 
照明/早川誠司

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0117_P-SHIFT089



裕美ちゃんのやりたいことを
ヒグマさんと曽我さんがサポートしてる…そんな関係性が見えた回。
それだけ彼女のカラダを張ったパフォーマンスは観る者を圧倒してたし、
儀式としての裸拓から最後の絶叫まで筋が通ってた。
写真撮れて良かった。記憶に焼き付けることが出来たわ。

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【Jan_17】ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.89@アトリエ第Q藝術

2021-01-19 | DANCE
ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.89@アトリエ第Q藝術

ダンス/立石裕美
映像インスタレーション/ヒグマ春夫 
音楽/曽我傑 
照明/早川誠司

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0117_P-SHIFT089



裕美ちゃんのやりたいことを
ヒグマさんと曽我さんがサポートしてる…そんな関係性が見えた回。
それだけ彼女のカラダを張ったパフォーマンスは観る者を圧倒してたし、
儀式としての裸拓から最後の絶叫まで筋が通ってた。
写真撮れて良かった。記憶に焼き付けることが出来たわ。

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【on_Flickr】0117_P-SHIFT089

2021-01-19 | DANCE
ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.89@アトリエ第Q藝術

ダンス/立石裕美
映像インスタレーション/ヒグマ春夫 
音楽/曽我傑 
照明/早川誠司

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0117_P-SHIFT089



裕美ちゃんのやりたいことを
ヒグマさんと曽我さんがサポートしてる…そんな関係性が見えた回。
それだけ彼女のカラダを張ったパフォーマンスは観る者を圧倒してたし、
儀式としての裸拓から最後の絶叫まで筋が通ってた。
写真撮れて良かった。記憶に焼き付けることが出来たわ。

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【Jan_14】ミコラボ@狛江市立緑野小学校

2021-01-15 | DANCE
昨日はミコラボ@狛江市立緑野小学校、発表見学。
コロナ禍で人前で発表する機会が奪われ、
マスク常用で子どもたちも表現することに戸惑いが。
それに輪を掛けて親からのプレッシャーもあり、
常に正解を求めようとする姿勢が「右に倣え」な姿に。

全体的に閉じた印象の発表会。

長期化するコロナで感情の発露も育たない教育現場に、一抹の不安を覚えました。
だからこそ、不思議な大人達との接触機会をもっと創らんと。ね。
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【Jan_03】〈常闇形ひながた〉by室伏鴻

2021-01-05 | DANCE
生まれながらにして異形であることの宿命に巣喰う、
存在の全的充足とはどのようにしてやってくるのかという問いの渦中で
思考の持続を暴力的に切断する、切断の断面に立つ、
重奏する闇から血が滴りおち命が湧出する
それを見たい、所有したい、
かしいだ命、きれぎれの吐息、傾いだ船、
片翼の飛行、溺死の予兆であり墜落の予兆、
もののかたちがくずおれ、隠されたものが露わになる。
存在の際きわ、縁ふち、隅すみ、鄙ひなへ、常闇ひなへ。
死臭が、より生を際立たせるだろう、
必死で際立つもの、
断面に動かしがたい必然として残酷、
滑稽に灼き付いた痙攣が舞踏の祖である。
命の祖形がある。

すべての裂傷の、危機の、中心にあって私は、一個の破局である。
危機一身となり、もはやどこの世界へ連行されるかを知らぬ。当の私が世界を連行している魔の巣窟である。
私はわたし自身の薬師でなければならない。

撲殺体。

私の存在を全体として奪い取るものでありたい。
未知への切迫は、限度を超えるエロス、恋だ。
私は神であるのを止め、測量不能なものに私を同一化して狂気の王となる。
私の存在を、非在をめいっぱいに充満するものは不安やおそれではない。
それがいつもそこから打ち寄せてくる私の存在の海、鄙の地、私の中心にある原初の混沌。

現実の海の前で私は慄える橋である。

私は脱出したまま宙吊りになった肉体である。
嗜虐的なまでに痛覚を呼ぶ肉体が、この国の常闇に血統している。
緊張と痙攣と破砕への切迫、そして絶対的静寂への…。

忍耐をこえる痛み、陶酔は、私を喪失させる。
無我の、呆気の境にあるものもまた、舞踏の祖である。

私は私を舞踏場に殺害する。

が私は不死であり甦るものだ。
私をひとつの全体として死なしめ、再び、ひとつの全体として生かすものの力が、
常闇から風を捲き風を切って露らわになるとき、常闇形は醒めた鋼として収穫される。

                               (室伏鴻)

【Jan_03】〈外の舞踏〉by室伏鴻

2021-01-04 | DANCE
〈外〉にこだわり続けること、一方的に。
それが一方的であるから、多方の〈外〉を孕み持とうとするのだ。
〈外〉とは何か。或る者はこう言い、又、或る者はかく言う。
かく言う〈外〉とは、それらの複数の声によって照射されるところの、
すなわち絶対的に、単一的に名指されることから外れてゆくところのなにものか。
未名の〈常闇形〉。非文の「肉体」。

なぜ「舞踏」をはじめたのかとしばしば問われた。

かつて何度か〈土方巽を見たから〉と答えた。
その土方は死んだ。一九八六年が明けて、唐突に掻き消えるようにして亡くなった。
今、彼によって始まった〈舞踏〉は彼とともに葬り去られてよい。
慎んで〈舞踏の祖〉という冠名を戴いた彼の晩年の不本位に、哀悼の意を表したい。
それと同時に、彼が〈土方巽〉の名に於て、あるいは〈暗黒舞踏〉の名に於て、
語り継がれてゆくことの〈外〉で、その固有名詞によって代名されえなかったものにこだわること。
看板は外されたが、外されたことによって露らわになるもの、
看板がかかげられた時、既にその看板の外へとはみ出してゆく匿名のものの交通によって、
無名に於てこそ、私は舞踏を選んだ…。

ゆえに〈外〉にこだわることは、その無名、未だ名をもたないものの生成の、
その刹那にこだわるということなのだ。

他ならぬ土方が「肉体の叛乱」の舞台で誰にも突き付けるというのではなく、
自己の肉体に宣告したものがそれだと思うからだ。

(中略)

あらゆるものの声が消音するところの、
あらゆる雑音を許容したまま未だ名ざされることのない
〈外〉があることを証すかのように…
その葬送し切るなどということの到底不可能なものに殉じて。
…すなわち〈外〉に殉ずること。〈外〉が伝承される。


                   (室伏鴻)
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【on_Flickr】DANCER_13

2020-12-22 | DANCE
牟田のどか@四ツ木
【on_Flickr】DANCER_13


Co.RURI MITO作品『MeMe』でつながったダンサー。
廃墟や寂れた情景を映すbozzoの世界観に共鳴しての四ツ木撮影。
立石駅の変貌ぶりを諦観しつつも、
最後は河川敷の芒をバックに茫漠とした絵をパチリ。
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