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#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【May_11】猿田彦神社

2013-05-20 | KUMANO
猿田彦神社である。

外宮からこの場所に降り立ったとき、
とても親しみ深さを感じた。

外宮の威厳が解けたから…ということもあるが、
猿田彦には、氏神様の趣きが感じられた。

あとで調べてみて、合点した。

元々、この地を統べていた国津神が、この猿田彦だったらしいのだ。
いわば、朝廷の力でもって屈服させたのが、伊勢に鎮座する神宮で、
猿田彦は「天宇受売命(あまのうずめのみこと)」をもらい受けることで承諾したらしい。

天宇受売命とは天照大神が天の岩窟に籠もった際、
神楽でもってにぎやかに舞い、
恥部をも晒すことで御神を再び顕現させた曲者。

恥部を晒す…つまり、元々天照大神は男神だったということ。
持統の女帝が、なにかを企んで史実を捏造したのだ。

【May_11】外宮_多賀宮

2013-05-20 | KUMANO
神宮には神の二つの面である荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)が
別々に祀られている…とされている。

正宮には和魂(にぎみたま)が、この多賀宮には荒魂(あらみたま)が祀られている。

この二重構造が、カギを握っている。

【May_11】外宮_正宮

2013-05-20 | KUMANO
雨が激しく降る中での参拝だったが、
その存在感たるや、他の神社にはない威厳に溢れていた。

そして、そのアウラが強ければ強いほど、
「ここには何か裏があるな…」と勘ぐってしまう。

皇祖神が祀られている神宮なのに、
なぜ天皇自身が参拝をされないのか…という疑問。

何人も見ることを許されぬ「心の御柱」の存在。

式年遷宮を始めたのが女帝の持統天皇であること。
その持統が「日本書紀」を書かせたという事実。

その古代のスペクタクルに思いを馳せると、
「天皇家」というのも数ある血族のひとつでしかなかった…という史実に気付く。

神道を辿ることは、古代の権力争いを繙くことになるのだ…と。


【Mar_24】西村伊作自邸

2013-04-22 | KUMANO
和歌山県新宮市に1914年建立、国の重要文化財。
西村伊作が自ら設計を手がける。

中上健次が主宰した「熊野大学」の前身「隈ノ會」の会場として使用されてもいる。

健次にとって大逆事件で処刑された43歳の医師大石誠之助は、
小説でもっとも描きたかった人物であり、
表現者として、国家権力につぶされた大石を描くことは、
新宮という土地が担わざるを得なかった
「神武以来敗れ続けてきた闇に沈んだ国=隠国(こもりく)」
「大和に平定された場所=逆さまの国家」
の宿命と向き合うことでもあった。

  「隷従の文化に縛り付けられているこの地方には、
   現実の力の壁を食い破るエネルギーが満ちており、
   神話や物語が現実に内在した豊饒の世界がある」

大石の甥にあたる西村伊作もまた、
叔父のリベラルな精神を受け継ぎ「文化学院」を創立、
戦中は不敬罪により投獄されるのだけど、

大石誠之助、西村伊作、そして南方熊楠や中上健次に共通しているのは、
この土地がもつ独特の風土、海と山が混淆する「陸の孤島」に育ったこと。
北方の植物と南方の植物が併存する類い希な「大いなる自然の宝庫」で育まれたこと。

人知の及ばぬところがある…と思い知らされた経験があるから、
人間主導の浅はかな「国」の成り立ちは、はじめから信用していなかったのだと思う。

そして震災後のニッポンは、相変わらず迷走を繰り返している。
東北の民を、フクシマをおざなりにしたまま、MOX燃料をフランスから持ち込もうとしている。
普天間基地移設を自治体レベル、市民レベルの問題に落とし込み、「主権回復の日」を祝おうとしている。
被災地復興に手をさしのべるのではなく、アベノミクスのマジックで企業の私財に加勢することで
忌まわしき「3.11」を忘却の彼方へと葬ろうとまでしているのだ。

畠山美由紀の「我が美しき故郷」じゃないけど、
東北の民も、沖縄の民も、熊野の民も、厳しい自然から学んでいるところが大きいのだろう。

人間至上主義からは、近視眼的な発想しか生まれない。















【Apr_22】文化学院

2013-04-22 | KUMANO
1921年4月22日創立。本日、創立記念日。

和歌山県新宮生まれの西村伊作が創立者。
1943年、不敬罪によって西村が投獄されると、文化学院も強制閉鎖となり、
連合軍捕虜収容所として使われたため、大空襲時も戦火を免れた。

「国の学校令によらない自由で独創的な学校」を目指して作られた背景には、
叔父の大石誠之助が1911年、明治天皇暗殺計画の大逆罪により死刑に科せられる…という
国政、国策に対する強い不信があったと想像される。


【Mar_23】熊野牛玉宝印

2013-04-09 | KUMANO
熊野三山の本宮、那智、新宮にそれぞれ伝わる「神文」。
八咫烏がそれぞれ本宮は85羽、那智は72羽、新宮は48羽使われ、
本宮・新宮は「熊野山宝印」、那智は「那智瀧宝印」と象られている。

新年を迎えた早々の午前2時、八咫烏帽を被った権宮司が秘所にて神事を行い、
牛玉宝印を摺るのに使う清水を組み上げる。
翌2日の午前5時、宮司たちが本社礼殿に座し、清水で墨をすり、
一枚一枚丁寧に「宝印」が和紙に押される。
その後、松明によって清められ、一日ご神木とともに神前に奉安され、
七日間の太鼓と打板の乱打を経て、ようやく参拝者に授与される…という代物。

宝印の中心には剣と鏡が描かれているが、
鏡の周りを囲むように八羽の烏が配されているのは、
太陽が八方をあまねく照らすように願ったもの。

この「神文」は、誓文(起請文)として武将どうしの盟約に用いられた。