3連休はちょっとおでかけしてまして、その記事も書かないといけないのですが、
まだ写真の整理が終わっていないので、ひとまず、これまたたまってる大阪編のネタで今回も行きますね。
ということで、姫路のモノレール(運営は姫路市交通局)のお話をちょっとだけ。
えー、姫路にモノレールなんて、ということですが、「跡」とあるとおり、
もう廃線になってしまった路線です。
でも、実際には車両や遺構が結構残されていて、山陽線の姫路駅界隈でいつも見ていた
モノレールの橋脚をもっと近くで見てみたいと思っていました。
姫路のモノレールは姫路駅から手柄山駅までを結んでいたモノレールでした。
手柄山で開催された「姫路大博覧会」へのアクセス交通という名目で昭和41(1966)に開業...
はしたものの、博覧会のオープンには間に合わなかったそうです。
しかも、この手のアクセス交通のサガ、博覧会後は案の定利用客は激減。
これには博覧会の有無だけでは無く、路線が1.6キロしかない、でも運賃は高い、
終点手柄山駅が住宅地では無く公園(しかも高台)にあった、などの要件もそれに輪を掛けたようで、
結局営業不振ということで1974年休止扱いののち、1979年に廃止となりました。
姫路市内にまだ大量に残る遺構=橋脚は、撤去だけで数十億円かかるとのことで、
なかなか工事が進まず、いまなおその多くが建物に取り込まれたまま、
もはや日常生活の一部分として生き残っている、ということのようです。
山陽姫路駅のガードのわきを歩くと、早々に目に入ってくる橋脚。
完全にオブジェ
こんな風に、古い建物がすっぽりと囲んでいて、建物全部壊さないと
橋脚撤去できないといった感じです。
果たして橋脚が先なのか、建物が橋脚と一緒に立てられたのか
建物が橋脚を囲んで建てられたのか、考えてしまいました。
どうもこの界隈、再開発が進んでいるようで、この遺構もいよいよ見おさめな感じがしました。
こんな廃(ハイ)な感じがあふれていてとても好きなんですけども
そしてこれが姫路のモノレールの遺構の中でも見たかった、大将軍駅跡。
駅?跡?
そうなんです、建物の中に、モノレールの駅があったのです。
モノレールの駅の下はビジネスホテル、上は公団住宅。
この斬新な発想が、昭和41(1966)年にあったことがすごい。
でも実際にはこの駅から姫路駅はすぐで、乗るよりあるいたほうが早いということなどもあって
開業してから2年後にこの駅は廃止になったそうです。
でもそれがまだ残っているっていうのが、すごい。
ちなみに、ビジネスホテルは廃業していましたし、前述の通り再開発をしているっぽいので、
果たしてこの建物、いつまで存在するのでしょうか。
まだ住人の方は住んでいるっぽかったので、大丈夫かしら...。
>>あいにく時間が無くて、大将軍駅後までの散策となりましたが、はじめて見て以来25年以上の宿願、やっと叶いました(^^
まあほんとは手柄山駅も見たかったんですけれどもね...。
>>ところで、廃止になって30年以上たったというのに、モノレールの車両自体はなんと保存されていました。
それが昨年一般に公開されるとあって色めき立ったのですが、
結局、見に行けなかった事はすごく悔やまれるところです。
整備されて展示はされるようなのですが、出来れば「廃なるもの」の状態で見たかったのです。
>>ちなみにモノレールの構造としては小田急向ケ丘遊園のモノレールと一緒で、「ロッキード式」。
製造は川崎航空機。ほんまものの飛行機メーカー製でした(^^;