Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【てつどう】消えゆく寝台特急「北陸」を乗りに行ってきた。

2010-02-17 | てつどう。


列車や鉄道車両がなくなる直前の盛り上がりというものは、昔からありました。

自分は「さよなら運転」とか、「さよならヘッドマーク」よりも、
そういうのがない「日常の姿」が好きなので、去就の際の狂騒曲には付き合いたくは無いのです。
若いファンの方々や、ファンになったばかりの方なら仕方ないと思うのですけど、
たとえばそろそろ去就が注目される本線筋運用の京王6000系(祭りの予感がします)は、
昭和47年から黙々と走り続けていたわけで、
普段から目を向けておけばいいのになあ、と思うわけです。



といいつつ、過去国鉄101系が中央快速線から撤退した際には行ったりしていたので、
完全にそうしたわけでは無いのですが。


とはいえ、最近の「騒ぎっぷり」はちょっと異常だなって思うこともあります。
鉄道各社も「意外と稼げるぞ」と思っているかどうか
わからないものの多少なりファンサービスをするようになってきていることもありますし、
インターネットですぐにさよなら運転や、消えゆく車両、列車の情報が手に入るということも
その傾向を強めさせているのかもしれません。



といいつつ、消えゆく寝台特急「北陸」に乗りに行ってしまったわけで、
あまり大きなことは言えないんですよねえ(大汗



土曜日の午前中が会議だったので、そのままの勢いで東京駅に向かいました。
鉄&仏車仲間のとくさんと同じく鉄菱会で、長年の友人猫澤君はすでに
その前の日の夜の「能登」で北陸地方入りしており、ieは追いかける形になります。


そういえば新幹線は西に向かうのはよく乗るのだけど、北に向かうのは5年ぶりくらいかもしれない。
しかも上越新幹線は何年ぶりだろう?




13時12分発の「Maxとき 325号」のグリーン車へ...そう、グリーン車なのです。
切符はむろん「北陸フリー」、となれば、3000円プラスくらいでグリーン車に乗れる
「北陸フリー・グリーン」で行かないはずはない!



まあ、越後湯沢まであっという間なのですが、さすがグリーン、相当気持ちいい。
シート形状もまあまあでした。



トンネルを抜けて到着する越後湯沢は雪の中。
ここでは8分しか乗りかえ時間が無いです。
ここから乗るのは、すっかり東京~北陸地区連絡のメインルートになった
「ほくほく線」を走る「はくたか」。




JR東日本の路線を堂々と走るハイグレードなJR西日本の681・683系(北越急行車もあり)っていうのが素敵です。



むろんグリーン車に乗ります。
車内はさすがJR西日本だけあって、シックで落ち着きます。ゴージャスではないのですが、
そこがまたいい。
シートも座り心地がよく、このまま金沢まで乗りとおしたくなりました。




でも糸魚川で降ります。
そう、3月で消えゆく大糸線のキハ52と、同じく役目を終える赤レンガ車庫を
最後の記録にとどめるためです。




ちょうど折り返しで待機していたキハ52は、3色復元されたうちの旧国鉄一般色。
青ツートンはさらに古い色ですが、古すぎてピンとこないので、これは嬉しい。
まあ、ieの世代はタラコ1色なんですけどもね(^^;






新幹線の工事は進んでいて、赤レンガ倉庫の手前まで迫る勢いです。
しかも赤レンガ倉庫には、すでにキハ52の後釜、キハ120が収まっていて、
来るべき時が来てしまったことを予感させます。
DD15も見ることが出来ました。




夕刻の糸魚川駅にたたずむキハ52...。これで正真正銘、最後の邂逅でしょう。
カメラと、まぶたにしっかりおさめます。





ここからは北陸本線の475系で富山まで。
原型大目玉!というよりも、急行型電車が日常走っていることのほうが驚き。


塗装が新しいデザインなのですが、それでも漂う年月の重みと風格は隠しようが無い...。




発車前にすれ違った直江津行の419系。もと寝台特急581・583系の改造車という
すごいプロフィールの持ち主。
国鉄末期に、各地方のローカル線を客車→電車化するにあたり、一時しのぎで投入された
シリーズなのに、平成の世も21年、まだ現役バリバリ。
寝台特急時代よりも長く使われているというのですからこれまた驚き。




福井よりにつくクハ419。見ての通り、見事に「月光型」の顔。
もとクハ581なので、運転席後ろの機器室が特徴的です。




富山からは485系の「北越」で金沢方面を目指します。
この485系はJR東日本所属。6両×12本の「今となっては大所帯」のうちの1本。
大阪口の「485系雷鳥」が今春の改正で壊滅的に減ったあとで、
まさか牙城を残すのが、車両の入れ替えが激しいJR東日本になろうとは思わなんだ...。




そして19時すぎて、ようやく金沢着。
ここからたった3時間で「北陸」で折り返します(涙

よく芸人さんが「ニューヨーク1時間でとんぼがえり」とかしてますが、
心境はそんな感じ(号泣


ここでようやくとくさんと合流。ほんとはieも「能登」で朝に金沢入りするはずだったんですけども...。


とくさんのご友人JOEさんのご案内で、超!きれいになった金沢駅からほど近い
回転ずしのお店で思いっきり日本海の海の幸を堪能。
安いし...旨いし...日本酒が止まらない!




このあと、JOEさんのニューチンクで東茶屋町へ。
わずかな時間ですが、満月の下、金沢らしい風情にひたり、思い切り感動しました。
JOEさんありがとうございました!



さあ、いよいよ金沢駅へ!

おみやげやら、酒やらwがんがん駅のコンビニで買いこんで、いざホームへ!
日本海を見送った後、ほどなくして今夜の「宿列車」、「北陸」が入ってきました。
「北陸」の入線するホームには、というか、その向かいのホームまで、
カメラを抱えた人でいっぱい。
上野がフィーバーしているのは知っていましたが、まさか、金沢までこんなことになっているとは!




金沢のホームにすべりこむ489系。美しきボンネットスタイル。これももう少しで
定期列車から見おさめです。
まあ、よくぞ平成22年まで残っていたなあ、とも思います。


北陸と能登が並んだころにはファンの数はピークに。
でもみんなとてもマナーが良く、
よくある「この手のさよなら」の時に騒ぐような不逞な輩もおらず、
同門の趣味を持ついちファンとして、すごく安心しました。




金沢駅に並んだ、消えゆく2列車。どちらも国鉄時代の香りを強く残す名優です。





今回はB開放寝台に乗車。この見なれた寝台列車の景色も、どんどん数を減らしていますね。



EF81-150に牽引された14系寝台車で組成された寝台特急「北陸」は、
定刻22:18に金沢を出発しました。
乗ったのは前から2両目だったこともあって、発車時の衝動は少なめ、
とはいえ、それが味わえるあたり、やはり客車列車はいいですね。


車内は「ほぼ」同業者で占められていました。
実際、この列車が無くなるとなった段でも、一般利用者が増えていないことが、
この列車の命運を語っているように思えます。


下段は取れなかったのですが、その下段はたぶん「予備」で、
金沢、津幡、高岡を過ぎても誰も乗ってこないので、
ieは窓際の補助椅子に座り、とくさんは下段を拝借して、
夜行列車の中でささやかな宴。
ブルトレに乗りながら酒飲むという、この至上の幸せに
2人とも富山を過ぎたあたりでいそいそと寝台にもぐりこみ、ダウン...。


ieは夜中に少しだけ起きて、上越国境越えの満月に照らされる雪山を
デッキの折度から眺めたりしていましたが、それも長くは持たずにまた眠り、
気がつけば翌朝の大宮。




そらはまだ真っ暗ですが、そのぶん、ひとばん中「北陸」を追いかけてきた
月の明るさが際立ちます。その月を映した荒川を越えていよいよ東京都へ...。







上野へは定時着。
降りたら、石川よりも寒い(+__+



直江津で方向転換をすることをすっかり忘れていたので、
気がついたら後ろから2両目に乗っていたことに。
最後尾に行ったら、もう推進回送の準備していてテールサインを撮り損ねましたが、
この景色もまた上野着の夜行客車の風情。

櫛形ホームの先端にいる、僕らをここまで運んできた牽引機、EF64-1000に会いに
ホームをてくてく歩いていったところ、
この早朝だというのに、カメラを構えたファンでいっぱい!!!




こうして18時間余りの北陸エリア行き強行軍は終了。
短い時間でしたが、充実していたので、満足でした。


とくさんありがとうー。また遊びに行こうね。



>>下り、上りともに終着駅が早朝着。寝台車とはいえ、個室のソロは狭めだし、
B寝台車はいまのご時世では眠るにはプライバシー的に流行らない。
ビジネスマンがかつては寝台車を利用していたのだろうけれど、
スーツで乗って、スーツ脱いで浴衣に着替えて...っていうビジョンがまったく
思い浮かばないんですよね。

>>そう思うと、もう旅情をもとめた旅好きか、ツアーか、ファンしか利用層がいない...。
廃止もやむなしかな、って素直に思いました。
時代の流れなのでしょうか。
コメント (10)
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