My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

反戦と兵器と父の学生時代

2014年03月21日 | 或る日或るとき
父が何やら大昔の流行歌らしき鼻歌を歌っていたので、
「あ、それ、聞いたことがあるわね。お父さん、私が子供の頃によく歌ってたんじゃない?お風呂でよく歌ってたわ。」
と、何気なく反応した流れから、昔の話になった。


父曰く、
「この歌が流行った頃はね、戦争が終わって、世の中が落ち着いた頃で、昔を回顧する歌が流行り始めたんだ。ちょうどお前が生まれた頃から、明るい感じの歌が流行ってきた。
そして、やっと、あんな辛いこともあったね、こんなこともあったよね、と、話せるようになっていたんだ。話せると言う事は当時それだけ世の中が安定してきたからなんだよね。」

「つまり、ほんとに辛い時はその事を話せない、って事でしょ?」

「そう。」

現在の生活が安定してこそ辛い過去を振り返る事ができるということだろうか。それでも真に辛かったことはなかなか話せるものではないかもしれない。

「そういえば、私が中学・高校の時だったか、戦争中の事をお父さんに聞いたとき、あまり話さなかった気がする。茄子ばかり食べてた、とか言って笑っていたけど。」と、私が言うと、

「うん、あまり話したくなかったね。」

父はたしか大学の予科というところに入って、間もなく終戦となったことは聞いていた。

「お父さんも、軍事教練したんでしょ?」

「したよ。すぐ終戦になったから戦争には行かなかった。」

「よかったー!と思った?」

「思ったさ!ほんとに、助かった!と思ったね。」

ああそうだったのか。命拾いした当時のその瞬間が、生々しく感じられた。当事者の言葉は、本や資料よりも迫力がある。

それから何故か唐突に、工場でバッテリーの部品を作った話をし始めた。
学生を動員してのそれは、魚雷を作るためのものだった。

「結局俺達は、兵器を作らされていたわけ。いやだったな。」

初めて聞いた。

「人を殺すものだとわかって作っていたわけ?」

「そう。しかも、それは、行くだけの容量のバッテリー。帰ってくる事のない。」

(続く)

反戦と兵器と男の子

2014年03月21日 | 或る日或るとき
息子が、まだ中学生だったころ、彼はプラモデルに夢中だった。
作るものといえば戦車や航空母艦。
戦車は完成してからの一工程が欠かせなかった。
それは、戦車の表面に小麦粉を振りかけて擦ったりして、埃にまみれた雰囲気を表現する作業だった。

私から見れば、折角光沢のある完成品を、「わざわざ汚くしている」ようにしか見えなかったのだけど
でも、汚しをかけて晴れて完成品。リアル感ということね。
オマケのごとく、おじさん顔の兵士のフィギュアも配置。でもこれ、そこかしこに落ちて散らばる。私は兵士のフィギュアを足で踏んでしまい、イタタタッ!

航空母艦にはこれまた小さな戦闘機。
ハエか何かに見えてしょうがないそれも、知らないうちに床に落ちていて、それも踏んで、イタタタッ!
あーもういやっ!
という日々がしばらくあった。

「これ、戦争の道具だけど、こういうの作るって、なんだかいやだわね。」
ある日私はそう言った。すると息子、
「お母さん、心配?僕が戦争好きだったらどうしよう?って思ってるよね?」
「うん、まあね。」
「戦争が好きっていうわけじゃないよ。戦車とか戦闘機がすきなだけ。」
「えー?それ、同じことじゃない?」
「同じじゃないよ。美しいから好きなの。ギリギリの、ムダを省いた戦闘機なんかは綺麗で見ていて飽きない。でも戦争したいというわけじゃない。してはいけないってことくらいはわかっている」
と言うやりとりが、あったのだった。

それから程なく家庭訪問週間となり、
担任の先生(男性)がいらした。何を話したかもうすっかり忘れてしまったが、大した話題もなかったからか?
帰り際、息子に、「来た時ときすぐタミヤの箱に気づいたぞ。作ったのか。見たいな。お前の部屋入らせてくれ」
というわけで、きたなーい息子の部屋へ。
戦車を手に取り、「うーん、接着が、甘いな。もすこし丁寧にな。汚しはなかなかいい。」
と、技術検査講評のようなことをおっしゃり、帰られた。
と、いうことだけは印象に残った。
タンスの上に二個ほど積んであったプラモデルの箱。タミヤの、星が何個かのマーク。目ざとく見つける先生。
かつておとこのこだった、そして大人になってからもそのおとこのこは同時進行してるかのように?


ま、息子はその後暫くミリオタ状態?が続いたようだ。

そんなことは、ずっと忘れていたけれど、最近ふと思いだした。


というのも、映画風立ちぬの感想などがチラチラ目に入り、ちと考えさせられたから。
***

この文は八月に書いたけれど、草稿のままだった。
私のブログにしては、いささかギョッとするタイトルにしてしまったが
反戦とはなにか。私のような一人のかあさんが取り越し苦労することはただ漠然とした一過性の心配。
だからこそとてもデリケートなこと。反戦のための戦い、のための、が別次元で起こりうる流れだって存在するし。
兵器とは。殺しの道具か。ある一定の視点からにより使用を許される。それは大抵の場合、やむにやまれぬ状況を勝手につくったうえで、正義に転換される。
いま私が認識できるこれが限界。それは当たってないよと、見知らぬ誰かに言われてしまうかもしれないが。

唐突だけれど、草稿のこの一文を公開。(ってほど、勿体がつくものでもないよね。単にBlogの用語です。オドオドw)
というのも、高齢の父が珍しく、終戦直前の心の内をぼろりと私に話したから、そういえば、と、思い出したのだった。

(「風立ちぬ」を観ていないので、人の感想を読んだだけで、映画の内容をああだこうだ言えないと思い、控えるけれど、いろいろな視点からの映画表現には興味がある。でも映画館に足を運べないのが悲しいところ。私はそれが反戦映画とはおもっていないけれどタイトルには敢えてその二文字を入れてみた。)