父達学生は、魚雷のバッテリーの一部分、金属の網に何かの粉(聞いたけど忘れた)をまぶしたものを、機械でプレスする作業を延々としていたそうな。
その工場は、京都の九条にあり、そこで出来たバッテリーの半製品は、尼崎に送られてそこで完成品となり、魚雷に組み込まれるということらしかった。
終戦直前の話。
その魚雷というのは、、、
「人間魚雷なんだ。」
「え?なんで、人間?人間て、、」
「今のように、魚雷にレーダーとかセンサーとか、つけられないから。」
「人間が操作する?」
「そう。ちょうど、冬季オリンピックの競技のリュージュのように腹ばいになって乗るんだ。とにかく相手に命中しなければ意味がないからね。」
「そ、それって、乗った人って!」
「うん。玉砕ということ。」
「そ、そんな。いやだわそんなの。」
話を聞くうちにゾッとしてきた。
父達は、現在の車のバッテリーのヒダヒダの部分が厚さ1ミリ位だが、3ミリくらいの薄い薄いものを作るためにプレスする流れ作業を、黙々とやった。
薄いその部品はたくさん重ねると瞬間的に倍の電気が溜まり瞬発的に放電し後は充電できない。その必要もない。何故なら戻ってはこないから。銃弾と同じく。
「そういう物を作っているとわかっていて作業をしなければならなかったの?」
「君達の先輩が、それに乗るんだ、そしてその次には、君達も乗るんだよ、と。そう言われながら作っていたんだ。」
「き、君達の先輩?!(◎_◎;)君達も乗る?なにそれ!」
惨い。けれどしたがうしかなかったんでしょうね。
気の小さい父、嫌だなんて言えなかったろうに。真っ向からたちむかえることなど、出来るはずもなく、もとより
そんな時代でもなかったでしょうね。
電車の車輪くらいの大きなハンドルを回して、こうしてプレスした部品を次にまわして、流れ作業でどんどん作ったのだと、(身振りで説明)し
父はそのバッテリー部品をいかに薄くするかを詳しく語っていたが、
多分目の前の作業に熟練することに集中していたんではないかな。怒鳴られ急かされにしても、慣れで技術を習得したかも。だんだん要領よく出来たらそれなりの達成感もあるのが、単純作業。
設計図どうりに組み立てて、と、ある瞬間それが何のためのものかさえ忘れることもあったかもしれない。というより、そうでなければやっていられないのでは
ないかと思った。
父の関係した魚雷は、使用されることなく終わったそうだ。
「それが使われたという記録はどこにもないんだ。」
話している途中で父に電話が来たので、
それきりになった。
翌日も父に会ったが、話の続きなどはお互いしなかった。
成り行きでしか、そんな話しは出来ないものかも。
きっとこの季節にその工場にいたから思い出したのかな。そしてその後五ヶ月もしたら終戦だったのだろう。
いろいろ考えさせられる。
その工場は、京都の九条にあり、そこで出来たバッテリーの半製品は、尼崎に送られてそこで完成品となり、魚雷に組み込まれるということらしかった。
終戦直前の話。
その魚雷というのは、、、
「人間魚雷なんだ。」
「え?なんで、人間?人間て、、」
「今のように、魚雷にレーダーとかセンサーとか、つけられないから。」
「人間が操作する?」
「そう。ちょうど、冬季オリンピックの競技のリュージュのように腹ばいになって乗るんだ。とにかく相手に命中しなければ意味がないからね。」
「そ、それって、乗った人って!」
「うん。玉砕ということ。」
「そ、そんな。いやだわそんなの。」
話を聞くうちにゾッとしてきた。
父達は、現在の車のバッテリーのヒダヒダの部分が厚さ1ミリ位だが、3ミリくらいの薄い薄いものを作るためにプレスする流れ作業を、黙々とやった。
薄いその部品はたくさん重ねると瞬間的に倍の電気が溜まり瞬発的に放電し後は充電できない。その必要もない。何故なら戻ってはこないから。銃弾と同じく。
「そういう物を作っているとわかっていて作業をしなければならなかったの?」
「君達の先輩が、それに乗るんだ、そしてその次には、君達も乗るんだよ、と。そう言われながら作っていたんだ。」
「き、君達の先輩?!(◎_◎;)君達も乗る?なにそれ!」
惨い。けれどしたがうしかなかったんでしょうね。
気の小さい父、嫌だなんて言えなかったろうに。真っ向からたちむかえることなど、出来るはずもなく、もとより
そんな時代でもなかったでしょうね。
電車の車輪くらいの大きなハンドルを回して、こうしてプレスした部品を次にまわして、流れ作業でどんどん作ったのだと、(身振りで説明)し
父はそのバッテリー部品をいかに薄くするかを詳しく語っていたが、
多分目の前の作業に熟練することに集中していたんではないかな。怒鳴られ急かされにしても、慣れで技術を習得したかも。だんだん要領よく出来たらそれなりの達成感もあるのが、単純作業。
設計図どうりに組み立てて、と、ある瞬間それが何のためのものかさえ忘れることもあったかもしれない。というより、そうでなければやっていられないのでは
ないかと思った。
父の関係した魚雷は、使用されることなく終わったそうだ。
「それが使われたという記録はどこにもないんだ。」
話している途中で父に電話が来たので、
それきりになった。
翌日も父に会ったが、話の続きなどはお互いしなかった。
成り行きでしか、そんな話しは出来ないものかも。
きっとこの季節にその工場にいたから思い出したのかな。そしてその後五ヶ月もしたら終戦だったのだろう。
いろいろ考えさせられる。