ねーさんとバンビーナの毎日

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やっぱりモリマリ20111006-06

2011年10月06日 21時19分57秒 | 紹介屋ねーさん
大体、舞台に出るとか、野球のプレイをするとか、大勢の人々の前で何かを遣る人間というものは、その人間性を偽ることは出来ない。
いやな奴がいい人間に見せることは出来ない。
文章を書いて、それを多くの人の目にさらしている文学者も同じことだ。



大体、どうして世間は、「素の人間性」が出てしまうような人を、奥に追いやり始めてしまったのだろう。
その代わりに「作りの人間性」で上手に世渡りしてるような薄い人を表で踊らせすぎだ。

やっぱり世の中全体に「作り」が入っているから、本来の素を出さされると、そこ(作り)がバレそうになって(策略者達が)ヒヤヒヤするからだろうか。

「つくり」をぶっ放す人は「(作りの入ってない)素」を上手に調理するから、何かがバレそうになってヒヤヒヤすることがない。
かえって「シナリオがバレて作られそう(それにあわせた演技されそう)」なことのほうに「どうか「教えろ~~っ」て突っ込まれませんように・・・どうか、どうか、あなたのそのままでやっていてください・・・」とドキドキしてると思う。

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