ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

あるべき姿の追求

2016年02月05日 23時04分22秒 | 考えるねーさん
「こうあるべき」を追求していくと、案外、無意識に相手方を追い詰めちゃったり、歪ませちゃうことになるもので。

はい、道理的にそんなもんです。


「そのままでいいよ。」っていうところでキャッチボールできて共存できる先に浮かび上がるのが「(それぞれの)あるべき姿」なんだと思うけど、難しいもので。


人生修行です。


私は、「こうあるべき」という思考よりも、「私はこうしかできない」「私はこういう風にやります」という思考で動いている。
基本、相手方(人間、自然、モノ、イロイロ)に「求めてない」っていうかね。
「与えてくれることをありがたく頂戴して、自分ができることを与えます。」の思考なので。


「求めよ!(そうでなければ与えられん!)」っていう言葉を吐く人がいますけど、これを言われるのが基本的に苦手。
どっちかというと「いや、だからさ、求めてない人に「求めよ!」って・・・偉そうにあんた、なにそれ・・・(ワナワナ)」って、恐怖感にも近いような。

BABBI☆20160205

2016年02月05日 22時38分54秒 | ばびばび
昨日の晩から今朝にかけても薬が効いているせいか発作無し。

夜中によだれをポタッと垂らしたときあり。


朝、フードを与えると完食。
処方されたプレドニンとエピレス(抗てんかん薬)を飲ませる。


一日仕事に出かけて帰宅。
発作の形跡なし。
トイレの中に大量のおしっこ、少量のうんちがしてある。


サークルの中からこちらを見上げるあたり、少しほっとする。



夜もずっとサークルの中でお座りしているか、ウトウトしているか、伏せて寝ているか。


フードを与えるとペロリ完食。
エピレス(抗てんかん薬)を飲ませる。



「本物」の追求

2016年02月05日 00時33分40秒 | 考えるねーさん
何か(料理でもいいし、洋服でもいいし、なんでもいいのだけども)を提供する側の人が「本物を追求してそれを提供したい。」と口にする。


「本物を追求してそれを提供する」ってことは、「本物をわかる人」を魅了することかと思うわけで、それがわからない人にいくら本当に本物を提供しても「そうなんだ、これ。ふ~ん。」で終わってしまうし、「これ本物だよ。」と三流品を提供しても「うわぁ本物は違うわ!」とビックリするくらい騙されてくれる。


「本物をわかる人を魅了する」ってことは、「本物を理解してないとできない」はず。
でもどうもここ最近耳にする「本物」という言葉の意味が「そのまま」とか「ありのまま」とか(本物と口にするには)「底辺すぎる」というか、「当たり前すぎたところ」に目をやって発せられてるだけのように感じることがある。
まぁ偽造だとかそういうことも多い世の中、そこに意識がいくのは必然かもしれないけれども、本物を語るという点では、あまりにもお粗末すぎる。


叔父が花屋をやっていて思ったのは、いくら質のいい新鮮な品を仕入れても、まずは下準備の技術がしっかり身についていて、それがきっちり行われていないと、すぐ萎れてしまうってことだ。

流行に沿ったように綺麗に花束にしてもらったり、活け込んでもらったり、「本物は違うね。」と思わされても、実はすぐ萎れてしまうのだ。
おそらく世間は「所詮は切り花だもの、そんなもんだろうし、そんなもんでいいわ。」という感覚があるのだろうと思う。

叔父の技術は(六本木)ゴトウで身につけたものだが、切り花が(薬など使わずに)1か月以上軽く持つあたりが毎度驚きもので、「どうして?」と聞けば答えは簡単で、「素材の目利きもそうだけど、仕入れてすぐの水揚げ処理をきっちりやるかやらないか。みんなやりたがらないんだよね、案外。」ってことだった。

活け込みに関してもいた店が店だっただけに、センスが良かったと思う。
珍しい洋花の扱い(今では珍しくもなくなってしまったけれど。)もずいぶん先を行っていた。
そこに新鮮で長持ちしてくれる切り花ってことで、“そこを”わかってくれるお客様がついてくれていた。
「もたないようにしたほうが逆に儲かるんじゃない?」なんて口にするお客様もいたくらいだった。(うちの母親もそんな冗談を言っていた。)


食材でも同じで、魚は釣り上げた後の絞め方で違ってくるし(一気に絞められてなくて、だんだんと死んでいった魚はマズイんですよね。)、包丁の入れ方でもせっかく本物のいい食材でも台無しの三流品になってしまう。
その三流品に「本物ですね。」というお客がいたとしたら、包丁の入れがわかってないってことになる。


何かを提供する側が口にする「本物を追求したい」という言葉はちと鵜呑みにはできない。
「自分が!自分が!!」か「自分は!自分は!!」でしかない可能性があるからだ。
「少しでも本物がわかる人と出会いたい」と言うならばわかる気がする。

BABBI☆20160204

2016年02月05日 00時10分38秒 | ばびばび
今朝9:00に病院へ。

おととい以降の様子を話し、追加の薬をもらう。

先生はやはり「様子からして脳への薬が効いているから脳のMRI検査をしてさらに的確な判断をして処置したほうがいいと思う。」と話してきた。
今の状態では「脳腫瘍」なのか「てんかん」なのかも判断がつかない為に、脳内に発生する電波をすべてマスクしてしまうような、症状を抑え込むだけの対処療法しかできないとのこと。

発作が出ていないのは決して治ったわけではなく、薬で抑えているだけなので、安心できる状態ではないのだ。
また、発作が出ている間は脳に酸素が行き渡らないので、脳へのダメージが心配される。


ひとまず発作症状も出ず、落ち着いているので、仕事に出かける。
帰宅してサークルの中を覗くと、すやすや寝ている。
発作の形跡(口のまわりのよだれ、サークル内の乱れ)もまるでない。


21:45、本日初めてフード完食。プレドニンも同時に与える。


本日朝からおしっことうんちが出ていない。