ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

今日突かれたお言葉・その1,001

2015年03月15日 16時26分23秒 | 突言葉ねーさん
ラジオ番組のDJの方の「相談されたりしたときどうしてますか?」っていう質問があり・・・

もう最近はハッキリ言い“切っちゃう”ことにしてます。


先日のJ-WAVE『HELLO WORLD』にゲスト出演した際の吉井さんの言葉。



吉井さん、もう、わかっちゃったんだろうなぁ。


(所詮は)こうするしかないの。

(しなけりゃ)こうにしかならないの。

(すれば)こういう展開に必ずなるの。



ってことを。

自分で確かめきったというか。



オバチャマもここ2、3年は年上の人だろうが言い切っている。
あやふやな時は無責任に言えないから「相手を立てる」ことが先に立っちゃうけど、もう、分かり切ったことをまだ相談というかまだ愚痴られると

「うん、それは、こういうことだから。こうするしかないでしょう。」

って言い切っちゃう。

しかしどうもこれをしてきて痛感しているのは、

相談する、愚痴るというところにとどまっていたい人はたくさんいる

ってことです。

安心するみたい。
この状態を保てるのが。
「相談できる相手がまだいる。」とか「愚痴聞いて貰える人がまだいる。」という安心なんだろうと思う。

(「=それが友達」という理論なんだろう。でもあんまりだと立ち去られる危険があるんだけどなぁ、それ。(苦笑)
けど世の中は上手くできているから、次の相手が見つかるモノなんです、ハイ。
そういう嗅覚はなくならないみたい。)


オバチャマにはその感覚がないからムリなんだけども。


怒って馬力に変えて何かに挑戦(=お楽しみに変換して)していたほうが、というか、そうしてないと逆に「世の中に飼い殺しされてしまう・・・」という恐怖で安心できないという、、、ね。



ファンタジーとノスタルジー、ロマンチックとセンチメンタル

2015年03月15日 16時02分50秒 | 2種分ねーさん
ファンタジーとノスタルジー

芝居の中のひとりの演者として生きてる感じがして現実的。
「君の思うように演じてくれていいよ。」って言われてる感じ。
ノスタルジーは記憶によって懐古するだけで「昔がよかった」というような執着心とは違うんだよなぁ。(表現として「昔がよかった」という言葉を使ったとしても真は違うっていうか。)



ロマンチックとセンチメンタル

ムード演出の作り込みの中でそれにウットリと酔ってる俳優気取りをしつつ、「でもなんか切ない・・・思うようになりきれない・・・」って煮え切らない(というか「それを目標に演じきろう」としてたとしたら寒気もするというか、非現実というか「すでに人生放棄というか人生を生きてないよぉ、それぇ・・・」と言いたくなってしまうとういか。(すんません・・・))あたりがどうも性に合わない。

(こんな風だから昔から「ムードに欠ける・・・」と言われがちなオバチャマ(ウハハハハ・・・)でも作り込みとしてのムード演出はいらないんだも~ん。「(成り行き上)ムードが出てきてしまった・・・」のほうが自然で演じられる。)