ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

「こちょこちょ」っとやったらいっぱいお金をくれるような感じ。

2009年08月19日 18時20分56秒 | 伝われねーさん
そういう人とか企業とかあるかと思うんですけど、どう思いますか。


なんかあんまりどっちでもいいですよね。


こちらとしても「こちょこちょ」っとされたくらいで何か出すことが出来ないし。(出す気が無いし。)


「こちょこちょ」には戦略じゃなくて策略が絡むからイヤなんだよね。


「戦略」の場合は頭を下げるよな?
「こちょこちょ」してこないで、なんかこう、どっしりとした余裕加減で堂々としてるよな。

気にした事が無かったのだが。

2009年08月19日 00時22分35秒 | 思い出ねーさん
改めて思い出してみる「君が代」の斉唱と「国旗掲揚」。

これって、やってた? やらされなかった?

(ね)は横浜市立の小学校~中学校、横浜市内にあるとある私立女子高校へと進んだが、
この12年間、全て「君が代」の斉唱と「国旗掲揚」はあった。

横浜だからここに「横浜市歌」の斉唱も含まれた。

運動会とか卒業式とかそういう時に必ずあった。

「国旗掲揚、国旗に注目!」

あ、そうだ、私立女子高校では毎週月曜日の朝礼で必ずあったっけ。
BGMはあったり前の「君が代」だ。

もちろん当時の女子生徒の間では、

「ちっ、国旗に注目なんて、面倒臭ー。なんだよぅこの学校。(無宗教学校)」

って雰囲気満点なんだけど(笑)、まぁ、国旗が上がるポールのほうに「右向け右」させられて、やらされる訳だ。

まぁ横浜では歴史があるっちゃーある女子校だから、「おばーちゃん、おかーさん、娘、孫4代です。」っていう生徒もいるくらいだ。
戦争の時に火のついた校舎を女子生徒がみんな一丸となってバケツリレーして火を鎮火させたという話はよく先生から聞かされたもんだった。
「あの時の生徒の結束は素晴らしかった。」みたいなね。
その時に焼けずに残った礼法室は、(ね)らが通った時代に使用した校舎内に移築されてそのまま使っていたりして、礼法の授業で礼法室に行く度に「戦争かぁ。戦争ねぇ。なんともなぁ。」そんな気がしたっけ。

学校的にどういう想いがあったんだかしらなかったけど、毎週月曜日の朝礼では必ず校長の話が終わると「国旗掲揚、国旗に注目!」と言っては、「君が代」が流れて、国旗がポールの上へ上へとスルスルと上げられるのであった。

「君が代」を聞きつつ、国旗を目で追いながら「あぁここは日本だな。私は日本人だな。」と想う・・・・・という。
「ただ単純にそれだけ。それ以上でもなけりゃそれ以下でも無い。」みたいな。(笑)

「天皇賛美の唄だ、けしからん!」だとかそんな小難しい講釈はどーーーーーっちでもよくて、
「あぁここは日本だな。私は日本人だな。ここはあくまで日本であるしかない。日本は日本だ。「日本は日本人だけのモノじゃない」とか(誰かみたいに)言う前に「日本はまずは日本人のモノである。」というような気持ちから国を愛して、同じ国の人同士で愛せないと他所の国にだってバカにされちゃってダメだよなぁ。愛するってことよりも自負心が湧いちゃって自信満々になっちゃってそれが横柄な態度になってっちゃうからマズイんだろう? あーこりゃこりゃ。」とかって想うだけなんだよね。

他人を愛せる人は自分のことも大事に愛してる人なのと一緒なんだよね。
自分を蔑ろにして自分を大事に愛せない人は他人も愛せないじゃーん。

自負心が湧いちゃって自信満々になってっちゃうのは突っ走りすぎなんだやなぁ。



今日は東京都内で育った年上の男性にこの質問をしてみた。
(ね)より3歳年上の38の卯年だ。

「君が代なんて唄わされた記憶が無いよ。ちなみに小学校の卒業だけは足立区にいたんだけど、校歌すら唄わなかった記憶があるよ。その後は文京区だけど、唄った記憶が無い。」

「はぁ、そうなんだぁ。(本当に唄わされなかったのか、あなたの記憶が飛んでいるのか怪しい限りだなぁ。)」


年代別、地方別、地域別で、どれだけの差があるんだろうか。
君が代斉唱と国旗掲揚。