ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

歌舞伎、初鑑賞。

2007年10月28日 16時34分19秒 | 味わうねーさん
多分、若かりし頃(今もか。(笑))のねーさんを知る人は、

「文学」とか「芸術」とかそんなもんには全く興味がないやつだろう・・・
ほんとに知らねーヤツだなぁ・・・

と思っている方がほとんどかと思うのだが、

こういったもんは「40過ぎの楽しみ」と決めてましたものでね。
中学の頃に決めたのよね、自分の中で。(笑)

10代はアイドル追っかけで芸能界の裏側(といっても裏でもないんだけど。(笑))の楽しみを満喫、渋谷・原宿探索に没頭し、
20代はかっちょいいお兄さんとかお姉さんと、昼間の海とか夜のバーとかで遊ぶ楽しさを満喫し、
30代は達観したオジさんと夫婦になりつつ、病気の看病やら離婚を経験したり、友人の死を経験したり、仕事の立て直しでバタバタと過ぎ去り、
40代に足を踏み入れた最近やっと落ち着きペースを取り戻しつつある。

色々経験してくると芸術に触れていてもなんか違うんだよね。
何もしらない若いうちに芸術に触れて「うんちくを語り合う」っていうのも良かろうが、
それに興味が湧かないというか「理由付けして楽しむ」っていうのが良くわからんのだね、ねーさんの場合ですけど。

突出した芸術家とか作家とかってあれらの作品は理屈の元に出来上がってるんじゃないと思うからさ。
そこに「理由を探す」みたいなことしても所詮ホントの意味にはたどり着けないというかさ。
そういう楽しみよりも、その年代に楽しめることしたほうが楽しいじゃん?みたいなね。

こないだのティファニーの基調講演でもそうだったんだよな。
質問ありますか?に対してのとある質問。
「その時代の背景にはこれこれこういう思想というものがうんちゃらかんちゃらで、
作者はその影響というものを受けたのでしょうか?」的な質問。
20代の大学生くらいのバイリンガルお嬢さんだった。
(あなたって実はさくら?って思うくらい、キレイで利発な感じのお嬢さん&質問だったな。)
「うへー、勉強してるのねぇ。で、それ知ってどーすんの?」って思ったけど、
卒論の為の材料だったのかしらね。そうであって欲しいんだけど。

一緒に行った友人と、

「ああいうのはあくまでも他人がする理由付けだからねぇ。
作者の本心とか動機なんてそんな大それたもんじゃないんだよね。
案外ねぇ。」

と、ドッチラケの結論を会話しながら後にした訳なんですが。

自分が色々経験してきて、初めて大作と言われるものに触れると、分る気がするんですよね。
そんな鑑賞の仕方のほうがねーさんとしては楽しいというかね。

で、歌舞伎。
20代頃から「行ってみたい~、けど、行くような人がいないぞ~」って感じで、
ずーっと行けずじまいだったのが、ここ数年仕事をきっかけに公私共々仲良くしていただいている方に誘っていただいて、「キターーーッ!」的な。

歌舞伎座ってもっとこう、敷居が高いのかと思いきや、庶民的な感じ。
元々庶民の娯楽だった訳でね、歌舞伎って。
そう思うと、ビッチリ高価そうなお着物で決めまくって鑑賞している人って
「うーん、何か違う・・・」と思っちゃったり。
小紋くらいラフなお着物のほうが粋じゃないのかしらん? ルールは知らないけどさ。

演目は「牡丹灯籠」と「奴道明寺」。

「男に色々モノを買ってもらうと、後、殺されちゃうんだぜー。」という冗談はともかく、
物語から学習できることってあるのよね。

牡丹灯籠のそれは、
「旦那に嫉妬しすぎる奥さんが面倒だから色々買い与えておいて喜ばせておいて、「死んでくれ!」で殺しちゃう。」
ってヤツなんだけど、

ねーさんが20代ころ母親に良く言われたのは、

母「そうやってデートだと言っては彼氏に家の前まで毎回迎えに来てもらって、送って来てもらってばかりいたら、そのうちに飽きられて捨てられるからね。」
ね「いや、違うって。迎えに来て!って言ってるんじゃなくて迎えに来てくれちゃうんだもん。」
母「バカねぇ、だからそこにつけ込まれちゃうんじゃないの。」
ね「「迎えに行くよ。」と言ってくれるのに、「いいよ!」とはなかなか言えないよ。」
母「だからそうじゃなくて、「何時にどこどこで待ち合わせにしましょう」って自分から言えばいいじゃないの。」
ね「ムーーーーーっ」

フラれた後の母親の「ほら、見てごらんなさい。(バカみたいと言ったような顔つき)」はキツかったよなぁ。

そんなことが脳裏をよぎりましたが。うはは。

しかしながら、役者さんの演技ってものに感心。
毎日の稽古の積み重ねだもんなぁ。あれこそ。
三津五郎の奴道明寺なんて、1人で40分くらい舞ってるんだぜ。
振りを覚えられるだけでスゴイし、そこにちゃんと表情まであるんだぜ。
稽古ってだけで「めんどくさー」って思うけど、それしてるからこそお客様に感動を与えられる訳でね。「稽古無し」では感動までにはたどり着かないよね。


あと2回は観に行きたいなあ。

スペイン料理とフラメンコ

2007年10月28日 15時20分06秒 | 味わうねーさん
先週、スペイン料理の「アマポーラ」というお店に行く。
ここのお店は、月1、フラメンコ鑑賞が出来る日があるのだ。※要予約

ショーは19:00、20:00、21:00の3回、それぞれ約30分くらい。

「オレオーレ!」と拍手の合いの手、
激しいタップで「タタタン」と刻む靴音、
踊っているおねーさんは額に汗ビッショリ。激しいわー。

ねーさんは一時「フラメンコやってみたいわー」と思った時があるのだが、
どうもこういう「内から湧き出る情熱!」とか「内から湧き出る妖艶さ!」みたいなものは性分では無いことが判明。習ったところで身に付くものじゃーない。
あれは「本来の色気」が無いとムヅカしい。


やっぱり、ねーさんに合ってるのは、
バトントワラーとかチアリーディングとか、そーゆーのなんだなぁ。
高校時代はダンス愛好会だったしねぇ。色気とはほど遠いやつ。(笑)

フラメンコじゃなくてフラダンスは古典的なほうだったら興味あるんだなぁ。
ハワイアンな音楽に合わすほうじゃなくて、太鼓に合わして踊る方のやつ。
哲学的なほうのやつ。