ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

怒りが奮い立たせる

2007年10月19日 01時27分41秒 | 考えるねーさん
ごめん、確かそうだったハズなのよ。
間違ってるかもしれないんだけどさ。そこら辺は何となくそんな感じで。

直木賞作家の角田なんとかっていう女性作家の人が、
誰かとの対談だったか、雑誌の記事だったか、ネット上の記事だったかで、

「自分を奮い立たせる思いはなんですか?」みたいな質問に、

「怒り」です。

って言ってたのよね。

「あんらぁ? このおねえさん大人しそうな雰囲気なのに、怒りっすか。」

って驚いたのと同時に、

「ねーさんと同じっすーぅ。怒りの人がいたわー。はぁいるんだぁ。」

って思ってね。


確かこのおねーさんだったはず。


ねーさんは早く60歳くらいになって、
イヤミを言うけど嫌みな感じがしない、
数子さんのように「このばかっ!」って品無く吠えることもあろうけど(笑)、
青木さんのように「ムカつくんだよっ!」って子どものように悪態つきつつ、
どーしてだかバカお人好しな親切なイヤないいおばあさん(どんなだ!?笑)になって、
「怒り」が奮い立たせるんじゃなくて、
先が無い「焦り」が奮い立たせるくらい切羽詰まると、
案外これでもいい感じになってくるんじゃない?

って思ってる。フッフッフ~


アクターかコメディアンか?

2007年10月19日 00時53分55秒 | 考えるねーさん
アラン・ドロンが先々週くらいの「スマスマ」に出ていて、

その役を演じるのはコメディアンで、
その役を生きるのがアクターだ。

みたいなことを言った。

キムタクは感化されたようにうなっていたけど。(キムタクって。フフフ。)


ねーさんはねーさんの役を延々と演じてるコメディアンかもしれない。


相変わらず熱いね、せんせっ!!

2007年10月19日 00時35分38秒 | 掘り出ねーさん
中学の時の鬼厳しい部活の顧問でもありクラス担任でもあったN先生。

年がら年中一緒にいたような気すらするくらい、
部活は年中休み無しの地獄(笑)だったし、
公私ともに色々ご指導いただいたっけ。

あれから四半世紀が過ぎ、すっかり疎遠ではあるけれど、
噂というやつは風とともにやってきて、
「N先生は●●中学の校長をやってるらしいよ。」
という情報を耳にする。

インターネットってホントに便利ですね。あらためて言うけど。

学校のホームページを早速見つけて、
学校行事の写真やらに目を凝らすと、いたーーーーっ!! N先生だ!!
老けたなぁ、って当たり前か。

おーっと、学校だよりなんてものが定期的にアップされているぞ。
毎号のトップはN先生の手記だ。
相変わらずだぁ。ウハハハハ・・・・

クラス担任の時も学級新聞はかかさず出してたもんね。
そこにねーさんは「大竹しのぶを彷彿させる笑みの●●さん・・・」と書かれたんだっけ。
「もーやめてくれぇ。」って思ったけど、別に悪い気もしなかったけどね。
下手すれば、あの学級新聞は母親がどこかに保管してるかもしれないな。
今でも実家のどこかにあるかもしれないな。

学校だよりを読んでみると、相変わらずのまっすぐぶりに安堵といいましょうか。

「してあげること」よりも「してあげてはいけないこと」を大人は知っているのに、
(知っているハズなのに、と読み取るよ。先生。)
そのことをなかなか実践できずにいるのが現状のようだ。
「不足を知る」ことがどれほど人を強くするかということを承知していながらも、
足踏みしている。

教育改革の核は何なのでしょうか。
授業時間を増やしたり、指導強化を図ったりすることよりも、
かつてあった日本人の心、「大人の品格」こそ、大人たち自身が
取り戻して、子どもたちに自然体で実践していくことがどれほど大切かと思う。


先生、熱いぜ。正論だぜ。

そこが出来ないから病んじゃってるんだって。世の中。
足踏みしてるんじゃなくて、実践しないんじゃなくて、
どうしたらいいのか分んなくなっちゃってるって。大人自身が。

バブルの好景気は本筋を狂わせたぜ、本当に。
でもそれは物事が成熟するために必ず通らなければいけない通過点だったのかも。
「警鐘を鳴らす」のはいけないことじゃないし、言わないよりマシ。

ソリューション(問題解決策)でひとまず回避しておいて、
本来の本筋に戻していかないと、どーにもなんないんでしょうね。

ねーさんは早く60歳くらいになりたくなってきたぞ。