ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

やっぱりモリマリ20111023-04

2011年10月24日 00時23分15秒 | 紹介屋ねーさん
(中略)海軍だか陸軍の若者に質問している。

何か訊く度にはいっ、はいっと言い、

「戦争に行くのは御国の為だと思っております」

と、しゃっちこばって答えている。

私は、仏蘭西人の兵士が恋に燃えたり、母親に対して自分の生まれた故郷に、恋のような熱いものを抱いたり、するような熱い感情で祖国への愛に、火のようになって戦うのには同感を覚え熱くもなく、そうかと言って冷たくもない、無感情地帯を胸に持っているのになんとなく熱くなってくるがニッポンの兵士のこういう、返答をするのを拝聴するのはいらいらする。




もうニッポンの兵士はこうなってしまっている。

何か打診する度に(考えもせず)「ハイ、ハイ」と言い、

「戦争に行く(←○グローバル(×国際的)展開している会社で海外赴任を言いつけられてるのを例えて)のは(実は)首切りにあいたくない為だけなんです。」

と、頭の中で計算しまくっては、平然を装い、応対している。

ニッポンの兵士のこういう、返答をする態度を観るのはむかむかする。

やっぱりモリマリ20111023-03

2011年10月24日 00時17分44秒 | 紹介屋ねーさん
明治の男は愛している奥さんでも女でも、女中のようにコキ使った。
愛していればいる程世話を焼かせた。


私が巴里に行ったのは大正時代だったが、巴里の女にはお芳さんのようなところがあった。又男に打たれても殴られてもついて行く。

男を膝まずかせて得意になる風潮は、アメリカから来たものらしい。




あたしゃよく母親に「わたしはあんたの女中じゃないのよ?」って呆れられた。(ウハハハハ・・・)
「愛していればいる程世話を焼かせた」のだった・・・。(ウハハハハ・・・)

やっぱりモリマリ20111023-02

2011年10月23日 23時57分05秒 | 紹介屋ねーさん
お芳さんの言葉遣いは今も書いたように粋だったが、当時の花柳界の女は皆そうだったがお芳さんも言葉の中によく漢語をまぜた。

雛妓(おしゃく)や下地っ子(幼い女の子を行く行くは芸者にするつもりで家において、一寸した用や、走り使いなぞをさせる、女の子の名称)に、末は一寸した凄い妓(おんな)になりそうなのがいると、(蛇は寸にしてっていうのはああいうのを言うんだろうねえ)と言い、何か悪いこと(つまりそでないこと)をして巧く胡麻かすのがいると、(お前さんそう潔白には言えないだろう)なぞと言った。

この蛇は寸にしてとか、潔白、なぞというのは歌舞伎で羽左衛門の侍なぞが言うのを聴いて用いるのである。


▼ 蛇は寸にして人を呑む(じゃはすんにしてひとをのむ)

優れている人物は、幼いときから常人とは違ったところがあるというたとえ。


芸者がそこの芸者屋の男と通じたりするとどっちもお払い箱になった。
この内々の者同志が仲よくなるのを(突き通し)と言って江戸時代には二人とも簀巻きにして海へ投げこまれた。
(そいつらを簀巻きにして海へほたり<放り>こめ)なぞと男衆(使用人)が言い、凄いものだったらしい。



▼ 突き通し(つきとおし)

情婦または情夫のできること。
また、そのような関係になること。




芸能の世界で「恋愛禁止!」とか言う(あるいは会社の中で「社内恋愛禁止!」とか言ったり)のは、意味あるんだよねぇ。
ここら辺りからも通じてるものがあるんだろう。

やっぱりモリマリ20111023-01

2011年10月23日 23時44分31秒 | 紹介屋ねーさん
前に舅の妾のお芳さんが、顔に何か塗っていじくり廻すことを、せっちょうすると言ったことは書いたが彼女は又女中に暇を出す時、(お前さんがそでないことをするからさ)と言っていた。
そでないは、左様(そう)でない、という意味で、間違ったこと、という意味のようだ。


又五代目未亡人の談話に(あのひとはこんじょわるでしたよ)というのがあった。
いじわるのことらしい。

お芳さんは粋である。
ものを半分言って此方(こっち)にわからせて微笑うのである。
夫の姉たちがあまりよくない長襦袢の柄なぞを選ぶと、ちらと私を見て、
(斎藤の奥さまのお襦袢・・・)と言って、微かに笑うのである。

お芳さんは又、私の帯を締めてくれて、(この位でよござんすか)といい、私がいいわと言うと小声で(丁度よいかや、よいわいな)と言ったが、これもなんともいえず粋だった。





わかってない人(それとかとにかく被害者妄想が激しいだけの人)だと、ここ、

ものを半分言って此方(こっち)にわからせて微笑うのである。

これに遭遇すると、

「うわ、悪~~~ぃぃぃ。
そんな風にして、ひどーい。
最後まで言いなさいよぉ。」

とかって、言っちゃうんだよねぇ。
これ、(かなりその場が)シラケルんだよねぇ。

だけどその場にたまたまいる人がわかってない人ばっかりだと、「悪~~~ぃ」って言った側に同調しちゃって、まったくもってさらにシラケる場面と化しちゃうのよねぇ。


やっぱりモリマリ20111006-13

2011年10月06日 23時05分46秒 | 紹介屋ねーさん
げっ、9時かと思っていたのに、11時ではないか。
もうこれで今日はオシマイにしよう。


「銭形平次」が止めになるかも知れない、という噂がどこからか耳に入って来た。
むろん、テレビ局側は、番組の生殺権を持っている、テレビ局の意志を別な方向に捩じ向ける力も、或番組を止めようとする意志を阻止する力も私にあるわけはないが、まあ抗議文のようなものを書きたいと思うわけだ。


野村胡堂の原作がいいのも幸しているがあのドラマは台本が実によく出来ている上に、平次宅の場面が度々挿入されていて、茶の間で平次が飯を食ったり、煙草を吸ったりしているところへ下っ引が、殺しがあったりして飛びこんでくる時の煙管の構え、目の配り、どの瞬間を取っても橋蔵の平次は俊敏な平次である。

あれだけの立派な役造りをして、明神下の平次親分というものをきっかり描いて見せてくれたあのドラマを、止めにしようというのは誰なのか?

いずれ二人或は三人の、テレビ局の上の方の人間の意向だろうが、私には理解出来ない目を持った人々である。

橋蔵の平次の動きが鈍くなったからだと、止めにする側で言っているともきいたが、私は再放送のでない新しい平次を三週おき位に見るのを楽しみにしている。



今ってこのくらい観てくれてる視聴者っているのかなぁ。
まぁ当時(80年代)から「視聴率さえあがればいいからこういう視聴者はかえって困る」ってこうだろうよねぇ。

もう、視聴率でのモノサシ、無くしませんかねぇ。
それだから「作り(芝居なんかいいからいかにもそれっぽく演技してください!)」ってこうなっちゃうんだぜぇ。。。