ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

やっぱりモリマリ20120127-04

2012年01月27日 22時13分12秒 | 紹介屋ねーさん
外出着、という味もそっけもない言葉は、昔はよそゆき、であった。

明治の女の人の色気と情緒にはいろいろ原因があるが、冷たい縮緬(ちりめん)を皮膚に感じるところからも出て来たものだと思う。

縮緬とか、紋羽二重とかいうものにはやさしい情緒があって、このごろの化学繊維の織物のような非人間的な冷たさがない。

金のある家にも、部屋によっては多少の冷たさがあって、肌ぬぎをして襟白粉を塗って貰う時の、ぞっとする冷たさも、一つの情緒であって、そこから、女の人の美しさや柔しさ(やさしさ)も出て来ていた。

日本の着物というものは不思議なもので、電気暖房の部屋で裸になり、洋服の下着を着た上から着ても、着る人と着かたによっては素晴しい情緒が出る。
日本の着物というものは、不思議な魔法の衣(きもの)である。


『記憶の繪』より。


身につけるものとか、それによって制限された中で注意を払いながら動作することによって、やっぱり雰囲気が自然とすり込まれていくんだろうなぁ。
「ぞぞっ」と冷たかろうがそれを一瞬の覚悟をしてピッと袖を通して肌につけ、それがだんだん体温で暖まっていく感じ、とか、記憶に残りますわなぁ。(別に着物でなくてもあるよなぁ、こういうの。)
それが情緒感として醸し出されて、見る人をも「おお」ってさせるっていうかね。

今ではすっかり(なんの我慢の必要もないような)装飾されたビジュアルをまとってるその姿だけに「おお」ってしてるほうに洗脳されちゃってる感じ。脳が。
でもって、「切ないです・・・」「センチメンタル気分です・・・」って世の中を嘆いている現代。


やっぱりモリマリ20120127-03

2012年01月27日 21時41分48秒 | 紹介屋ねーさん
明治の後期というのは不思議な時代で、どこの人が倫敦(ロンドン)からコックを招いたのか、菓子職人がどこから紛れこんだのか、なかなか立派な英国風西洋料理、西洋菓子が現れ、風月堂や森永が擡頭(たいとう)してシュウクリイム、ビスケットにチョコレエト、と出て来た。

どこからどう入って来たのか庶民の中にフランス語があって、田舎の親爺がシャッポ= Chapeau =を被って三越で孫のマント= Manteau =を買い、芸者は仲間に「お前さんシャボン= Savon =を貸しとくれな」といい、小使いはズボン= Jupon =をはき、尾崎紅葉はランプ= Lampe =の下で「金色夜叉」を書いた。

美人というものも時代の要求から出てくるのか、チョコレエトの箱の蓋の英国油絵美人がハイカラな母親の胎教に影響したのか、町の中にも邸の中にも、一輪、二輪と薔薇のように咲き出した英国美少女があり、絵入りの洋書が手に入る人もあったから、伊太利美人も出たのである。

その中で荒木愛子を私は、今まで見た美女の一位においている。
穏しい(おとなしい)、悪いことなぞの出来ない女(ひと)である。
が、天性、薔薇の美の中に秘密の香い(におい)があり、魔がある。(秘密があっても秘密の香いのない顔もある)


『記憶の繪』より。


しかし森永というのは歴史があるんですよねぇ。
(安倍元首相の奥様は創業者の孫でしたっけ?)

オバチャマの幼少期(幼稚園上がるか上がらないか、昭和45年頃か。)の頃の森永で思い出すのは、クッキーとココア(←焦げ茶の缶に入ったココアパウダー。佐久間のドロップの缶みたいな。)だよねぇ。
これ必ず茶だんすに(←あのころってまだこういう形容のほうが似合ってたような。洋間があったとしても茶だんすっていう感じ。)常備されてた記憶。

風月堂といえば、あの、クリームがはさまったサクサクのやつだよね。
え~っと名前が思い出せない。
あぁ、ゴーフルだ。


そしてなんだろう、明治の西洋語の使いのほうがイカしてる感じ。
「ちょいとお前さん、シャボンとっておくれな。」なんていいじゃんねぇ。
芸者じゃなくてもいい感じ。
ソープよりシャボン、響きが優しくてリズム感もある感じが。
石鹸(せっけん)、まぁ、日本語ももちろんいいんだけど、固いね。


で、目に入ってくるモノって、やっぱり影響されるんだよねぇ。
真似から入ってオリジナルに進化していくの。
簡単にそっくり真似するだけじゃダメなの。


秘密があっても秘密のない顔ってのは、秘密ごっこを面白がってる人だろうかと。
そういうのを演じてるだけのヤツ。
「演技上手ね!」ってヤツ。
秘密にしておきたいことがある人は上手に芝居を打つから、それが仕種や表情に内から漂ってくるんでしょう。
こちらは、「役者ね。」って思わされちゃうヤツ。




やっぱりモリマリ20120127-02

2012年01月27日 21時39分14秒 | 紹介屋ねーさん
子供の時から神経戦に弱く、そのくせ内部(なか)には不満や怒りが入っているから、私の人生は終始泣きっ面の人生である。


『記憶の繪』より。


うわ、わかるわぁ。(ウハハハ・・・)
近いものが・・・自分も。

神経戦ってのがあれでしょ。
デキレースもそうかと。
あとはロジック思考(物事の道理は無視)の○ゲーム的(×遊技的)な物事の進め方とか。

やっぱりモリマリ20120127-01

2012年01月27日 21時28分55秒 | 紹介屋ねーさん
或日祖母が私の手をひいて砂利を敷きつめた、大変に広いところへ伴れて行った。
黒い蟻のような群衆が真中辺に円陣になって固まっている。
その中では何かやっているらしいが、祖母は私の手をひいてその円陣の廻りをうろうろ廻っているばかりだ。
すると親切そうな兵隊が来て、二人を一番前列に連れ出してくれた。
そうしてひそめた声で(そこに居られるのが陛下です)と言った。
一間位離れて、猫背の老いた軍人がいた。それは明治天皇だった。
明治天皇は、胸の厚みの辺りの、釦と釦との間が少したるんでいて、そこに内容が詰っているような、愛情があるような、大変に懐しい人間像を、私に感じさせた。
それは観兵式だったと、後でわかった。


『記憶の繪』より。


日本の少女が当時自分が生きていた時代(明治~昭和)の実体験に残る記憶がこうやって綴られてるのは貴重だなぁ、って思いながら読めるんだよね。
純粋な感想でしょ、何も混じりけのない。
仮に空想が入っていたとしても、写生してる感じ。

ちなみに俳句は空想とか妄想が入っちゃいかんのだよね、一応。
写生でなくちゃいけないのだ。

やっぱりモリマリ20111023-05

2011年10月24日 00時36分03秒 | 紹介屋ねーさん
現在漫才といっているものは元、大坂の「にわか」から変化したものらしいが、「にわか」とは全く異った(ちがった)ものになっている。
洋七、洋八のかけ合い話はいつも面白い。
大体かけ合いは莫迦気たことを言い合うものだから、喋りの種が悪いと、全く莫迦気てしまう。



B&B、やっぱり、面白かったよねぇ。

「もみじまんじゅーーぅぅ」とかねー。
「メチャメチャ陰気やで~」とかねー。
「小野田さ~ん」とかねー。
「リンゴとみかん、どっちがバナナでしょう?」とかねー。

超くだらなくて、莫迦気ているのを、あのスピード感ですっ飛ばしていくのが、楽しくてね~。

「かけ合い」って結構○難しい(×ややこしい)と思うんだよね。
なんていうかね、センスも必要だし、発想力も必要だし、瞬時に「拾う」と「捨てる」と「スルー」と「切り替え」の選別も必要だし。




▼ 漫才(まんざい)

古来の萬歳を元に、日本の関西地方で独自に発達したとされる、主に2人組で披露される演芸・話芸。


▼ 俄(にわか)

江戸時代から明治時代にかけて、宴席や路上などで行われた即興の芝居。
またの名を茶番(ちゃばん)。