ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

「百万回生きたねこ」もいいけど「さかないっぴきなまのまま」はそれ以上。

2014年04月23日 23時58分15秒 | 紹介屋ねーさん
さかな1ぴきなまのまま (フレーベルのえほん 25)
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フレーベル館






佐野洋子さんの絵本ですが。


「何か」が襲ってくるところなんか、スゴく唸っちゃいますよ。

「何か」、そう「何か」なんですよ。


ヘビ君とはご縁があったみたいでね。(クスッ)



「さかないっぴきなまのまま」は一時期絶版になってた時があったかと思うけど、再販したのかな?



「百万回生きたねこ」以上に考えさせられるというか、そこここに「うっ…!!」と思わされることを伝えてると思うよね。



「本当のお友達・・・って」って思わされるよなぁ。

そうだったのか! スゴ訳 あたらしいカタカナ語辞典

2013年07月05日 22時19分11秒 | 紹介屋ねーさん
そうだったのか! スゴ訳 あたらしいカタカナ語辞典
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高橋書店



も~、必要に狭まれて、購入・・・

も~ぉ、ホンっトにやだぁ・・・

こういう言葉、本気で使ってくれるなよ・・・


「わざとですよ!」
「だって時代はグローバル、外人も相手しますし・・・」
・・・っていうのすらダメです、それ。
コミュニケーションになっていませ~~~ん。(言葉をキャッチボールしてる風でもお互いに一方通行なだけ。)


「影で「あのバ~カ!(嘲笑)」って言われてるの、わかってないのかなぁ??」って心配になるんだよねぇ・・・


(まぁ気がつかない連中が連んでるから言われないってだけなんでしょうけどもね。)



笑笑笑



あたしゃ、仕事での英語は通訳とか翻訳者しか使ったことありません。つか、その道の人を使わないと、自分が英会話スクールとか外人のトモダチとかから習得したくらいの英語じゃ仕事としてマズイからであります。
それもまずは日本語がきちんと解釈できてる翻訳者か通訳の人に限ります。
英語が出来るだけの似非日本人では、自分の伝えたいことが伝えてもらえないから危険なのであります。

言葉が怖い(向田邦子)

2013年06月19日 22時34分22秒 | 紹介屋ねーさん
言葉が怖い 新潮CD (新潮CD 講演)
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新潮社



「機微に気がつく人っいいわ~~」ってつくづく思う。

機微ってのは目に見えてこない、耳に聞こえてこない部分ね。
研ぎ澄ましていると感じる部分ね。

Climbing by Mountain

2013年01月31日 22時02分09秒 | 紹介屋ねーさん
Climbing
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Sbme Special Mkts.



Mountainのセカンド?アルバム。

これ、アメリカロック、間違いなし。

やっぱりモリマリ20120209

2012年02月09日 15時11分26秒 | 紹介屋ねーさん
私は家はあまり欲しいとは思わないが庭にはまったく憧れている。

野分け(野分けといっても、二百十日といっても若い人のなかにはわからない人もあるかもしれないが、九月のはじめ頃にくる暴風雨のことで、戦後からキティとかエリザベットとかいう女の名になり、=アメリカ人が台風に女の名をつけたのは、アメリカでは女が男のように荒れるからかも知れない=このごろは台風第一号、第二号、になったの後の風なんかは、庭があるととても趣きがあってうれしい日になってしまう。

(中略)

大した立派な家でもない、ごく普通の日本建ての家に、家のわりには広い庭があって、片隅に薔薇の花壇がある。(アーチなぞはない)
それも、大した腕前の薔薇造りでもない主人が、ただ好きで造っている。
そんな家に、夏の終りの夕方なぞに行くと、まだ薔薇がのこっていて、まだ十を越えるほど、薄紅色や白に、夕やみの中に浮び上っているのなんか、とても好きである。

小説の中で造った、魔のようなものを持った少女が、その庭に立っていて、少女が愛している青年が薔薇を戴って上げようと言うと、(この人は好きだけど、家は大きくないし、綺麗でもない。でも薔薇は欲しい)そう思って、黙って凝(じっ)と青年を視、顎だけで肯く。

そんな場面を想像するのである。



『記憶の繪』より。



オバチャマが結婚して住んでいたアパートの横のお宅がこんな感じで。

まぁ庭はそんなに広くはないんだが、薔薇好きのオジサンが毎日庭の薔薇の手入れをしていて、オバチャマも外に置いてある鉢植えなぞに水をやってると、必ず垣根の向こうから、「花、好きなんだねぇ。鉢植えなのに上手に育ててるわ~。へぇ。」って気さくに声をかけてきた。

んで、時たま、2,3本切っては、「はい、どうぞ。切り花もいいでしょ?」ってくれて。

和んだは和んだんだけども、ダンナさんが病に伏してからは、その何気ない優しさが痛くて仕方がなかったんだよなぁ・・・という想い出。

しかしあの土地のご近所さんはいい人ばっかりだったなぁ。
前のお宅のオバサンも親切にしてくれて。
せせこましくなくて、ゆったりたっぷりしてる感じの人達。
決して華美な洋風なお宅とかいう感じではなくて、普通のほどほどにしっかりした地味な日本家屋。
娘とか親戚の姪とか、そんな感じで関わってくれて。



しかし、ここの場面。


(この人は好きだけど、家は大きくないし、綺麗でもない。でも薔薇は欲しい)そう思って、黙って凝(じっ)と青年を視、顎だけで肯く。


これ、なんか、わかるよねぇ。(フフフフ・・・)