ねーさんとバンビーナの毎日

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やっぱりモリマリ20120209

2012年02月09日 15時11分26秒 | 紹介屋ねーさん
私は家はあまり欲しいとは思わないが庭にはまったく憧れている。

野分け(野分けといっても、二百十日といっても若い人のなかにはわからない人もあるかもしれないが、九月のはじめ頃にくる暴風雨のことで、戦後からキティとかエリザベットとかいう女の名になり、=アメリカ人が台風に女の名をつけたのは、アメリカでは女が男のように荒れるからかも知れない=このごろは台風第一号、第二号、になったの後の風なんかは、庭があるととても趣きがあってうれしい日になってしまう。

(中略)

大した立派な家でもない、ごく普通の日本建ての家に、家のわりには広い庭があって、片隅に薔薇の花壇がある。(アーチなぞはない)
それも、大した腕前の薔薇造りでもない主人が、ただ好きで造っている。
そんな家に、夏の終りの夕方なぞに行くと、まだ薔薇がのこっていて、まだ十を越えるほど、薄紅色や白に、夕やみの中に浮び上っているのなんか、とても好きである。

小説の中で造った、魔のようなものを持った少女が、その庭に立っていて、少女が愛している青年が薔薇を戴って上げようと言うと、(この人は好きだけど、家は大きくないし、綺麗でもない。でも薔薇は欲しい)そう思って、黙って凝(じっ)と青年を視、顎だけで肯く。

そんな場面を想像するのである。



『記憶の繪』より。



オバチャマが結婚して住んでいたアパートの横のお宅がこんな感じで。

まぁ庭はそんなに広くはないんだが、薔薇好きのオジサンが毎日庭の薔薇の手入れをしていて、オバチャマも外に置いてある鉢植えなぞに水をやってると、必ず垣根の向こうから、「花、好きなんだねぇ。鉢植えなのに上手に育ててるわ~。へぇ。」って気さくに声をかけてきた。

んで、時たま、2,3本切っては、「はい、どうぞ。切り花もいいでしょ?」ってくれて。

和んだは和んだんだけども、ダンナさんが病に伏してからは、その何気ない優しさが痛くて仕方がなかったんだよなぁ・・・という想い出。

しかしあの土地のご近所さんはいい人ばっかりだったなぁ。
前のお宅のオバサンも親切にしてくれて。
せせこましくなくて、ゆったりたっぷりしてる感じの人達。
決して華美な洋風なお宅とかいう感じではなくて、普通のほどほどにしっかりした地味な日本家屋。
娘とか親戚の姪とか、そんな感じで関わってくれて。



しかし、ここの場面。


(この人は好きだけど、家は大きくないし、綺麗でもない。でも薔薇は欲しい)そう思って、黙って凝(じっ)と青年を視、顎だけで肯く。


これ、なんか、わかるよねぇ。(フフフフ・・・)




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