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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

手塚治虫少年の「昆虫つれづれ草」

2009-06-29 | 読書
鉄腕アトムなどの漫画家、手塚治虫は私の若い頃のあこがれの人であった。いや、多くの人のあこがれでもあった。鉄腕アトムは当時の雑誌に連載していたのを、毎号真っ先に飛びついて読んだ覚えがある。雑誌の名前は「少年」だったか、「少年クラブ」だったか、「冒険王」だったか、よく覚えていないが。そのあとの「リボンの騎士」は、「少女」だったか「少女クラブ」だったかに連載されていた。これも夢中になって読んだものだった。もちろん自宅でこれらの雑誌を購読していたはずはない。とてもそんな雑誌を買う余裕はなかったからだ。小学校のクラスで、これらの漫画雑誌を共通で購入していた。毎月新しい号が発行になると、クラスで雑誌の引っ張り合いになる。たいてい強いガキ大将が勝って、跡のものは順番が来るのを待っていなければならない。喧嘩に弱い私はいつも順番が最後の方だった。しかし、雑誌はクラスのものだから、自宅に持って帰ることはできない。だから帰るときにはまだ読み切っていなくても次の生徒に渡して帰る。どうしても雑誌を読みたかった私は、じっと辛抱強く待って、日が暮れるまで待つ。日が暮れるとさすがに雑誌よりは家が恋しくなるので、生徒たちはみな帰って行く。そうするとようやく私の番が来る。灯りもつかない暗い教室の隅で、机にかじりついて手塚漫画を読んでいたころが懐かしい。

 今日、手塚治虫の手作り本を復刻した本、手塚治虫著「昆虫つれづれ草」を読んだ。これは手塚治虫が宝塚の北野中学の生徒だったときに、一人で文章を書き、昆虫標本の絵を描き、紙が手に入りにくい戦中に紙に清書をし、手で製本をした自家本だった。合計20巻を作って友達と半分づつ保管しておいたものだ。中学生といえばまだ10歳そこそこで、これだけの文章が書け、絵が描ける人は、天才といって良いだろう。インクが手に入らないので、蝶の標本の絵の赤は、自分の血を使ったと手塚さんは後に語っている。

 彼の「昆虫つれづれ草」を読んでいると、網を持ってあちこちの山を歩き、昆虫採集をしていた昔を思い出す。あのころ感じたことや知識として知っていた昆虫のことを、また思い出してしまった。当時、昆虫好きな少年だった人は、おそらく同じようなことを感じるだろう。手塚少年も私もおそらく感じたことはそう違いがないに違いない。でもそれを大人びた文章で書き残し、絵を描いた人は、おそらく彼以外にはいないだろう。

 あらためて手塚治虫の天賦の才能を感じ、鉄腕アトムに結実した彼の心に敬服する。現代にあのような巨人はもう現れないような気がする。鉄腕アトムの中に各所に散らばる手塚治虫の昆虫好きの心。森の木を切る開発に嘆き悲しむ老学者の姿を描けたのも、開発一辺倒のあの時代に、開発反対の心を描けたのも、彼が蝶を追いかけた箕面の山の自然があったからなのだろう。いまはもう宅地開発に飲み込まれたしまった都市の森をこれから再び取り戻せるだろうか。


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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おはようございます。 (こんぶ)
2009-07-03 05:02:37
手塚おさむは懐かしいですね。
私もよく読みましたよ。
また読みたくなりました。
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