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「剣岳 点の記」を鑑賞して

2009-07-26 | 日記風
映画、木村大作監督「剣岳 点の記」を鑑賞した。ご存じ新田次郎原作の小説を映画化したものだ。長い間映画を見ることがなかった。見たい映画があまりなかったと言うこともあるが、映画を見に行くという余裕がなかったこともある。「剣岳 点の記」は、雑誌に素晴らしい映画だと評していたのを見て、機会あれば見に行こうと思っていた。今朝、ちょっと時間が空いたのを思い立って、京都に来て初めて映画館へ出かけた。

 剣岳は、登りたいと数年前から機会を作ろうとしていた。5年前に登山計画を立てていたが、予定を変更せざるを得ないことがあり、断念。それから毎年のように剣岳を頭に浮かべながら、今年も無理かと思い続けてきた。体もいきなり剣岳は無理だと思い、しばらく歩いていない状態では剣岳に登れる自信もない。そんな山だったからこそ、映画を見てみたいと思う気持ちがあったのだろう。新田次郎の小説も昔読んだ。

 正直な感想は、思ったほど面白いと思わなかった。感動もあまりない。映画は新田次郎の原作にかなり忠実に映画化していたのであろう。吹雪や豪雨の中の登山や、雪崩に巻き込まれる場面、ロープが切れて岩場を転がり落ちる場面など、どうやって撮ったのだろうと思うほど、リアルな映像には、登山を趣味とする観客が多かったこともあって、みんな感心してみていたようだ。

 明治40年頃の登山の記録としてこの映画を見れば、その息詰まる登山の場面場面には、感動的だし、剣岳や立山連峰の美しさは、息をのむようだ。カメラワークも素晴らしい。が、それにもかかわらず、記録映画を超える物語にはなっていないように思われた。新田次郎の小説そのものが、記録小説に多少小説らしい色を加えた程度のものが多いせいでもあるだろう。唯一、陸軍測量隊として軍上層部の無理な命令に従って、艱難辛苦の末に初登頂を果たした彼らに、軍隊上層部が自分たちの体裁だけを気にして、彼らの成果を一顧だにしなかったという軍隊の非人間性が描かれていたのが、救いだった。

 そんな映画の評価は別にしても、剣岳の美しさ、凄さ、厳しさは、十二分に味わえた。なんとかして剣岳に登りたい。

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