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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

沖縄は嘆きの島

2011-10-26 | 南の海
暑い暑いと言っていた日が昨日のように思われるが、急激に冬に向かって気候は変化している。今朝は寒さに震えた。

 沖縄に出かけてきた。病に倒れてふさぎ込んでしまった友人を見舞いに行った。もはや移植手術以外に道はないと言われて、苦しみに耐えながら、ただひたすら移植の順番を待つだけの毎日を過ごしている。見舞いの言葉も探せなかったが、われわれの見舞いを心から喜んでくれた。体調も良くなりそうだと言う。そうだ。その調子。病気などに負けてはいけない。がんばれ。かわいい娘さんは、母親の病をどう受け止めているだろうか。もういろんなことが分かり始めている年になった。娘さんのためにも頑張って欲しい。

 病の友人宅ばかりにいるわけもいかず、せっかくの沖縄だから、海へ出かけた。京都は土砂降りの雨だと聞くが、こちらは澄み切った青空が続く。もっとも先週までは沖縄は台風並みの雨風だったらしいから、やはり晴れ男の私のせいだ。南国の日差しは夏そのもの。暑いが、日陰で海風に肌をなぶらせると、懐かしい南国の心地よさが、沈んだ心も癒やしてくれる。本部半島まで車を走らせ、観光客が押し寄せている美ら海水族館を横目で見ながら、備瀬の浜辺に腰を落ち着けた。沖縄の都会と違って、このあたりの民家は、昔ながらの赤瓦の屋根を持ち、家の周りは福木(ふくぎ)を密に植えて、立派な屋敷林ができている。民家の路地を
通ると福木の並木が連なり、空が見えないほどだ。森林浴を毎日家の中でできる。すばらしい環境ではないだろうか。こんな家をやめて、都会の新建材やコンクリートの家に住もうという人たちの気持ちは分からない。コンビニがないことなど、なんのつらさでもないと思うのは、コンビニがあるところで住んでいる人間の考えることだろうか。そうではないように思う。

 帰りに辺野古に寄った。辺野古への米軍ヘリ基地建設反対の座り込みがもう2000日以上も続けられている。有名なテント村ともう一つの基地建設反対の小屋があった。行ってみるまでよく知らなかったが、辺野古の港の前には、二つの座り込みが行われていたのだ。もう一つは、地元のおじいとおばあを中心とした「命を守る会」の人たちが行っている。「命を守る会」の代表の人と話をした。この会は、全国からの100を超える多数の団体が行っているテント村の座り込みとは異なり、地元の住民だけで行っている行動だった。全国からの支援はありがたく受けるが、あくまで地元住民だけで反対運動をしたいという人々の集まりだった。30人以上いた当初の会員も、老人中心の故に、いまでは半数近くになったという。それでもこれから起こる民主党政権による日米合意(辺野古新基地建設)の実行に、ただ淡々と反対の意志を示すだけだと覚悟を語ってくれた。テント村の行動も「命を守る会」の行動も、ただアメリカ一辺倒の自民党、公明党、民主党の政治家たちへ、強い私たち国民の気持ちを代弁していると思っている。おじいやおばあの健康を祈りながら、いとまごいをしてきた。

 那覇空港で帰りの切符を買ったあと、時間つぶしに、もっとも近くの自然海岸に出かけた。空港の近くは米軍基地と人工ビーチばかりだ。唯一残されたこの浜は、ながらく米軍基地だったため人間の立ち入りが禁止されていた浜だとか。でも今は自由に来ることができる。浜辺で線香を並べて功徳を説いていたおじさんの話によると、立ち入り禁止が解かれたとたん、多くの人がこの海岸にやってきて、貝やウニやナマコをとったため、「あっという間に何もいなくなったさあ」。潮の引いた海岸を1時間ほども歩いてみたが、たしかに何もいない。珊瑚のかけらや貝殻に厚く積もった泥が見えるだけだ。どうやら人間が獲ってしまっただけが
原因では無さそうだ。周りの土木工事の影響は大きいのだろう。陸は海岸沿いの道を除いて、いまだ軍事基地に占領されている。米軍から自衛隊に代わっただけで。