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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

天下分け目の「天王山」

2011-10-03 | 花と自然
「天下分け目の決戦」とくれば、豊臣秀吉と徳川家康が天下の覇を競った「関ヶ原の戦い」だが、もう一つ「天下分け目の決戦」が、「天王山」であった。これは織田信長に反旗を翻し本能寺に信長を闇討ちした明智光秀と、急を聞いて毛利と休戦し、岡山から引き返した羽柴秀吉が京都の南「天王山」の麓の淀川河原で対決した合戦である。京都の東山を歩くのに少々飽きたので、南にある山を探していたら、ガイドブックに天王山の名前があった。歩く距離も少なく、長い間歩いていない体には、ちょうど良いだろうとあまりガイドブックも読まずに「天王山」へ向かった。

 二日前から風邪を引いて、体がだるい。咳も続くし、鼻水もでる。体調は悪い。しかし、このままでは精神的に持たないような気がして、少々熱っぽい体をおして「天王山」に登ることにした。そこを選んだ理由は、まず比較的楽に登れるようだったこと。そして、駅からすぐに登り出せること。なにしろ車がないと行けない山がガイドブックにはいっぱいある。バスを利用すると、一時間に一本というのは、まだかなり良い方。ひどいのは一日一本しかないようなバスも少なくない。車を捨てた私にとって、バスの不便さはつくづく困る。駅から歩けるというのは、なによりうれしい。

 歩き始めて初めて、「天王山」の故事を知った。光秀が秀吉軍に負かされて、落ちる途中で土民の竹槍に傷つき、自刃して果てたというのは知っていたが、その闘いがここで、だから天下分け目の天王山と言われているのは、今日初めて知ったのだ。お恥ずかしいことに。いきなり急な舗装路の坂道を登ると、宝積寺に入る。みごとな三重の塔がある。そこから山道になるが、登りはゆるやかで、途中の見晴台から京都の町並みを眺め、看板に書かれている秀吉軍の行動と光秀との闘いの記述を読み、ぼちぼち歩いている内にいつのまにか天王山の頂上についた。見ると、頂上の標識に、標高270mとある。えっ、こんなに低い山だったのか。ガイドブックをよく見てこなかったので、びっくり。これなら家の近くの大文字山の方がよっぽど高いや、とちょっとがっかり。でも、山、高きが故に尊からず、と思い直して、縦走路をもう少し歩くことにした。ここまで駅から45分で着いてしまった。縦走路も上り下りがほとんど無い散歩道。低い山だけに、杉や桧の人工林も多いが、縦走路は天然林も多い。もっともほとんどが常緑樹なので、明るさはない。この山には、花がまったく咲いていない。常緑広葉樹や人工林の下には、目を楽しませるような花はないのが、つらい。涼しくなったので、歩けるが、夏の暑いときならこんなところは歩けるものではないだろう。

 縦走路からはずれて、十方山へ向かう。樹林に隠れて頂上があった。良く注意しなければ分からないような頂上だ。そこから再び縦走路に帰り、北に向かう。舗装道路に出て、西に向かうと西国巡礼十七番の柳谷寺がある。ここで、弘法大師が発見したという泉の水で目を洗う。この泉は弘法大師が母猿が子猿の目を洗っていたのをみて、目の病に効くことを発見したという言い伝えがある。白内障が始まった私の右目を洗って、帰り道についた。目は良くなるだろうか。


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