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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

京都の蛍は涙を誘う

2009-06-15 | 花と自然
毎日のように夜の散歩で楽しんでいた琵琶湖疏水の蛍だったが、東北へ3-4日留守にして帰ってみると、すっかり数が減ってしまっている。しばらく目をこらしていても、一つか二つ疏水の石垣にしがみついてひっそりと光っている蛍が目に入る程度だ。蛍を楽しむという季節は終わったのかなと、一抹の寂しさを感じていた。

 ところが、連れ合いがもっと大きい高野川にも蛍がいっぱいいるという情報を聞いてきた。少し遠いが歩けない距離ではない。夜の食事を済ませて、仲間たちを誘って出かけた。20分くらい歩くと、鴨川の上流の高野川に着く。ここらあたりは高野川と賀茂川が合流して鴨川になる下鴨神社の上手に当たる。もう数分歩けば鴨川だ。

 琵琶湖疏水が幅1m程度の狭い用水路なのに比べて、高野川は間違いなく本物の川だ。岸は道路があるのでコンクリートで固めてあるが、河川敷の中に散歩道があり、それより川側には草が生い茂り、その間を幅数mの川が流れている。車が頻繁に通る道路があるのでしばらく目が慣れないと蛍が目に入らなかったが、すぐに目が慣れてきたら、もうそこらあたり蛍の光がいっぱい点滅している。川面の上には蛍が飛び交い、草むらにはじっと止まって光を放つメスのホタルがいる。多いところと少ないところがあるが、多いところではまるで満天の星が瞬いているような趣だった。

 最初はウワー、スゴイー、などと叫んでいた仲間たちも、やがて静かになって、じっと闇のホタルを眺めている。やっぱり蛍の光は黙って静かに眺めていたい。昔ホタルを眺めた若い頃が目に浮かんでくる。なにより儚そうな蛍の光の点滅が、黙ってみていると涙腺がゆるんでくるのを誘う。なんなんだろう。この感情は。自然といっしょに生きてきた日本人の心が残っているのだろうか。今の若者にはひょっとしたらこの感情は分からないのではないだろうかと思ってみていた。しかし、いっしょにホタルを見に来たもっとも若い仲間は、やはり黙ってホタルを見つめている。なにかを感じているのだろう。もっとも、他の仲間はホタルも見ないでしゃべり続けている。やはり年ではなく人の性格なのだろうか。

 こんなに沢山のホタルを見たのは、久しぶりだ。西表島のヤエヤマボタルはもっといっぱいいた。あのときもやはり感動したものだ。蛍の光のはかなさが、きっと心の琴線にふれるのだろう。京都の町の真ん中近くでこんなにたくさんのホタルがみられるなんて、これまで思ったこともなかった。野坂昭如の小説「火垂るの墓」が、突然胸に浮かんだ。「お兄ちゃん、お腹すいた」「節子、お腹すいた」。戦争で焼かれ、幼い兄妹が残され、食べるものもなく、サクマのドロップのかけらを最後に貰って息を引き取っていく妹の節子のことを思い出したら、また涙腺がゆるんできた。京都のホタルは、涙無しでは見られないのかもしれない。

蛍の光ははかなく寂しい

2009-06-03 | 花と自然
ここ10日ほど、毎晩のように琵琶湖疏水に沿った小道を散歩している。もちろん、
夜の闇に光るホタルを見るためである。ゲンジボタルの飛び交う光景を子供の頃
に何度か見た。大人になっては、意図しないところで数度見たことがある。一度
子供たちに見せたいと家族連れで出かけた覚えがあるが、それがどこだったか記
憶にない。どちらにしても、久しぶりのホタル鑑賞だ。何年ぶりだろうか?

 北海道東にはゲンジボタルはいない。ヘイケボタルならかなりいる。時期を見
てその場所へ見に行けば見られる。しかし、ヘイケボタルの光は寂しくて、気温
の低い道東では寒さに震えながらホタルのかすかな光を見ることになる。その点、
ゲンジボタルの光は強く、蛍の光でも集めれば本が読めるかもしれないと思える
ほどだ。そんな強い光のゲンジボタルでも、やはりホタルの光ははかなさを感じ
てしまう。あの明滅する光がはかなさを演出しているのかもしれない。

 沖縄県先島諸島の西表島で見たヤエヤマボタルは、光はそれほど強くもないが、
闇の深さとホタルの数の多さで、感動的だった。思わずその光のすごさに立ちす
くんだことを思い出す。ヘイケボタルでも闇の深さと数がそろえばきっと感動す
るのだろう。

 それにしても京都の街の中でホタルの飛び交う姿を見ることができるとは! 
毎日ホタルを鑑賞できる環境にあることが信じられない。一昨日の新聞にこのホ
タルが写真入りで報じられたらしく、昨日はいつになく人が大勢来ていて、その
せいかホタルの数はかなり少なくなっていた。川の水がきれいで餌のカワニナが
たくさんいて、そしてやはり人が少ないことがホタルにとっては重要なのかもし
れない。

 遠くから見に来ている人もいて、関東弁も聞こえてくる。タクシーで駆けつけ
る人まで出て、琵琶湖疏水の小さな散歩道は大騒ぎ。日本人はマスコミに動かさ
れやすいのだなあとつくづく思う。ホタルはそんなに遠くまで行かなくても近く
で探せばいろんなところで見られるはずだ。近くに住む私たちにとって、この小
さな水の流れにホタルが棲むことを幸せに思う。
 
 それにしても、ホタルの光ははかなく寂しい。


滝と花と迷い道

2009-05-09 | 花と自然
 連休の一日、奈良県と三重県の県境にある渓谷に出かけた。50個以上の滝が連続して見られることで有名な「赤目四十八滝」という。京都から近鉄で3回も乗り換えて、赤目駅までたどり着いた。ここからバスで10分くらいなのだが、バスが1時間に1本しか出ていないので、時間はかかる。このあたりは伊賀の国になる。伊賀の忍者で有名なところらしい。伊賀の忍者の頭領であった百地三太夫の砦がこの近くにある。三太夫の配下の忍者が修行に及んだのが赤目四十八滝であったという。

 そういえば、赤目という言葉から連想した白土三平の「カムイ伝」に赤目という名前の忍者が登場していた。ここの地名からとった名前だったんだと今更ながら納得してしまった。しかし地名の赤目はどこから由来したのかは、分からずじまいだった。

 さすがに大型連休で、しかも好天が続いたせいで、赤目四十八滝は人の波だった。でも登山のつもりできた私にとっては、ゆっくりと散歩ができて、一つ一つの滝を眺めながら歩くのも、日頃の登山と違って楽しめた。若者たちや二人連れが思い思いの格好で歩いている。杖をついたお年寄りの姿もある。渓流に沿った道は観光客用にしっかりと作られており、コンクリートで固めたところも多いが、それでもハイヒールで歩くにはかなり難儀な道なので、登山靴を履いた私にとってはきわめて歩きよい。

 町では桜も終わり、渓谷では藤の花がいたるところで薄紫のマントを樹林にかぶせているように咲き誇っている。やはり藤は川のほとりが良い。夏の花にはまだ早いが、渓谷沿いにはいろんな花が咲いていて、目を楽しませてくれる。京都北山の花の少ない山を歩いている目には、ここ伊賀の深山の花たちがうれしい。

 渓谷の入り口では、シャガの花がいっぱい咲いている。この花は水辺に咲くが、杉の木立のような薄暗いところにも咲いている。暗い樹林のしたに咲いている真っ白なシャガの花の群れは、ただ薄暗いだけの杉林を明るくしてくれる。




 それからジュウニヒトエの花たち。コマンネンソウ(ヒメレンゲ)は、北海道でたくさん見たマンネングサによく似ているが、ここでは少し違った種類らしい。渓谷添いの岩角にはイワタバコの特徴ある葉が付いているが、あの紫色の花はまだ見られない。赤目五瀑と言われるやや大きい滝もあるが、四十八滝のほとんどは高さが1-2mくらいのかわいい滝が多い。


一つ一つに名前が付いていて、髑髏滝とか乙女滝、霊蛇の滝、千手の滝、雛壇の滝、姉妹滝などの名前と滝の姿を見比べつつ、納得したり頭をかしげたりしながら、2時間ほども掛けて渓谷を登り切り、県道に出た。

 県道をしばらく歩いて再び山道にはいる。ここからは5万の地形図の道を見ながら山を越えて室生寺へ出ようと考えた。今度の山道にはテンナンショウ(マムシグサ)があちこちであのちょっと不気味な茎を伸ばして、先端に特徴的な花を付け始めている。その中で少し葉っぱが異なるものがあったので写真に撮った。図鑑を見てもよく分からないが、どうやらユキモチソウらしい。ユキモチソウは花の筒の中に白くて膨れたお餅のような花芯をもっているので、すぐ分かるはずなのだが、どうやら開花したばかりの花にはその白いお餅のような花芯は未発達らしい。それでいくら図鑑を調べても分からないはずだ。


 花の少ない杉林が続き、そのうちとうとう道が無くなってしまった。道を見失ったかなと途中まで引き返し道を探すが、室生寺の方角には道らしい踏み跡も見あたらない。何度か上ったり降りたりを繰り返していたが、地図の登山道はどうやら廃道になってしまっていると結論づけざるを得ない。藪こぎをすれば室生寺まで行けなくもないだろうが、時間がどのくらいかかるか分からないし、室生寺で家族と会う約束をしていたので、引き返すことにした。元の県道へ出るまでに立派に舗装した林道があり、その道をたどれば電車の通っている町に近いように思われたので、この林道を歩くことにした。立派な舗装した林道なので、途中で通る車を見つけて便乗させて貰おうと思った。

 ところが思惑がはずれてしまった。この林道はどこにも通じておらず、行き止まりの林道だったから、この大型連休といえども車一台も走っていない。むしろ連休でなければ山仕事の車が少しは走っていたかもしれないが、まったく車の姿がない。あきらめてただひたすら舗装道路を歩く。この調子で歩いていくと、町まで2時間ほどかかりそうだ。そこからバスを探して駅まで行き、電車で室生口まで乗り、さらにバスに乗って室生寺へ着くのは夜中になりそうだ。もっともそんな時間になるとバスもなくなるだろう。そんなことを考えながらも、歩くしかない。

 町までの半分くらい歩いた頃、一台の車が通りかかった。まことに地獄に仏とはこのこと。手を挙げて車を止めようとすると、車の方も私に用があるようでこちらに来て止まった。「この道はどこへ抜けるだろうか?」という質問が来た。「行き止まりです」と言いながら、「しめた、この車はこれから待ちの方へ引き返すだろう」と考える。この車を逃したら、今日は野宿かも知らないと思うから、必死の思いで町まで乗せてもらえないかと頼んだ。この人がいい人で、喜んで乗せてくれた上に、ついでだから室生寺まで載せて蔵ルことになった。まったく仏に見えたものだった。

 車の人は、この近くの温泉に行き、そこで温泉に入って夜は車で寝るのだという。私と同じ京都から来たらしい。何度も何度もお礼を言って別れたが、よく考えればせめて名前くらい聞いておくべきだった。名前も知らない親切なおじさんに、ここからお礼を言います。本当にありがとう。

 ピークはまったく踏めなかったが、実によく歩いた一日だった。最後は車に乗ってしまったが、道に迷ったこともあって6時間は歩いた。やれやれ。地形図の歩く道が廃道になることは里の近くの山(里山)で、よくあることだ。よくある原因はゴルフ場ができて、登山道が無くなっていること。今回は道が使われなくなって踏みあとも無くなってしまったらしい。山仕事をする人の踏み跡があるので、かえってわかりにくくなってしまう。地形図を信用しすぎるとときどき困ったことになる。

室生の山から

2009-04-13 | 花と自然
今年の正月に山に登って以来、登山といえる山歩きはしてこなかった。仕事が忙しくなってきたことが大きい原因だが、体調もあまり良くない。体調は山歩きをしなくなったからが原因だと思っているので、なんとか山を歩いてみたいと思っていた。ようやく時間がとれて、少し遠くまで足を伸ばしてみようと、奈良県の住塚山(1009m)と国見山(1016m)に向かった。

 京都から近鉄を3本乗り継いで名張駅についたのが10時。そこからバスで1時間。歩き始めたのは11時だった。天気は良いし、予定の歩行時間は4時間半だったので、これでも十分な時間があると判断した。バスを降りたところから急な坂道を登っていくが、道は舗装道路だ。両側の民家をみながら40分ほども炎天とも言える暑い道路を汗を流しながら歩いていった。これでも4月なのかと思える。まるで真夏の暑さだ。暑いだろうと思ったので少しでも高い山をと思って1000mを越える山を探したが、しばらく歩いていないのに無理はできず、近畿の山には1000mを越える山は多くない。

 1時間歩いて屏風岩公苑に到着する。正面には柱状節理をみせる垂直の岩壁をもつ岩山が圧倒する。写真を撮ったのにピンぼけだった(^^;)。お弁当を食べて、その脇の急な登山道をひたすら登る。こんどは杉の植林地の中なので、多少は涼しいが、花はなにもなく面白くない。

まもなく最初のピークの住塚山に到着。汗が噴き出てくるので、のどが渇く。テルモスの紅茶を美味しく飲んで、ふたたび尾根道を歩き始める。おおきくタワまで下った後、また急な登りを汗をかきながらのぼる。二つ目のピークは国見山。360度の展望があった。天気も良いがもやっており、遠くはかすみ気味。歩いたことのない山塊なので、見える山の名前はまったく分からない。



 この山塊もあまり花は多くない。ハシリドコロの寂しい花が日陰で咲き始めている。ミヤマカタバミの真っ白い花がいくつか咲いていた。この花は私の好きな花の一つだ。出会えてほっとする。


 大きく降って、歩き始めて4時間が経つ頃、バス停のあるところまで降りてきたが、バスは当分来ない。ここから室生寺までは歩いて30分くらいだというので、歩き始める。途中、龍穴神社を見て室生寺に抜けるつもりで脇道に入ったが、どうやら違う道だと言うことに気がついたのは、歩き始めて25分くらいたった後だった。そろそろ足が痛くなり始めていたが、歩いて帰る以外に道はない。そこからもときた道を引き返し、1時間ほど歩いてようやく室生寺にたどり着いた。

 女人高野として有名な室生寺は、山の中にひっそりとある。高野山が女子禁制だったため、その代わりに女性が参拝に訪れたというところだが、いまでも歩いてくるには大変なところ。当時は歩く以外に方法はなかっただろうし、近くまで電車という手段もなかったから、京都からここまで何日も歩き続けて参拝に訪れたのだろう。仏の慈悲にすがりたいと思う女性には、本当に命をかけた参拝だったのだろう。ここに来たら、帰ることもままならない。その覚悟で女性たちは訪れたのだったろう。

 室生寺の桜がきれいだと聞いていたが、来てみるとあまり桜はきれいとも思えない。京都でたくさん桜を見てしまったからかもしれない。もうじきシャクナゲの時期が始まる。シャクナゲはいっぱいつぼみを付けていたから、開花の時期にはきっと美しいのだろう。室生寺は、美しい五重塔が有名で、私もそれを見たくてやってきた。写真で見るのと実物を見るのはこんなに違うものかと言うのが感想だ。室生寺の五重塔はかわいくて小さくて、びっくりするほどだ。女人高野らしいのかもしれない。この寺を守ってきた人たちはみな女性だったというのだから。



 京都に帰り着いたのは夜も更けた9時前になった。久しぶりの山歩きに心はすっきりとストレスが無くなったような気がする。また、機会を作ってどんどん歩きたい。いよいよすばらしい新緑の季節だ。暑さ対策を考えて、高い山に登りたい。 

瀬戸内の花に背いて埋め立てとは

2009-04-11 | 花と自然
周防灘に面する周南市を訪れた。昔は徳山と言われていた街で、海岸線に立ち並ぶコンビナートがまがまがしい街である。こんなところにだけは住みたくないとつくづく思う。

 しかし、周南市も海辺から離れて山にはいるとなかなか捨てたものではない。山の中に泊まったのだが、美しい花に囲まれた宿だった。急激に夏が来たここ瀬戸内の街では、ソメイヨシノはもう花が終わりつつあったが、山の方ではそれでもまだ桜が楽しめる。もっとも他の花も一斉に咲き出して、百花繚乱の風情だ。ここで目をひいたのは、巨大な花をつけた木蓮。初夏の感が強いシャガの花も咲き始めている。



 トサミズキの花も木からまるで黄緑の雨のように一面ぶら下がっている。オオシマザクラの真っ白く大きい花が木全体をまるで綿をまとったように見せている。八重桜もこれからつぎつぎ花を開いている。山里のいまはもっとも華やかで美しい時期だろう。



 海を見たくて周南市から離れ、東よりの光市の象鼻ヶ岬に行った。戦前から山口県の自然公園に指定されているほど、風光明媚な海岸だったが、今は砂州でできている小さな岬がすべてコンクリートで固められている。なんと情けない姿だろう。それでも海の中は素晴らしい藻場が見られ、透き通った青い海が初夏の日射しの中で、うっとりするほど美しい。周防灘に面したこのあたりの海は本当に水も透明で、瀬戸内海とは思えないほど素晴らしい。写真にはコンクリートのないところを選んで撮ってみた。美しい海を持つ周防灘の海岸も、もうこんな場所もはなくなってしまっている。




 そして、このすぐ東側の柳井市沖の長島では、この素晴らしい海を埋め立てて原子力発電所を作ろうとしている。瀬戸内海に原発とは、いったい何を考えているのだろうか。しかもここは瀬戸内海国立公園のもっとも重要な場所になっているのに。埋め立て工事を開始したという悲しいニュースが日曜日の新聞の一面を埋めていた。中国新聞だけど。もっと日本の新聞がその悲しいニュースを日本中に知らしめて欲しいと思う。いますぐ埋め立てを中止して欲しい。


冬の摩周湖に感動

2009-03-14 | 花と自然
冬の終わりに再び道東を訪れた。2泊3日の短い旅だったけど、行きの飛行機は暴風雪のため飛行場に着陸できるかどうか危ぶまれた。羽田に引き返すかもしれないというアナウンスを聞きながら機体に乗り込んだ。案の定、機体は雲の中で揺れに揺れた。

 なんとか冷や冷やしながら到着した釧路空港は、びっくりするほどの暖かさだった。雪はまだかなり残っていたが、濡れた雪で、道路は凍っていない。バスの窓から見る小川は、氷もなくなり、雪解け水で溢れていた。例年より2-3週間は早い風景のようだった。

 次の日に予定していたイベントは、強風と雨や雪のためにどうなるかと心配したが、朝起きてみると朝日が射している。風は強いが、日射しがあると気持ちが良い。春の気配が濃厚に感じられる中、イベントは大勢の参加者で賑わった。

 そして、次の日。雲一つ無い快晴だった。道東の冬はこれが本当だと思いながら、青空の下を車を走らせた。同行者が道東は初めてだというので、サンナシ小屋に行きたかったのだが、少し遠出をして摩周湖を見に行った。霧の摩周湖で有名なここも、冬はどこまでも透明な空気と太陽の光の下で、どこまでも美しい姿を見せてくれた。真っ白な雪、どこまでも青い空とその色を映す湖面。冬の摩周湖は本当に素晴らしい。



 帰りの飛行機も強い風のために揺れたが、乗客は満員だった。羽田で乗り継いで、伊丹空港に降り、バスを乗り継いで家に帰ってきた。京都はすでに春色だが、朝晩はまだ冷える。

梅は咲いたか、桜はまだか

2009-03-09 | 花と自然
春の嵐の後、急に暖かくなった。桜のつぼみが少し膨らんできたように思える。先週の北野天満宮の梅を見たのが、はやかなり前のような気がする。今年の春のすすみ具合は、音を立ててくるような感じがある。



 北野天満宮の梅の老木はさすがに立派だった。八重のやや薄い紅梅が老木の全体を紅色に包む。人がいっぱいだったが、それにも負けずにこの梅の木は春を告げて咲き誇っていた。でも、これが白梅だったらもう少し趣が違っていただろうと思う。紅梅は豪華絢爛だが、白梅は凜としたけなげさがある。



 梅の天満宮として全国に有名な京都の神社だったので、拝観料を取られるだろうと覚悟していったが、なんと自由に境内を見て回ることができた。一部梅の庭園はお金を取って見せていたが、この神社の境内はどこも梅に溢れている。自由に見て回れることがうれしくて、わずかだけどいつもと違ってお賽銭を入れておいた。

 梅は咲いたか、桜はまだか・・・

春が来た大文字山に登る

2009-02-08 | 花と自然
だんだん晴れ間が広がってきたので、10時頃になって山に行こうと考えた。この時間から行けそうなところは、散歩コースくらいしかない。荷物も持たず、散歩のつもりで大文字山を目指した。今日は登る人が多い。登っていると職場の若い同僚が山から走って下りてくるのに出くわした。彼は私と同姓なのでよく間違われる。

 火床まではすぐ。そこからはいつもなら人の少ない山歩きができるはず。今日も期待していったが、人の姿が絶えることなく続く。頂上でベンチに座りひなたぼっこをしていると暖かい。春がやってきたんだなと言う実感が湧いてくる。人びとも春の訪れを感じて、山歩きを始めたのだろう。頂上もやがて銀座並みの人混みになってきた。団体の登山客が到着したらしい。早々に逃げ出した。


 京都は、東山の松、北山の杉、西山の竹として山の植生が色分けされていたらしいが、ここ東山の松はマツノザイセンチュウによりどんどん枯れてしまった。あちこちで枯れた松の伐採が行われている。マツノザイセンチュウはアメリカから輸入した材木に入って日本へ侵入したもの。西日本の松山はほとんどやられてしまい、低山の風景がここ30年で変わってしまった。後に増えたのが竹林とか。至る処に竹林が旺盛な繁殖力を見せている。

 琵琶湖疎水のほとりを歩くと、早くも紅梅が咲き始めている。立春が過ぎたと思ったら、確実に春はやってきているようだ。このあたりの低山はこれから落葉樹の葉が展開するまでの短い間がもっとも楽しい季節だろう。どんな花が咲いてくれるか、初めての京都の春を楽しみにしている。

早すぎる蝋梅に狼狽

2009-01-05 | 花と自然
京都は寒いと肌で感じるが、どうやら温暖化も進行しているらしい。年末から気になっていたのだが、近くの庭の木に黄色い花が咲き始めた。どうみても蝋梅のようだ。



私の知っている蝋梅は、2月頃のもっとも寒い頃に、梅に先駆けて裸の枝に香りの高い輝くような黄色の花を咲かせる。厳しい寒さの中でも春の訪れを感じさせる花なのだ。

ところが、今咲いている蝋梅は、まだ去年の夏の葉が散り残っている枝で黄色い花を咲かせている。まるで蝋梅の風情がない。だいたい12月に咲くなんて早すぎるのじゃないか。もっとも関西では昔から正月頃には咲いていたのだろうか?それとも最近の温暖化が蝋梅をこんなに早く咲かせるようにしてしまったのだろうか。そういえば、桜の花もあちこちで咲いているのを見る。いろんなものが狂い始めているのだろうか。政治家ばかりではなく、花までも。そうだとすると、恐ろしい。

思わぬ雪山を楽しむ

2009-01-03 | 花と自然
お正月は近くのお寺に参詣に行っただけで、昨日はゆっくりと大学箱根駅伝をみた。東洋大の奇跡の大逆転を楽しんだ。東洋大って、川越市にあるんだよ。知っていた?駅伝を見た後は、毎年楽しみにしている大学ラグビーの決勝戦を観戦した。普段テレビをあまり見ない生活だが、正月のこの番組はなるべく見るようにしている。スポーツもほとんどの競技を見たいとも思わないのだが、マラソンとラグビーだけは見たいと思う。なぜだかわからないけど。

 しかし、二日間もじっとしていると、身体がおかしくなりそうになった。歩くと足が痛む。これではならじと、今日はハイキングを思い立った。2週間ほど歩いていないので、遠くはやめて京都市内の山歩きをしようと、大原の裏山を登ってみようと思った。大尾山(だいびやま)という684mの山がある。近くだし、山も低いし、どうせ杉の人工林だろうから、散歩の延長くらいのつもりで登り始めた。

 自宅を出るときは少し雨が落ちていた。どうも京都の山行きは雨が多いような気がする。これは自分の行いが悪くなったと言うよりは、京都が日本海に近い事によるのだと勝手に思いこむことにした。天気予報は悪くなかったので、そのうち晴れてくるだろうと思って出発した。大原につくと、一面雪景色。せいぜい5cmくらいの積雪なので、まあ大丈夫だろうと歩き始める。散歩のつもりできたので、雪山の道具は何も持ってきていない。スパッツだけはいつもザックの底に入れていたので、スパッツを着けて歩き始めた。

 三千院までは観光客もかなりいる。しかし、そこを過ぎたとたん、雪の量も増え、人はいなくなった。空からは雨とも雪ともつかない細かいものが降っている。音無の滝を越えて沢沿いの道を登る。雪がどんどん深くなってきた。ウサギの足跡、シカの足跡、イノシシと思われる足跡などが雪の中に見られる。雪の無いときには動物の気配もあまりしないが、雪があると動物の気配までしそうな気がする。森が生きていると肌に感じるような気がする。

 沢沿いの道はだんだん細くなり、雪が深くて道が分からなくなる。しばしば道を見失い、必死でルートファインディングをする。道標もほとんど無い道なので、自分の勘がたよりだ。雪の下になった丸太橋を見つけ、平らになった場所を調べ、それでも道が見つからないときは、川の流れの中を歩くしかない。三度目に道に迷ったときは、かなり沢を詰めて標高550mくらいまで登っていた。しかし、どうやらこの雪の多さでは沢を詰めて頂上まで行くのは難しそうだと気がつき、磁石で確かめたらかなり違った方向を向いていることが分かった。どうやら沢を間違えたらしい。


 道らしい道はない。沢の両側はかなり急な傾斜の山で、小さな雪崩が起きたら、少々やばいなと思いつつ、もと来た沢を慎重に下る。雪は膝まで没し、ときどき腰まで潜る。雪の下の岩や倒木が見えないので、足を踏み込むとずぼっと入ったり、岩に滑ったり、木の枝に足を引っ掛けて転んだり、雪と格闘しながら、こけつまろびつ雪だるまのようになって下っていった。

 ようやく道がハッキリしたところに帰ってきて、そこから沢をあきらめ急な尾根を直登することにした。少し歩いたところで、登山者が残したビニールの目印を発見。ほっとする。この道を登れば良さそうだ。急な坂をあえぎながら登る。靴は軽登山靴なので、雪山用ではない。しかし、雪が固く締まるほど温度は低くないので、軽登山靴でもキックステップができる。滑らないように慎重に急斜面を登る。登りついたところが大尾山の頂上だった。



 頂上の眺めはあまり良くない。それはほとんどが杉の人工林に覆われているからだ。しかし、東側が少し開けていて、琵琶湖がよく見える。軽い気持ちで登り始めたので、頂上までは1時間もあれば登れると思ったのだが、この雪と迷い道をしたおかげで、2時間以上掛かってしまった。しかし、雪山の楽しさも味わえたのは望外の喜びだ。しかも、かなりの道が沢登り。この道は夏には涼しい登りが楽しめそうだ。



頂上から比叡山方面に歩き、仰木峠から下山するつもりで歩き始めたのだが、途中でまた道を間違えたらしく、道無き道を一直線に沢を下って、1時間。もとの大原に降りついた。来迎院で藤原時代の作という釈迦牟尼仏、薬師如来、阿弥陀如来の三尊仏を拝観し、観光客でいっぱいの大原に降りてきた。今日は山に入ってから一人の人にも出会わず、人間の足跡一つ見なかった。たった一人で雪山を歩けたのは、大満足。幸先の良い年になるのかもしれない。