毎日のように夜の散歩で楽しんでいた琵琶湖疏水の蛍だったが、東北へ3-4日留守にして帰ってみると、すっかり数が減ってしまっている。しばらく目をこらしていても、一つか二つ疏水の石垣にしがみついてひっそりと光っている蛍が目に入る程度だ。蛍を楽しむという季節は終わったのかなと、一抹の寂しさを感じていた。
ところが、連れ合いがもっと大きい高野川にも蛍がいっぱいいるという情報を聞いてきた。少し遠いが歩けない距離ではない。夜の食事を済ませて、仲間たちを誘って出かけた。20分くらい歩くと、鴨川の上流の高野川に着く。ここらあたりは高野川と賀茂川が合流して鴨川になる下鴨神社の上手に当たる。もう数分歩けば鴨川だ。
琵琶湖疏水が幅1m程度の狭い用水路なのに比べて、高野川は間違いなく本物の川だ。岸は道路があるのでコンクリートで固めてあるが、河川敷の中に散歩道があり、それより川側には草が生い茂り、その間を幅数mの川が流れている。車が頻繁に通る道路があるのでしばらく目が慣れないと蛍が目に入らなかったが、すぐに目が慣れてきたら、もうそこらあたり蛍の光がいっぱい点滅している。川面の上には蛍が飛び交い、草むらにはじっと止まって光を放つメスのホタルがいる。多いところと少ないところがあるが、多いところではまるで満天の星が瞬いているような趣だった。
最初はウワー、スゴイー、などと叫んでいた仲間たちも、やがて静かになって、じっと闇のホタルを眺めている。やっぱり蛍の光は黙って静かに眺めていたい。昔ホタルを眺めた若い頃が目に浮かんでくる。なにより儚そうな蛍の光の点滅が、黙ってみていると涙腺がゆるんでくるのを誘う。なんなんだろう。この感情は。自然といっしょに生きてきた日本人の心が残っているのだろうか。今の若者にはひょっとしたらこの感情は分からないのではないだろうかと思ってみていた。しかし、いっしょにホタルを見に来たもっとも若い仲間は、やはり黙ってホタルを見つめている。なにかを感じているのだろう。もっとも、他の仲間はホタルも見ないでしゃべり続けている。やはり年ではなく人の性格なのだろうか。
こんなに沢山のホタルを見たのは、久しぶりだ。西表島のヤエヤマボタルはもっといっぱいいた。あのときもやはり感動したものだ。蛍の光のはかなさが、きっと心の琴線にふれるのだろう。京都の町の真ん中近くでこんなにたくさんのホタルがみられるなんて、これまで思ったこともなかった。野坂昭如の小説「火垂るの墓」が、突然胸に浮かんだ。「お兄ちゃん、お腹すいた」「節子、お腹すいた」。戦争で焼かれ、幼い兄妹が残され、食べるものもなく、サクマのドロップのかけらを最後に貰って息を引き取っていく妹の節子のことを思い出したら、また涙腺がゆるんできた。京都のホタルは、涙無しでは見られないのかもしれない。
ところが、連れ合いがもっと大きい高野川にも蛍がいっぱいいるという情報を聞いてきた。少し遠いが歩けない距離ではない。夜の食事を済ませて、仲間たちを誘って出かけた。20分くらい歩くと、鴨川の上流の高野川に着く。ここらあたりは高野川と賀茂川が合流して鴨川になる下鴨神社の上手に当たる。もう数分歩けば鴨川だ。
琵琶湖疏水が幅1m程度の狭い用水路なのに比べて、高野川は間違いなく本物の川だ。岸は道路があるのでコンクリートで固めてあるが、河川敷の中に散歩道があり、それより川側には草が生い茂り、その間を幅数mの川が流れている。車が頻繁に通る道路があるのでしばらく目が慣れないと蛍が目に入らなかったが、すぐに目が慣れてきたら、もうそこらあたり蛍の光がいっぱい点滅している。川面の上には蛍が飛び交い、草むらにはじっと止まって光を放つメスのホタルがいる。多いところと少ないところがあるが、多いところではまるで満天の星が瞬いているような趣だった。
最初はウワー、スゴイー、などと叫んでいた仲間たちも、やがて静かになって、じっと闇のホタルを眺めている。やっぱり蛍の光は黙って静かに眺めていたい。昔ホタルを眺めた若い頃が目に浮かんでくる。なにより儚そうな蛍の光の点滅が、黙ってみていると涙腺がゆるんでくるのを誘う。なんなんだろう。この感情は。自然といっしょに生きてきた日本人の心が残っているのだろうか。今の若者にはひょっとしたらこの感情は分からないのではないだろうかと思ってみていた。しかし、いっしょにホタルを見に来たもっとも若い仲間は、やはり黙ってホタルを見つめている。なにかを感じているのだろう。もっとも、他の仲間はホタルも見ないでしゃべり続けている。やはり年ではなく人の性格なのだろうか。
こんなに沢山のホタルを見たのは、久しぶりだ。西表島のヤエヤマボタルはもっといっぱいいた。あのときもやはり感動したものだ。蛍の光のはかなさが、きっと心の琴線にふれるのだろう。京都の町の真ん中近くでこんなにたくさんのホタルがみられるなんて、これまで思ったこともなかった。野坂昭如の小説「火垂るの墓」が、突然胸に浮かんだ。「お兄ちゃん、お腹すいた」「節子、お腹すいた」。戦争で焼かれ、幼い兄妹が残され、食べるものもなく、サクマのドロップのかけらを最後に貰って息を引き取っていく妹の節子のことを思い出したら、また涙腺がゆるんできた。京都のホタルは、涙無しでは見られないのかもしれない。