goo blog サービス終了のお知らせ 

ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

青い海 碧い空

2010-03-02 | 南の海
先週、冬将軍が最後?の攻撃に来た頃、沖縄に遊んだ。八重山地方を含めて沖縄にはこれまで何十回と来ているのだが、ゆっくり遊んだ覚えはほとんど無い。いつも仕事で来ていたので、沖縄にはなじみが深いが、観光客が行くようなところに行ったことがほとんど無い。今回はまったく私的にお休みを取り、観光に行った。でも、多くの観光客が訪れる南部戦跡巡りは行かなかった。なぜか?やはり、人々の苦難の歴史を観光気分で見て回るというのが、私には何かきわめて不遜なことのように思えてしまうからだ。また、戦争の傷跡を観光に利用しようというのも、あまり感心しないと思ったこともある。

 もちろん、人が集まるところで、それが観光客であろうがなかろうが、戦争の悲惨さや戦争の無意味さや反戦を説くことの重要性も理解できる。そうでもしなければ戦争の傷跡を歴史を知るためだけに訪れる人はきわめて少ないのだから、観光客にもそれを知ってもらうのは重要なことだというのも理解しているのだが・・・。

 晴れ男の私は、今回も晴れ男ぶりを大いに発揮した。連れ合いも晴れ女なのでどちらのせいかは知らないが、沖縄は晴れ上がっていた。沖縄へ飛ぶ日の午前中まで那覇は雨が降っていた。那覇に住む知人の話だと、それまでほとんど毎日雨ばかりだと嘆いていた。ところが飛行機が那覇空港に着いたときには、雨は上がり、雲間から薄日が射し始めていた。でも、これまで何回も沖縄に来ていた私には信じられないほど寒く、Tシャツで十分だと信じていた私はあわてて長袖のシャツに着替え、それでも寒くて上着を着たほどだった。

 その夜は那覇の知人と一緒に沖縄料理の店に。琉球の晴れ着を着た女性に迎えられ、個室で琉球料理を楽しんだ。もっとも琉球料理と言えば豚肉だらけだが、ご存じ私はヴェジタリアン。「てびち」とか「みみがー」とか、沖縄そばの上に乗っている分厚い豚肉のかたまりなどは見るだけで気持ち悪い。そこは我慢して、私はひたすら「ごーやちゃんぷるー」と「じーまみーどーふ」を食べていた。それでも久しぶり(もっともこの2年間で4度目の沖縄だけど)に沖縄の味に満足した。この店には、三線(さんしん)を抱えた歌い手が個室を一つずつ巡って琉球の歌を披露してくれる。歌の間には軽妙な会話を入れて、実に上手に客を楽しませてくれる。本州からの客と見てまずはよく知られた「安里屋ゆんた」を上手に歌い、私のリクエストで「谷茶前(たんちゃめ)」を歌ってくれた。本物の琉歌を聴きたかったのだが、どんな琉歌があるのか知らないから、リクエストもできなかったのは残念だ。他の部屋で歌っているのもほとんどが「涙そうそう」とか「島唄」と言ったようなものが多かったようだ。琉歌はもう島の人たちにもこのような場所で聞くものではなくなったのだろうか。帰りには玄関先で琉球の着物を着た若い女性たちと記念撮影をして、1分後にできあがった写真をいただき、感激してお店を出た。京都でこれだけのサービスのある店に行けばきっと目玉が飛び出るほど取られるのだろう。でも沖縄ならきわめてリーズナブルな値段で楽しめる。

 翌日からは快晴に恵まれた。沖縄の人もしばらく太陽を見たことがなかったと言って、私の沖縄行きを喜んでくれた。首里城をゆっくり見学。昔訪れたときには朱礼の門以外は何もなかったところに、首里城が復元されて立派な建物が建っていた。昔の琉球王国の王様の住まいが復元されていて、初めて来たらきっと昔からこの建物が残されていたように錯覚するのだろう。もっとも京都に代表される日本の多くの寺社のほとんどは、建立されてから何度も火事で焼失したり戦争で破壊されていたのが再建されているのだ、3年前に再建された首里城の玉殿も、いつか歴史的な建物になっていくだろう。首里城を見たあと、県立博物館でサンゴ礁の展示を見、サンゴ礁保全のための講演会を聞いた。

 それからは、レンタカーで北部へ出かけ、ご存じ「美ら海水族館」を見学し、残波岬の夕日を眺め、海岸の砂浜に座って南国の海を眺めた。どこの観光地へ出かけても、ホテルの駐車場でも、並んでいるのは90%がレンタカーなのに驚いた。沖縄は街中のモノレールができたものの、いまだに車が無ければどこへも行けない。バスも昔に比べると速くなったが便数は減ってしまった。車がなければ生活できない社会になっている。

 最後の日も快晴だった。前の夜にはずいぶん雨が降っていたが出かける頃には雲一つ無い快晴になった。南部の海岸へ行き、海を見ながらのんびり昼食を食べお茶を飲み、人にあまり知られていない砂浜に行き、碧い空、青い海、白い砂を心ゆくまで楽しんだ。仕事がなければ、沖縄は、南国はいいなあ。いや、仕事があっても良いかもしれない。沖縄に住んでみたいと思いながら、関西への飛行機に乗り込んだ。

 明後日から、今度は仕事でベトナムへ行く予定。ベトナムの多くの海岸はマングローブの泥地だから、白い砂浜と青い海という訳にはいかないが、おいしいベトナムコーヒーを飲みながら、人々と難しい話をしてこよう。

「オーシャンズ」の迫力と生物多様性

2010-01-24 | 南の海
いきなりド迫力の映像で始まった。イワシの大群がまるで一個体のアメーバのように形を変えながら濃密な群れを作り出す。そこにイルカの群れがジャンプを繰り返す。空からはカツオドリがまるでミサイルを撃ち込むようにイワシの大群に突き刺さる。さらにはニタリクジラが群れの中を縦横に泳ぎ回り、イワシを空中に跳ね上げながら餌を飲み込んでいる。どうやってこのような映像を撮ることができたのか、驚くばかりだった。映画「オーシャンズ」を今日見ることができた。

 「海底二万マイル」で海中映画の先駆者となったフランス映画陣が、「二万マイル」と違って、純粋にストーリーのない記録映画として撮影したこの映画は、最近テレビでよく見る記録映画(ダーウイン新伝説のような)の集大成だと思って見に行った。たしかにいくつかの場面はそのような記録映画をつなぎ合わせたものであったが、最初のこの画面でまったく圧倒されてしまった。エンディング・テーマを歌っている平原綾香がもっとも驚いたというムラサキダコの異様な姿もたしかに驚きだったが。

 この映画は、国際的なプロジェクト研究である「Census of Marin Life (CoML)」が、生物の多様性の重要性、とくに海洋の生物多様性の危機を伝えるために、とくに今年の10月に名古屋で行われる「生物多様性条約(CBD)」COP10で新たな目標を定めることとなることに向けて作られたものだという。生物多様性という言葉を聞いたことがない人は、かなり少なくなったと思うが、それが何を意味するのか、そしてどういう重要性があるのかなどについては、おそらく十分に知っている人はまだまだ少ないのではないだろうか。

 日本でCOP10が開かれることに合わせて作られた映画「オーシャンズ」だが、海の生物多様性の危機を訴える映像として、イルカの大量虐殺の様子を、海からの視線で描いていたのは、秀逸であった。日本で公開されたこの映画のこの部分がまったく原作と同じかどうかは分からない。日本向けに削除された部分もあったのではないかとも十分想像したくなるほど、映画は控えめにイルカの大量虐殺を描いていた。どちらにしてもイルカの大量虐殺を行っている日本を暗に批判したものであることは間違いない。でもその批判は当を得たものであったように思う。海の中からの視線、つまりはイルカの視線で人間のイルカや魚の虐殺を描くことは、直接的にイルカ猟を描いたりするよりもより強烈な批判を感じさせもした。一瞬だが、捕鯨船からの銛砲がクジラに突き刺さる瞬間の映像もある。その撮影に費やされた努力に感嘆せざるを得ない。

 宮沢りえによる映画のナレーションも、あまり多くは語らないが、このような直接的な殺戮以外に、人間による海の汚染、温暖化による北極の異変など、物言わぬ海の生物に代わって突きつける全編の映像が、その多くを物語っている。ぜひともみんなに見て貰いたい映画だった。そして、海の生き物を守るためになにをするべきか考えたいし、考えて欲しいと思った。

日食と仮面の鳩

2009-07-22 | 南の海
46年ぶりの皆既日食とかで、楽しみにしていた。でも曇りか雨の予報ばかり。朝から曇り空を見上げて、今日は無理だろうとあきらめていた。わざわざ高いツアー料金を払って悪石島まで見に行った人も大勢いたが、悪石島では風雨が激しくて、何も見えなかったらしい。でも、11時頃、京都の空を見上げていると、薄くなった雲を通して、三日月のように細くなった太陽が見えてきた。京都では90%くらい欠けるということだったから、部分日食とはいえ、かなりの範囲で欠けた太陽が見られた。日食メガネなどというものも持っていなかったが、雲のフィルターを通して、みごとに日食現象を見ることができた。悪石島の人たち、ご苦労様。

 ところで、下界ではようやく解散総選挙。自民党の崩壊が伝えられている。

 自民党のドタバタを見ていると、政権交代がいっそう現実のものと思えるようになってきた。8月30日、日本の政治の歴史的な転換が見られる。しかし、政権交代が現実のものとなりそうになると、民主党が早くも馬脚を現し始めた。

 海上自衛隊による中東での「対テロ戦争」に出動しているアメリカやイギリスの艦船に燃料を無料で補給する活動の法案が国会に提案されたとき、民主党はしっかり反対した。小沢一郎党首は、国連の決議もない多国籍軍への燃料補給は、違法と断じて、この法案を参議院で否決した。自公が3分の2以上を占める衆議院で、むりやり再議決をして成立させた法案であるが、来年には再び期限が切れる。

 当然、民主党政権になったら、国民の税金を使った海上自衛隊による「無料スタンド」と称される燃料補給は、直ちに止めるはずではなかったか。鳩山代表は、日米同盟が大事だから直ちに止めるとはいかない、と早くも大幅な後退を示唆している。また、核兵器持ち込みの日米密約がはっきりしたことで、鳩山代表は、非核三原則の見直しさえあり得ると言い始めた。どうした、民主党。いまからそんな対米弱腰では、選挙に勝たせないぞ。

 いや、民主党の豹変は十分予想された。政権を取ったら結局今の自公政権と変わりないことになるだろうと、私は予想している。歴史的な転換点にはとてもならないだろうとも思う。でも、歴史的な政治の転換を見てみたいという思いも強い。民主党といえども結局保守党でしかないから、大きなことを言ってはいても、いまの自公政権と大きく違った安保政策はとれない、いやとらないだろう。しかし、そこで大事なのは第三の政党である。

 参議院では民主党は過半数を持っていない。どこかと連立を組むか、是々非々でいろんな政党と事案ごとに連携しないと法案も通せない。だから大事なことは、第三の政党を、保守政党ではなく、共産党や社民党のような革新政党にとらせることだ。平沼赳夫グループや渡邉善美グループや鳩山邦夫グループなどに第三の政党をとらせては、結局自民党的政治がこれからも永遠に続くことになってしまう。

 本当の政治の転換が待ち望まれる。長年保守政治が続いた捕鯨国家のアイスランドが、50年ぶりに左派政権に代わり、経済は破綻したと言われていながらも、国民の福祉は充実し、住民は幸福な生活を始められていると聞く。日本も今年こそ、ぜひとも目先の変化だけではない本当に国民のための政治が行われる国に転換して欲しいと、渇望する。

伊吹山の花たち(修正版)

2009-07-18 | 南の海
ブログを書くにあたって、私は書きやすい別のワープロソフトに書いてそれを「切り取り」→「ペースト」してブログに搭載する。今日、そのワープロソフトを開いてみて、びっくり。「伊吹山の花たち」の最初の部分が残ったままになっていた。あわてて確認してみると、どうやら最初の3つの段落を「切り取り」するのを忘れて、残したまま搭載しなかったことに気がついた。そこで、繰り返しになるところが多いが、もう一度「伊吹山の花たち」の修正版を載せたい。山登りや花に関心のあまりない人たちには、どうもごめんなさい。

(ここから本文) しばらく山を歩いていない日が続いたこともあり、ストレスが溜まってきた。脂肪も溜まってきた。体重は記録を更新し続けている。さすがにこれはたまらない。ようやく最近の生活破壊の事態が一段落したので、花の名山として万葉の昔から名高い伊吹山に登ろうと思い立った。

かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを

 標高1377mの伊吹山は、日本百名山の中では筑波山と並んで低い山であるが、山が石灰岩でできていることもあって、独特の高山植物相をもち、固有種も多いので有名である。同様な山は、北海道の夕張山、東北の早池峰山などが有名である。イブキジャコウソウ、イブキトラノオなどの伊吹山の名前を持った種も多い。

 林があまり発達していない伊吹山は、暑い夏向きの山ではないが、しかし、花の名山としては、暑い花の時期を逃すわけにもいかない。暑さに弱い私としては、避けたいところだったが、花も見たい。そこでひたすら雨を乞い願うという普段の山行きとはまったく違う心持ちで山に登ることになった。

 京都を出るときは、朝早くから日射しが降り注ぎ、今日一日が暑くなりそうな予感がしていたが、東海道線で近江の近辺に来ると黒雲が空を覆い、いかにも望んだ天候になってきた。近江長岡の駅からバスで15分。伊吹山登山口に到着した。神社の横をただちに登山道へ入る。

 杉林の間を一合目に向かう。スキー場のリフト前で一合目。曇っているとはいえ、さすがに真夏の暑さは北の山とは違う。暑さから逃れるために、ズボンを脱ぎショートパンツになって、そこからスキー場の横の草原をひたすら上を目指して登る。さすがにショートパンツは涼しい。どんどん登山客を追い抜いていく。三合目からすこしずつ高山植物が出現し始める。まだ600mくらいなのだが。そこから頂上までに花を見ることができた高山植物は以下の通り。

 オタカラコウ、ツクシアザミ、ミヤマコウゾリナ、ホタルブクロ、ヤマホタルブクロ、キバナカワラマツバ、カワラマツバ、キツネノマゴ、クワガタソウ、クサボタン、ウツボグサ、イヌゴマ、ミヤマトウバナ、イブキジャコウソウ、イブキトラノオ、ミツバ、トラノオ、シシウド、ナツトウダイ、ハクサンフウロ、イワオウギ、ミヤマダイコンソウ、ネコノメソウ、ミヤママンネングサ、キリンソウ、カラマツソウ、オオレイジンソウ、ミヤマナデシコ、トウギボウシ、オオバキボウシ、ユウスゲ、ノシラン

 なによりもイブキジャコウソウとイブキトラノオを見ることができたのが大収穫だった。暑さに負けずに登りに来たことを後悔しなくて良くなったのは、花たちのせいだ。それほど大きなお花畑が展開しているわけではないが、それでも登山道の周辺だけで十分花を楽しめた。

 伊吹山は1377mという低山だが、登山口が200mくらいなので標高差は1200m近くある。これは日本第2の高峰である南アルプスの北岳登山の標高差とあまり変わりがない。さすがに日本百名山になるだけのことはある。歩きやすい道ではあるが、登山を十分堪能できた。頂上について驚いた。頂上にはお土産やさんや商店が軒を並べている。観光客がその間を右往左往している。それまでの喜びも一気に吹き飛んだ。反対側にはハイウエイが頂上まで通じているので、頂上は観光の人びとでごった返している。早々に頂上を辞して、元来た道を花を見ながら下り始めた。

 下りの途中で、重たい雲が吹き去り、太陽の光が漏れて来始めた。そうこうしているうちに雲はみるまにいなくなり、直射日光が頭を直撃し始めた。暑いったらない。まるで灼熱地獄だ。地獄の中をひたすら麓へ下る。登山口へたどり着いたときは、熱中症の初期症状。神社のすすぎ水を頭からかぶって体を冷やした。水を何杯飲んでものどの渇きは収まらない。いやあ、登りが曇りで良かった。登りもこの調子だと、ぜったい熱中症だ。

 あとで調べてみて分かったことだが、伊吹山は夏の登山はもっぱら夜間登山が行われているらしい。夜間だと花は見えないが、頂上まで夜中に登り、頂上で日の出を眺めて、朝まだ涼しいときに、花を眺めながら下るというのが一般的らしい。何にも知らずに登って、暑さにやられるところだった。おかげで帰りに携帯電話を忘れてきてしまった。やはり頭がもうろうとしていたんだろう。今週は携帯電話無しの生活が楽しめそうだ(笑)。

 でも、花の山に登りながらカメラを忘れていったのは、行く前から暑さで頭がもうろうとしていたことかもしれない。京都の夏は暑い!



海はいいなあ 外房に潜る

2009-07-11 | 南の海
 先週、久しぶりの海に潜った。場所は千葉県の外房海岸。昔何度か泳いだことがあるところだが、○十年ぶりにこの海に入ってみた。少し入り込んだ小さな湾だが、やはり外房だけあって波は半端じゃあない。比較的穏やかな日だったが、それでもスキンダイビングしていると、ときどき打ち寄せる波で体がどっと横向きに流される。そばの岩にぶつかりそうになってあわてて海藻にしがみついたりしないといけない。

 最初、海に足を付けたときはひやっとした。前日から朝まで降り続いていた雨のせいで冷たいかな?と思ったのだが、思い切って水の中に飛び込むと、これがまた気持ちいいんだ。むしむしする梅雨時の暑さをさっぱり忘れて、心地よい水の世界を楽しんだ。

 もはや梅雨の終わり頃の季節なので、さすがに海藻の種類は少ないが、この時期に増えるガラモのオオバモクが海底を広く覆っている。その下には色鮮やかな石灰藻類が見え、いろんな貝類が這っている。サザエもいるし、ヒトデやウニもいる。色鮮やかだが、得体の知れない紐のようなものがうごめいているのを見つけた。よく見るとミノウミウシの仲間のようだ。一瞬みるとゴカイのようにも見えるが、色の鮮やかさからゴカイではないと分かる。

 1時間も潜っているとさすがにウエットスーツなしの体は冷えてきた。雨もまたぱらついてきた。でも海のない京都の町中の生活ではなかなか経験できない海にもっと入っていたくて、寒さの限界まで潜り続けた。厚い雲で海の中も暗くてよく見えなくなり、ガタガタふるえが来る頃、ようやく海から上がる。でも大満足の一日だった。いろんな海にはもっと行きたい。

西川社長を辞めさせよう

2009-06-16 | 南の海
かんぽの宿売却問題や郵便割引不正事件など、郵便局の民営化に絡んだ疑惑が噴出している。でももっとも大きい疑惑は、300億円を超える日本の郵便貯金をアメリカのハイエナ金融資本へ献上したコイズミ・タケナカ疑惑だ。アメリカに日本の資産を朝貢した郵政民営化をもっと本気で見直す必要がある。

かんぽの宿の怪しげな利益誘導事業を進めようとした西川善文社長の続投を認めないとする鳩山総務相が、アソウ首相に解任された。鳩山総務相によるとアソウ首相は西川社長の後任人事まで考えていたという。それを信じた俺が馬鹿だったと言っているが、ウン、馬鹿だったな。アソウ首相のぶれまくりはとっくに予想されていたはずだし、盟友である鳩山邦夫が知らなかったはずがない。それでも信用していたのなら、やはりそれは馬鹿だ。

アソウ首相は、コイズミ内閣で総務相をしていた。当の郵政民営化の担当大臣だった。それが、「実は民営化に反対だった」などと本当にお馬鹿な発言をして、失笑を買った。コイズミにまで「笑うしかない」と嘲笑された。民営化に反対だったのに、総務相という身分を失いたくないだけのために、自分の主張を言わなかったことを自分で認めたことだ。それって、政治家としての資質がないということを証明しただけじゃないか。

それでもコイズミ路線への批判に乗って、選挙管理内閣を組織したはずなのに、いつのまにか自分が実力で総理になったと思い込んでいるお馬鹿さん。とっとと解散してしまえばいいのに、総理の椅子にしがみついて、結局時間稼ぎだけをやっている。西川社長の続投をやめさせるつもりだったアソウ首相が、盟友を切ってまで続投をさせようと思ったのは、もちろんコイズミ・タケナカの圧力である。郵政民営化に反対だったなどと言い、西川社長の更迭を考え始めたアソウに危機感を抱いたコイズミ・タケナカ一派は、猛烈な圧力をかけたらしい。

ここでもアソウが信念など全くなくて、自分の保身だけで動いた痕がよく見える。そして郵政民営化の弊害はこれからも日本に、日本人に重くのしかかってくる。うまい汁を吸っている何人かの政治屋と資本家を除いて。

民主党は政権交代を言うが、民営化を見直し、郵便局を国民のための郵便局にする覚悟がまったく見えていない。ゆうちょ銀行のお金で、アメリカの国債を買いまくり、アメリカのイラク戦争・アフガン戦争などの戦争資金を提供してきた日本の姿勢を変えようとはしていないようだ。まずアメリカの国債を国民の税金や貯金で買い支えることを止めさせなければ、アメリカの好戦的な姿勢は改まらない。オバマといえども、アフガンにさらに2万人の米軍を増派するという。戦争政策をCHANGEできないオバマちゃん。

まず、西川社長を辞めさせよう。そして民営化を止め、国民の手に郵便局をとりもどそう。ゆうちょ銀行の貯金は、金融マネーゲームから手を引かせ、日本の困窮している民衆のために使うよう限定させるべきだ。

ジュゴンに会えなかった

2009-05-26 | 南の海
一年半ぶりに南の島のジュゴンに会いに行った。ミンダナオの第一の都市ダバオから車で3時間、バンバン飛ばして2時間半くらいのところ。ダバオハイウエイという名前がついた道路だが、2年前に舗装されたときに、その名前が付いたらしい。なつかしい村の人たちが集まって、暖かく迎えてくれた。

 ダバオは暑くて人が多くて、排気ガスが充満していたが、田舎に来るとさすがに空気はよくなるが、騒音は相変わらずだ。カラオケの大音量が田舎でも響いている。彼らはどうやらこの騒音がなければ寂しくて生きていけない人種なのかもしれない。

 かんじんのジュゴンは今回はなかなか現れてくれなかった。これまでいつでも会いに現れてくれたので、簡単に会えると考えていたのだが、本当はかなり頑張ってみていないとジュゴンの出現は見逃されやすい。実際、地元の人に聞いても見たことないという人が多く、日本人には簡単に姿を現すのに、地元の人間には姿を現さない、なんて冗談を言われたりしたものだ。

 しかし、潜ってみたり、よく観察している人に聞いたりしたら、どうやら最近はジュゴンの出現が少なくなっているらしい。ジュゴンのえさの海草藻場も減っているように感じた。辺り一帯のバナナプランテーションの開発がすすみ、泥が海に流れ込んでいるのが海水の透明度を減らしている原因で、藻場も減少し、ジュゴンも減っていると思われる。悲しいことだ。そしてそのバナナを買っているのは日本人。

 今回は、川をさかのぼってアップランドに行ってみた。車に揺られて道とも思えない道を分け入って山の中の集落を訪ねた。いくつかの村は昔訪ねたことがあり、地元の人が私を覚えていてくれたのはうれしかった。夕方になったので、途中の村で最後にしたが、後で聞くと、その村の向こうは反政府軍の統治する村だそうで、反政府軍と政府軍のテリトリーの境界付近まで行ったことになった。昨年からアロヨ大統領が反政府軍との休戦協定交渉を一方的に中止して、まとまりかかっていた休戦協定を廃棄、政府軍が武力攻撃を始めたため、ミンダナオの各地で戦闘が続いている。




 来年は、フィリピン大統領の選挙がある。フィリピンの人たちは選挙が好きで、大統領選挙になると、国中がまるでお祭り騒ぎとなる。現アロヨ大統領は出馬しないらしいが、彼女のことだから選挙になるまではわからないかもしれない。しかし、彼女の人気は地に落ちている。ジュゴンの町でも昨年低気圧で大波がきて、海辺の多くの家が壊されたり、流されたりしたが、この異常な災害もみんなアロヨのせいだというのが地元の人の冗談の一つである。異常気象や気候変動もアロヨのせいだという具合に冗談を楽しんでいる。それほどアロヨ大統領の人気は無くなっている。

 空の青さは変わらぬ青さだったが、海の青さは少しずつ減ってきている。変わらぬ青さでいて欲しいと、願うのは日本人の勝手なのだろうか。

ジュゴンのすむ沖縄の島

2009-03-23 | 南の海
沖縄の天気は、晴れたり曇ったり土砂降りの雨が降ったり雷までが歓迎してくれた。風も強まり、予定していた海に行けるかどうか心配していたが、なんとかぎりぎり船が出た。沖縄島の北部、古宇利島からボートですぐのところにジュゴンが来るというので、見に行った。沖縄のジュゴンは人間をおそれて、夜しか餌を食べに来ないので、ボートで海に乗り出しても、ジュゴンが見える可能性はほとんどない。昔の人がジュゴンを捕りまくったせいなのかもしれない。

 そこでジュゴンの食べ跡を探す。古宇利島にジュゴンがいることはこれまであまり知られていなかったらしい。けれども地元の研究者や漁師がジュゴンがいていつもすぐ近くのアマモ場に餌を食べにきていること、それも親子の2頭連れがこの付近に定住していることがわかってきたという。そこで地元もジュゴンを売り出し、地域の活性化につなげようと新しい大きな看板を立てたり、宣伝に努めているらしいが、まだ知名度は高くない。

 1時間ほど素潜りでジュゴンの食べ跡を探した。3カ所ほど食べ跡が固まっているところが見つかった。1カ所は新しい食べ跡もある。ジュゴンがここに来ていることが自分の目で確かめられたのはうれしい。沖縄の海は暖かいだろうと思って0.5mmの薄いウエットスーツを持ってきた。しかし、意外と風が吹くと涼しい。水の中は寒いかもしれないと覚悟をして潜ったが、やはり南の海は暖かい。冬とはいえども北海道の夏よりは海の水もよっぽど暖かい。

 そのあとたくさんの人と一緒にグラスボートでもう一度見に行った。グラスボートで海をみるのはたいていが珊瑚と熱帯魚だが、ここのグラスボートは海草類とジュゴンの食べ跡を見せるちょっと変わったグラスボートだ。この観光事業もごく最近始まったようだ。ジュゴンも観光には大いに役立っている。それなのに東海岸の辺野古ではジュゴンの餌場を埋め立てて、軍事基地を作ろうとしている。戦争が好きな人が多いんだなあとほとほと感心する。戦争のことなんか忘れて、ジュゴンを眺めていればこんな素敵で心和むことはない。

 ジュゴンをもっと大切にして欲しい。みんなで沖縄にジュゴンを見に行けるよう、基地をなくす努力をしよう。平和が第一。

バンコクでタイ料理

2009-01-18 | 南の海
3年ぶりにタイのバンコクを1週間ばかり訪問した。バンコクはいつ行っても暑くて、交通が混雑して、空気が汚れているという印象が強い。だからいつもタイに行くときはバンコクを避けて田舎へ行く。バンコクにあまり長く滞在した事はなかった。

 今回はバンコクに用事があったので、中5日のすべてバンコクで過ごした。暑さを覚悟していったのに、予想外に涼しくて、ホテルの部屋ではまったくエアコンを入れることはなかった。私はエアコンは嫌いなので、いつも暑さに耐えながら汗を流して寝ている。高層階なら、窓を開けて夜気を入れるが、低層階では蚊が入るのでそれもできない。それでも耐えきれず30分だけエアコンを入れるということもしばしばあった。ところが、今回は夜中に寒さで目が覚めた。熱帯地方のホテルは上は薄いシーツ1枚だけのところが多い。寒くてふるえが来るほどだったけど、掛ける毛布も見あたらない。しかたがないのでTシャツを2枚着込んで寝たほどだった。

 昼間は少し暑くなるが、それでも心地よい風が吹き、暑さはほとんど感じない。Tシャツ一枚だと少し寒いくらい。現地の人はみなセーターや暑そうな上着を着ている。ショートパンツも持っていったが、今回は出番がなかった。やはりバンコクも異常気象らしい。

 タイの国際空港は最近新しくなった。前のドンムアン空港とは町の反対側に新しくスバナブミ国際空港を作った。先月、首相府から逃げ出した政府が立て籠もり、民衆がそれを取り巻いて占拠した空港がこの新しいスバナブミ国際空港だ。しかし、あの時の騒動が想像できないほど空港はきれいで広い。端から端まで歩くのに30分くらい掛かりそうだ。そういえば、新しくなった首相はいまのところ評判はそれほど悪くなさそうだ。みんなは模様眺めのようだ。

 バンコクはどんどん変わっている。いたるところに高速道路ができている。高層ビルも至る処で建ち並んでいる。変わっていないのは、道路の渋滞と大気汚染。空気の汚れは相変わらず。バンコク滞在一日でのどが痛くなった。寒さと空気の悪さで風邪気味になり、のどの痛みがひどくなって帰ってきた。

 一日、タイのチャオプラヤ川をフェリーボートで下り、王宮の素晴らしい壁画をゆっくりと見て、ワット・ポーの涅槃像を白人の観光客といっしょに押し合いへし合いしながら見た。きんきらきんの仏像をあちこちのお寺で拝んで、日本の寺の暗くて色彩のない雰囲気と、タイの開けっぴろげで明るくてカラフルな雰囲気の違いを実感した。大乗仏教徒小乗仏教のちがいなのか、それとも熱帯と温帯の違いなのか、または、民族性の違いなのか、本当のところは分からないが、じつに興味深い。





 しかし、タイ料理はなんといっても美味しい。今回もタイ料理を食べるのが一番の楽しみで出かけたが、期待は裏切られなかった。毎食毎食ちがった美味しさを楽しむことができた。タイ料理は辛いというイメージが強いが、辛いだけではない。タイ料理の美味しさは実は香りにある。タイ料理にはミントをはじめとして、様々な種類の香りの植物が使われている。名前はほとんど知らないし、覚えられなかったが、この種類の魚のこの料理にはこの香葉をというのがあって、タイの人びとはみんなそれをよく知っている。そして、その付け合わせが非常に良く合っている。

 今まで何度かタイに来たが、タイ料理は辛いということしか知らなかった。美味しいのは分かっていたが、その原因が香葉の使い方にあるとは知らなかった。これまでは、ただただお腹をいっぱいにしようとしただけであった。今回、初めて美味しさの秘密に行き着いたような気がする。そして、毎食お腹いっぱい食べた。結果は、体重計が跳ね上がった身体で帰ってきたことだ。これから減量を何とかしなければ。危機的状態だ(笑)。 

南の海から小江戸へ、そして京都へ

2008-09-22 | 南の海
台風の直後の石垣島で、まるで温泉に浸かるように、海の中に浸かって、のんびりお話をしてきた。暑い八重山の日射しに焼かれた肌も、海の水に浸すと柔らかく気持ちものびのびとする。身体を伸ばして空を眺めながら水の流れに身を任せていると、心の底まで青い空と海に染まったような気がする。仕事も現世もみ~んな忘れてただ何も考えずに時間を過ごす。

 しかしこの極楽の地にも、政治の貧困と環境破壊がいたるところに顔を出す。沖縄県の水産研究のメッカだった八重山支場に見学に行こうとしたら、建物は閉ざされて中はもぬけの殻。いつのまにか廃止になったらしい。聞くと今の日本の各県の農林・水産の試験場はどこも地方を閉鎖しているとか。ここにも地方と中央の格差が決定的に開きつつある。昔も中央と地方の格差はあったが、地方は地方で小さいながらも頑張って研究ができていたと思う。しかし、今は地方は無に帰してしまっている。無からはいくらがんばっても何も生まれない。地方切り捨てはあらゆる面で音を立てながら進んでいる。

 八重山の青い空と海の世界から、飛行機を乗り継いで雲に覆われた関東に戻ってきた。今日は、時折強い雷雨が襲い、一日陽の射さない暗い日だった。

 かつてこのブログでも何度か取り上げた高知県警察の白バイ事故の証拠デッチアゲ事件で、最高裁判所第二小法廷で全員一致で片岡さんの有罪が決定したらしい。大新聞やNHKは、この事件を無視し続けているので、最高裁の決定があったことに気がつかなかった。しかし、シラを切り続ける高知県警と検察が共同で仕組んだ証拠のねつ造劇を、まったく審査もしないで、弁護側の要求を一顧だにしないで、検察の言うとおりの判決を下した最高裁判所に心からの怒りを覚える。司法も完全に「奴ら」の一味でしかない。

 近々衆議院の解散総選挙が行われるようだ。政権交代ができるかどうかももちろん関心の的だが、最高裁判所判事の国民審査を今度こそ実効あるものにしたい。第二小法廷で片岡さんを無実の罪に陥れた裁判官は今回の国民審査に該当していないようなのは残念だが、最高裁判所の長官は当然責任がある。これまでの国民審査では20%前後の「不適格」投票しかなかったが、今度こそは3分の1以上を目指そう。裁判員制度などという責任逃れの制度で司法改革などと言わせてはならない。裁判員は拒否しよう。

 片岡さんは彼を無実の罪に陥れた高知県警を「証拠隠滅」の罪で訴えたが、検察は不起訴処分にしてしまった。自らのやった誤りを自らに認めさせるのは無理であることは明らかだから、この不起訴処分は最初から判っていたことだ。片岡さんはこの不起訴処分を受けてあらためて裁判に訴えることにしている。もちろん有罪が確定してしまった事件についても再審請求を続けることにしている。片岡さんは先日交通刑務所に収監されてしまった。証拠を捏造してまで彼を罪に陥れた警察の人間は何の罪の意識も感じないのだろうか。ぜひ、人間の心を持った警官が一人でもいて、「実は・・・」と名乗り出て欲しい。警官である前に、本当に人間であるならば。

 『1999年当時不祥事が噴出した神奈川県警の内部文書には、本部長訓示としてこういう表現があります。「不祥事はマスコミに騒がれて初めて不祥事となる。あった場合は、県警全体で処理に当たる。県警としてチエを出していく。組織に乗せる」 不祥事は、バレなきゃいいのだ、バレないように組織として全力を尽くす、もしバレたら、組織的に全力で取り繕うのだ、と言わんばかりです。現職警察官として、愛媛県警の捜査費横領を告発した仙波敏郎さんは、「警察官だけは、法を曲げてはならない」と言う硬骨漢です。その信念の人が、昨秋、私にこのように語りました。「今の日本で、仕事として、日常的に法を犯しているのは、暴力団と警察です」』(ネット新聞janjanよりhttp://www.news.janjan.jp/living/0808/0808235335/1.php)

 本当に情けない日本になってきた。国内にいる限りこの情けない状態からは抜けられないのは判っているが、それでもそろそろ居場所を変えようと思う。このブログも今日限りでお休みにしたい。みなさん、もう少しで日本も変わるかもしれない。自民党総裁選の茶番劇を見ていたら、自民党ももう終わりだなとしみじみ思う。日本が変わることを期待しながら、お別れしたい。小江戸川越からいにしえの都、京都に生活の拠点を移すことにしました。みなさん、どうも長い間ご愛読ありがとう。またどこかで皆さんのお目にかかれるのを楽しみにしています。