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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

瀬戸内海を殺さないで

2008-07-02 | 南の海
しばらく体調が思わしくないまま、瀬戸内海の海を見に出かけていた。梅雨の大雨注意報が出ていたが、海の上で1時間ほどシャワーの洗礼を浴びただけで、海に出た二日間のほとんどは、晴れ間の見える曇りという天候で、むしろあまり暑くなくて助かった。もっともそれでも顔は真っ黒になってしまったが・・。

 久しぶりの瀬戸内海の海は優しく、穏やかで、7月になろうというのに水温もあまり高くない。昔よく遊んだ瀬戸内海を思い出して、たのしく波に戯れて過ごした。押し寄せる波がほとんどないというのは、エネルギーに満ちあふれた力強さを感じさせないけれど、その分、母の懐のような暖かさを感じることができる。



 しかし、この瀬戸内海の素晴らしい海で、いま恐ろしいことが進行しつつある。山口県上関町の長島というみかんと漁業の島の海を埋め立てて、原子力発電所を作ろうとしている。ここは周防灘の海水が瀬戸内海に流入してぶち当たるあたりになり、汚れてしまった瀬戸内海でもまだまだきれいな海が残っているところだ。専門家の話によると、このあたりには非常に貴重な海産動物が棲んでいるとのこと。もっとも小さな鯨であるスナメリの群泳が見られるところでもある。

 もう30年以上も原発建設に反対する村人と推進したい町長派や中国電力との間で、訴訟が続いていたが、地方裁判所が出した入会権の認定を高裁や最高裁が覆してしまった。原発建設のための詳細調査を阻止しようと、工事台船にしがみついてばあちゃんやじいちゃん・漁民たちの命をかけた戦いも繰り広げられた。しかし、いよいよ中国電力の埋め立て申請が出されてしまった。埋め立てが始まれば、宝の海に死に神が降りてくる。瀬戸内海基本法で埋め立ては厳に抑制するとなっているにもかかわらず、いとも簡単に埋め立て許可が下りそうだ。原発促進という政府の方針が事態を進めている。

 しかし、この穏やかで静かな海に囲まれている瀬戸内海に原発を作るということは、毎日毎日7℃も高い海水を閉じた内海の中に放出し続けることになる。しかもその量は、広島県の太田川の7本の川の合計よりもずっと多い。瀬戸内海はいずれ死の海になるに違いない。やめるなら今だ。 

月にむらくも 花に風

2008-04-01 | 南の海
サクラが咲いた。満開の桜に人々が春を楽しむ。

近くの沼のほとり。

しかし、月にむらくも 花に風。今日は春の嵐が吹き荒れた。サンナシ小屋周辺では吹雪と地吹雪でたいへんだったようだ。

春は別れと出会い。一期一会も人のならい。

井伏鱒二の訳で 干武陵の一吟「勧酒」。

「この杯を受けてくれ
 どうぞなみなみつがしておくれ
 花に嵐の喩えもあるぞ
 さよならだけが人生だ」

しかし、寺山修司のこの詩。彼のやさしさが込み上げる。

「さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
 はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう
 さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
 やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
 さよならだけが人生ならば 建てた我が家はなんだろう
 さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
 さよならだけが 人生ならば
 人生なんか いりません」


岩国市民よ。賄賂と汚職の防衛省に負けるな

2008-02-09 | 南の海
大雪の予報に少しばかり期待をしていたが、どうやらもう雪は終わったようだ。少しがっかり。でも明日の朝は凍結して夏タイヤの車では運転できそうもない。やれやれ。

 明日は岩国市長選挙が行われる。前市長の井原勝介氏が勝つかどうかは岩国市だけでなく日本の民主主義が問われることになるだろう。住民投票の意思を尊重して(85%が米軍艦載機の移転に反対した)米軍再編岩国移駐に反対し続けている井原氏と岩国市に対して、前防衛事務次官だったゴルフと宴会接待漬けの守屋某は、言うことを聞かない奴には制裁を加えるように約束していた35億円の援助金を打ち切った。もちろんこのお金は守屋のポケットマネーではない。我々が納めた税金であるにもかかわらず、守屋らはゴルフと賄賂をくれる人にはどんどんつぎ込んで、言うことを聞かない岩国市には税金をつぎ込むことを止めた。いったい賄賂漬けの防衛省の誰にそんな権限があるのだろう。

 橋下某というアホなタレント大阪知事は、井原前市長を批判して、国のやることに文句を言うなと宣った。ホントにアホは死ななきゃ直らない。ウソで固めて府知事にまでなったタレントは民主主義なんて毛ほども考えていない。国(政府)は住民の代表が造るもので、政府は住民が決めるものだ。その政府が決めることは住民は黙って従えというような政治家はやはり自由も民主主義も知らない自民党にしか目がいかないのだろうか。

 ウソで固めたアフガン・イラク侵略戦争で行き詰まったブッシュ政権は経済でも行き詰まり、もはや任期まで持たないのではないかと言われている。アフガニスタンでは来月にもタリバンが首都カブールに攻撃をかけるとも言われている。アメリカはアフガンからもイラクからもまもなく撤退する。米軍再編計画はあらためて練り直しになる可能性も高い。いま守屋汚職賄賂防衛省がアメリカの言うままに米軍再編計画を受け入れては後々の悔いを残すことになる。

 先日はグアムで全日空の定期便の航空機が米軍のスクランブルを受けてあわや攻撃されそうになった。岩国基地でそういうことが今後起きないとは言えなくなる。明日の岩国市長選挙の結果は、我々自身の未来を決めかねない。市民でない我々にはただ岩国市民が毅然とした選択をしてくれることを祈るしかない。

マンボウとテレビに出る

2007-12-21 | 南の海
マリタ市での最後の日は、みんなで山のリゾートへ出かける予定だった。ところがこの前日の夕方から土砂降りの大雨。雨は止みそうもない。それでも出かけるという現地の人の話で、準備を始めていた。Tシャツに短パンでは肌寒いくらいの気温だ。迎えの車を待っていると、大きい魚が捕れたので魚を見に行くという。雨はまだ激しく降っており、宿の周りや庭には大きな水たまりができている。オートバイの横に荷台を付けてお客を運ぶトライスクルという小型タクシーのような乗り物がここでは主流の公共交通だが、そのトライスクルの車輪が半分埋まるほどの深さにまで道路が冠水している。どうやらかなりの範囲で水害が発生しているようだ。どうも今日は山のリゾートへ行くには不適のようだ。

 そう思いながら、人々といっしょに近くの大学の構内に巨大さかなを見に行った。知り合いの大学の先生が私を見つけて駆け寄ってきた。大きい魚だ!1m以上は優にあるが何という魚か判らない。見たこともない魚だ。と叫んでいる。人混みをかき分けて魚を見ると、見覚えのある円くて扁平な身体。マンボウとすぐわかった。

 マンボウとしては普通の大きさで体長1m30cmくらい。体重は250kgくらいだ。われわれもあまり見る機会がない魚だけれど、マリタの人はまったく見たことがないという。初めて見る巨大魚に人々は興奮気味だ。次々に人々が詰めかけてくる。最初は大学の学生が集まり、そのうち付属の高校生が続々とやってくる。先生もいっしょに来ているところを見ると、授業を中止してみんなで巨大魚を鑑賞に来たようだ。そのうち、役場の人たちが集まり始めた。農業水産局の役人が視察に来、その話を聞いて他の部局の人も見に来ている。市長の秘書たちも顔を出す。みんな楽しそうだ。町の人たちも話を聞いて駆けつける。まあ、大変な騒ぎだ。

 漁師もマンボウを見たことがないという。マンボウは北の魚だったかなと一瞬思った。日本では三陸沖や千葉沖あたりでマンボウの突きん棒漁が行われているので、やはり北の魚なのかな。しかし、帰ってからWikipediaでみると、どうやらマンボウは深海魚らしい。海面にぽかっと浮いていてふわふわ浮いているクラゲを食べているという知識しかなかったので、深海魚とは知らなかった。

 そのうち、車で2時間半もかかってダバオ市からテレビのクルーもやってきた。マンボウをあっちやこっちから写していたが、そのうち私のところへやってきてインタビューしたいという。あわてて私はジュゴンを見に来ている旅行者なのでインタビューをしても何も話すことはないと断ったが、しつこく迫られ、じゃあ~少しならとインタビューに応じた。しかしマンボウのことなんか何も知らないし、私はジュゴンを見に来たという話をした。テレビキャスターはこのマリタの海岸の海の豊かさについて話をしてもらいたかったようでしきりにここの海はどうですかと聞いてくるので、「ジュゴンが棲み海草があり、いい海ですね」と言っておいた。マンボウとは何の関係もない。

 午前中はマンボウ騒ぎでつぶれた。雨はまだ降り続き水かさは増してくる。結局、山へ行く話はなくなり、午後はのんびり帰りの用意をした。夜になってようやく雨が小降りになったが、あちこちで水害が起こっているという。昨日まで面倒を見てくれていたおばさんのうちも床下浸水だとかで今日は忙しそうにしていた。

 夕食後、市長に帰る挨拶にいったら会議中だ。どうやら水害対策委員会のようなものができていて、市長は陣頭指揮を執っているらしい。市長は無線機を抱えて各地からの調査点検結果の報告を待って待機中のようだ。会議の部屋へ通されて数人の人たちと雑談を交わし、別れを惜しんだ。市長は今度は日本へ行きたいという。冗談に「招待してくれ」と言って笑う。そんなお金はないけど、是非来てくださいと言っておいた。

 次の日に、ダバオ市へ向かった。途中何カ所も道路の山側が崩れていたが、なんとか車は通れた。ラッキーだ。ダバオ市であった何人かの人に、あんた知っているよ、夕べテレビに出ていたね、と言われてびっくりした。どうやらテレビであのいいかげんなインタビューが放映されたらしい。いったいどのような内容で私の話のどこをどう編集して放映したのかわからないので困ったことになったと思ったが、人々は話の内容には関心がないらしい。ようするにテレビに出ていた人という反応だった。テレビは怖い。

 ダバオから一日かけて成田空港へ帰ってきた。また、来年もジュゴンに会いに行きたい。みなさん、いっしょに行きましょう。 
 

ジュゴンを見て南の海に遊ぶ

2007-12-20 | 南の海
 ジュゴンの観察には海岸に作った観察塔の上から見る。観察塔は5年前に始めていったときにわれわれが建てた。しかし、応急に建てた観察塔はその後の嵐などで傾き、腐食も始まったので、今年の夏に壊してしまったという。いまは、その代わりの観察塔が建っている。今度の観察塔は海岸に建っているのだが、そこへ上がっていく階段はモモタマナの大木の幹に作ってあり、まるでツリーハウスに登っていくように見える。観察塔の上はテーブルを囲んで6人くらいが座れるように作られている。

 二日間ほどジュゴンを探してこの塔の上から海を見つめ続けた。ジュゴンは午前中に現れることが多く、もしくは夕方に見られる。お昼を食べてくちくなったお腹で午後の観察をしていると、自然と瞼が垂れてくる。午後はジュゴンも休息の時間なのだろう。輝くミンダナオの海を見ながら観察塔の上で、椰子の葉陰を流れてくる涼しい風に吹かれて眠るのは、本当に至福のひとときだ。

 結局、今回は二日間で7個体のジュゴンを観察できた。そのうちの4頭は二組の親子ジュゴンであった。われわれはこの二日間で十分満足して観察を終了した。

 次の日は市長を表敬訪問。最近選挙で決まったばかりの新人市長だった。やる気満々という感じ。われわれを大いに歓迎してくれ、秘書の女性を二人われわれの接待に派遣してくれた。

 彼女らと山裾のへ向かう。このでは今日はお祭りがあるという。部落長の家ではお祭りに必ず用意される豚の丸焼きがデンと机の上に乗っている。お客さんであるわれわれがまずナイフを入れて食べ始めるといっせいに村人が豚に取りかかる。もっとも私は肉が食べられない菜食主義者なので(魚も食べるけど・・笑)、ほとんど食べるものがなかった。同行した日本人と秘書たちがうまいうまいと肉を頬張っている。

 部落長クリスチャンだし、肉を食べに集まっている村人もクリスチャン。しかし、このあたりにもムスレムはいっぱいいるはずなのだが、かれらはお祭りにも参加していないのだろうか?豚肉は食べないムスリムはどこでどうしているのだろうか。

 次の日も市長の秘書たちといっしょに、市の資源局のボートに乗って近くの景勝地である小さな湾を見に行った。ボートに乗るときに大きな波が岸に置いた踏み台を跳ね上げて、私の向こうずねをいやと言うほど打っていった。声が出ないほど痛くて、見ると足が大きく凹んでいる。これは骨を折ってしまったかな、と一瞬青くなったが、それほど痛くもないようだし、骨には異常がないと判断した。凹んだところはその後ぱんぱんに腫れて膨れてきて触ると激痛がする。あれから一週間以上たったいまでもまだ腫れと痛みは続いている。

 ボートに乗ってしばらく待っていると自動小銃を肩からかけた迷彩服を着た二人がボートに乗り込んできた。兵士かと思ったけど、警官だった。どうやらわれわれの護衛に乗ってきたらしい。いったいどんなところへ連れて行かれるのか、ちょっと心配になった。ボートで走ること約30分。静かな入り江に到着した。ここは市長が観光開発をもくろんでいる場所だとか。たしかに海は静かで海岸の椰子の林は南国情緒溢れている。入り江の中にはサンゴや海草が生育しており、水も綺麗だ。ダイビングスポットもあるという。日本海軍の船が沈んでいるあたりがダイビングスポットだった。

 入り江には小さなが3カ所ほどあり、どこも純粋なムスリムのだという。護衛の警官が付いてきた理由がよく分かった。ムスリムのにはイスラム武装集団が隠れている可能性もあるからだろう。警官たちは険しい顔つきの村人の間を威嚇するように自動小銃を構えて歩いている。ちょうど漁から帰ってきた船があり、警官は不法操業がないかどうかを調べている。嫌みな奴らが来たと村人たちは思っている様子がよく分かる。われわれはどうも居ごごちがわるいので、水の戯れている子どもたちのところで写真を撮っていた。

 夜は近所の青年の誕生パーティがあるというので、家に招かれた。ここでも料理はほとんど肉ばかり。私はひたすらご飯に汁をかけて食べる。ここではバッティという独特の料理を食べさせられた。受精したガチョウの卵の雛が発育して孵化寸前のものをゆでて食べる。卵の殻をむくと中から雛が折りたたまれて出てくる。それを食べるのだ。私は卵なら食べられるが、さすがにこれは食べられない。同行した男たちもこわごわ食べている。味は悪くないらしいがやはり気持ちが悪いといって、彼らも一個だけしか食べなかった。どこにもちょっと変わった食べ物がある。ゲテモノ食いにはこたえられないのかもしれないが・・・。

波と遊ぶ幸せ

2007-12-17 | 南の海
波が打ち寄せては砕け、白い泡となって砂浜をすうっと這い上がる。ここまで来るかなと思わせておいて、直前で止まり、砂の中に消えていく。次の波がまた砕け、砂浜を這い上がる。今度は止まらずに足をぬらして駆け上がる。足の間を砂の粒が水とともに流れくだる。足の下の砂が崩れていく。次々に波が押し寄せ、砕け、砂浜を這い上がる。どの波もよく似た動きをしながら、どれ一つとっても同じものはない。一つ一つの波をじっと見ていると、見飽きることはない。

 子供たちは波に乗り、波に駆け込み、波に飛び込む。たった一人でも遊んでいる。友達がいたら、もっと波といろんな遊びができる。そして、日がな一日飽きることがない。何一つ道具を持たず、使わず、ただひたすら波と遊ぶ。そして本当に楽しそうに遊んでいる。こんな風景を見ていると、すぐ日本の子供と比較してしまう。日本の子供は不幸になったと思う。  

 子供だけではない。大人もいっしょに波と遊んでいる。子供連れで遊びに来る大人は、子供を遊ばせるために来ているのかもしれない。けれども大人だけでも遊びに来ている。純粋に海水浴を楽しみに。波と戯れ、波と遊ぶ。泳ぎ、潜り、水を掛け合って子供のように遊んでいる。日本でも昔こんな風景があった。私が子供の頃はこんな風景が見られた。大人は遊びを忘れ、子供は遊びを知らない。豊かになったのは日本だったのだろうか。
 

ジュゴンに再会する

2007-12-14 | 南の海
いきなりジュゴンが現れた。現地に到着してまだ5分もたっていなかった。久しぶりに出会った人たちへの挨拶もそこそこに、さあ、観察塔の上に上がってこれから観察を始めようと話していたところだった。まるでわれわれを歓迎してくれるように、ジュゴンは餌の海草を食べるために尾を高く水面上に上げて、ゆっくりと海底めがけて潜り込んでいった。半年ぶりの対面だ。

 フィリピンのミンダナオ島ダバオの空港に着いたのは前日の夜。出迎えの人と車に乗り込んで、一路南へ向かう。途中のレストランで遅い夕食をすませ、政府軍の検問所を二カ所通り抜け、ダバオ市外の街マリタへ夜の道をぶっ飛ばす。地元の人はこの道路をハイウエイと称するが、自転車も歩行者もウロウロしているせいぜい片道1車線の狭い道路である。そこを時速100キロ近いスピードで飛ばす。

 夜中の11時過ぎにマリタ市に到着。そのまま宿の薄汚れたマットレスのベッドの上をはい回っている巨大ゴキブリを払いのけて、眠りについた。

 ミンダナオの海と人々の暮らしについて書こうとここまで書いてきたところで、身内に不幸があったという緊急連絡があった。これから四国へ向かうので、この続きは数日後になります。少しお待ちください。

また、ジュゴンを探しに

2007-12-03 | 南の海
6日からフィリピンのミンダナオへ、またジュゴンを探しに出かける。もう何度も行ったところなので新鮮さはないが、ジュゴンに会えるのが楽しみだ。会うたびに少しずつ新しいことがわかる。今回は若者二人といっしょだ。どういう新しいことに出会えるだろうか。

 ミンダナオは紛争地域なので危険もある。首都ダバオの空港で爆弾が破裂したこともあった。空港から私が行く途中のバスターミナルでバスに仕掛けられた爆弾が破裂したこともあった。単独の日本人旅行者が行方不明になり、藪の中から死体で発見されたこともある。二つの反政府武装組織が組織的な抵抗をしている島であり、アブサヤフなどのイスラム過激派の活動もある。

 けれども村の人たちはみんな底抜けに明るく、親しく付き合ってくれる。ジュゴンの観察塔も彼らの助けなくしては建てることはできなかった。5月に行ったときは日本の会社の重役をやめて、現地出身の女性と結婚してこの地に移り住んだ日本人男性にも逢った。この地の景色を愛し、魚取りを楽しんでいた。

 この海岸にやってくるジュゴンはそう多くはない。せいぜい10頭から15頭くらいだと見ている。なぜなら、餌となる海草(うみひるも)の生えている範囲が非常に狭く、餌の量がそう多くはないからだ。

 ジュゴンはもっぱら海草のみを食べる。しかもこの海岸では「うみひるも」一種だけを食べているようだ。だから餌の量に制限されてしまう。どんなに子供が生まれても餌が養えるジュゴンの数は限られているから、多く生まれたらどこか遠くの餌場を探して帰らぬ旅をするか、それとも死んでいくかどちらかを迫られる。だからこの海岸で住み着けるジュゴンの数はせいぜい15頭だと思う。

 もっともジュゴンは子供の数は少なく少産である。妊娠期間は一年以上だし、一度に一子しか生まない。子供を産んだあとは数年子育てをしなければならないから次の妊娠までは一年以上の間がある。ジュゴンは寿命が長く人間くらいあるといわれているが、その間ずっと妊娠可能ではない。繁殖期間は限られているから、個体数が増えるにはかなりの時間がかかる。その間、漁網にかかったりして死ぬ個体もあるから、ジュゴンが増える可能性は非常に低い。

 しかも問題は餌場である海草の藻場が減りつつあることである。まだミンダナオの海は透明度も高くきれいに見えるが、海岸のそばの山々は大規模なプランテーションでほとんど原生の樹林はなくなってしまった(写真)。プランテーションは大部分がバナナとヤシ。最近ではマンゴーやアブラヤシのプランテーションも増えてきた。バナナはほとんどが日本やアメリカ向け。このプランテーションによって土砂の流出が問題になってきた。雨が降ると樹木がなくなった畑地から一気に土砂が流される。

 さらに畑地には大量の人工肥料がまかれる。これは雨によって海に流れてくる。窒素やリンの肥料が海に流れて富栄養化するとプランクトンが発生し、透明度が落ちる。すると深いところの海草は光が足りなくなって枯れ始める。藻場が減少する。さらにプランテーションでは農薬も使われる。農薬は海に流れて直接植物に毒として働く。日本でも昔多くの藻場が農薬のために枯れたと言われている。

 一見のんびりとした楽園に見えるミンダナオの海も、島人の暮らしを通して現代の問題を抱えている。そのあたりももっとはっきりと見てきたい。そしてジュゴンがいなくならないような方法を地元の人といっしょに考えてみたい。いい方法が見つかるといいのだが。バナナについては、消費者と生産者が直接結びつくようなフェアートレードというやり方が少しずつ試されている。この可能性も見てきたい。課題はいっぱいだ。日本でバナナを食べるときに、日本人にもそのような問題を考えてもらいたいと思う。
  

辺野古の海に潜った

2007-10-29 | 南の海
沖縄・辺野古と嘉陽の透き通るような海に潜ってジュゴンの食べ跡と餌の海草を探した。辺野古ではジュゴンの食べ跡は発見できなかったが、きれいな海、広がる海草の原っぱ、晴天に恵まれて、海の中に潜るのが楽しい。嘉陽ではジュゴンの新鮮な食べ跡を発見。みんな大喜びで観察した。

 しかし、ジュゴンの食べ跡には無粋な鉄棒が立ち並び、それに大きいテープが結びつけられていた。海底に黄色いテープが立ち並んでいる。防衛施設局の調査グループが「このジュゴンの食べ跡は俺たちのもの」と主張するように、マークをつけていったらしい。調査のためだろうけれども、これではジュゴンが餌を食べる邪魔になりそうだ。すぐ近くでボートの上から私たちをじっと監視している。

 辺野古の海はキャンプシュワブの浜のすぐ前だ。キャンプシュワブには瀟洒な米軍の住宅が建ち並び、真ん中には凝った造りの建物がある。きくと米軍族のための映画館だとか。鉄条網で区切られた米軍専用の広いきれいな浜辺には数人の米国人男女が水着で戯れている。ここはいったいどこの国だろうかと思う。

 名護市の住民が、米国政府とブッシュ大統領をアメリカの文化財保護法違反で訴えている。原告にはジュゴンも加わっている。アメリカと日本政府はキャンプシュワブに普天間基地を移設しようとして、辺野古の海を埋め立ててジュゴンを絶滅の危機に追い込んでいる。アメリカの文化財保護法は政府による絶滅危惧種の保護を義務づけているので、住民はアメリカの裁判所にアメリカ政府を訴えた。アメリカ政府は、これは日本の政府がやっていることでアメリカ政府は関係ないと逃げていたが、アメリカの裁判所はこのたび名護の住民の訴えを受理し、アメリカ政府が被告となりうることを認定した。判決は来年2月の予定だ。ぜひ、アメリカの司法の良識を期待したい。

 この裁判の中で、辺野古の新しい基地に弾薬装着場の建設が含まれていることがわかった。これは日本政府はこれまで公表していなかったことだ。辺野古の基地はあくまで普天間基地の移転であり、新しい機能拡大はないというのが政府の言ってきたことだが、それがどうやら嘘であることが明らかになった。さらに、アメリカ政府は辺野古に250mの長い桟橋を建設して軍港としても使えるように要求しているらしい。日本の防衛施設局の話では、そのような桟橋の建設は予定していないといっているが、アメリカの予定では将来軍港として使う予定が書かれている。ここでも日本政府が明らかにしていないアメリカとの裏交渉があることが明らかだ。

 辺野古の海には戦争は似合わない。ジュゴンが生き続けられる平和な海を守りたい。
 

沖縄は熱い!そして暑い

2007-10-25 | 南の海
ようやく涼しくなった埼玉だけど、今日はまたまた暑い沖縄に来た。座席の3分の2を占める修学旅行生の嬌声に悩まされながら、那覇まで2時間半の空の旅だった。那覇空港に着いたとたん、むっとする熱気に包まれた。こちらはまだ真夏の暑さ。もっとも那覇の人に言わせればずいぶん涼しくなったという。

 それでも気温は28℃以上ある。じっとしているだけで汗が流れる。ホテルでも私はクーラーを使わないので暑さはこたえる。窓を開けて風を入れようとしたら、風で窓際に干していたシャツが道路まで飛んでいってしまった。

 沖縄は暑いだけではない。いま、沖縄は熱い。住民の集団自決をめぐる教科書の検定問題で、沖縄は島をあげて文部科学省の対応に批判の声を上げている。地元の新聞「琉球新報」「沖縄タイムズ」をみるとニュースの取り上げ方が大新聞とはまったく違う。地元の問題を取り上げるだけではない。大新聞が書かない重要なことをきちんと書いている。

 今日の琉球新報で知り得たのは、問題の検定意見をつけた教科書調査官が、皇国史観を教科書に入れたいとつくられた「新しい歴史教科書をつくる会」といっしょに本を書いていること。それだけではない。この調査官と教科書審議会の委員もいっしょに「つくる会」と共著の本を書いている。これらの本はどれも旧日本軍の立場から沖縄戦の見直しを主張するような内容だ。

 文部科学省の調査官や審議会委員は、公正公平な立場で教科書を審査・審議するという名目で仕事をしているはず。しかし、実際はそうではない。自分たちの皇国史観を教科書に反映させるために検定をしていることが明らかになった。文部科学省の中立性はとっくの昔に無くなっていた。

 沖縄に来ると日本の政治のおかしさがよく見える。米軍基地の鉄条網に囲まれて生活している沖縄の人々の気持ちも少しはわかるようになる。明日は港川の海を見て、辺野古の海を見に行く。ジュゴンがいつまでも沖縄の海を泳げるように祈って。