ヨハネ19:42 その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた。
受難週の土曜日……その日は安息日でした。
イエス様は金曜日に十字架で死なれ、その日の内に十字架から取りおろされました。「その日は準備の日であったので」と記されていますが、安息日のための準備の日という意味です。
安息日は律法によって「何のわざもしてはらない」と定められているので、人々は安息日を迎えるために、金曜日中にやるべきことをして準備をしたわけです。だから、金曜日は「準備の日」です。
そんな慌ただしい金曜日にイエスは死なれたので、金曜日中に葬らなければなりませんでした。そのため、刑場の近くにある園の墓にイエスの遺体を葬ることにしました(ヨハネ19:41)。
そして、すぐに日没になって安息日を迎えました。当時の規定により、安息日には何もすることができません。イエスの弟子たちは、重苦しい時間が過ぎるのをひたすら待つしかありませんでした。
イエス様を守ることも弁護することもできなかった弟子たちは、悔いと恥じとで完全に落胆していました。十字架の後の土曜日は、何とつらく、暗く、長い一日だったでしょう。また、弟子たちは、次は自分たちが捕らえられ、殺されるのではないかという恐れで満たされていました。弟子たちの心のを表すかのように、自分たちの居る部屋の戸はかたく閉ざされていました。
実は、聖書には、十字架の翌日である土曜日の記述がありません。それは、まさに弟子たちの重苦しい状況を表しているかのようです。何もできない、何もする気がしない、無力で落胆しきった弟子たちを表すかのようです。
何もすることのできない一日があります。でも、それは復活の前日であることを忘れないでください。固く心を閉ざすような一日があります。しかし、それは復活の前日だったのです。
私は何もできなくても、神は着々と復活に向けて御業を進めておられます。それが、受難週の土曜日です。十字架と復活の出来事の間には、何もできない落胆の一日があるです。
さあ、明日は復活日です。復活の主にお会いしようではありませんか。主イエスは、復活のいのちを与えようと、準備して待っておられます。(Ω)
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